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「井上ーっ」 「何ー?黒崎君!」 廊下で、姫ちゃんと話していたら(といっても挨拶程度なんだけど)黒崎君に呼ばれた。 「……ふぁ」 姫ちゃんへの用事だろうと思い、姫ちゃんが元気に黒崎君に返事をする隣で、二人から視線を外し小さく欠伸を漏らした。雲の流れが速いなー。あ、次体育じゃなかったか? …眠い。あ、今日バイトだ。 「あー、いや、おなまえの方に用が…」 「え、おなまえちゃんに?!」 姫ちゃんの吃驚したように私の名前を声に出したところで、空へと向かう視線がこの時はじめてちゃんと黒崎君を捉えた。姫ちゃんが驚くのも無理ないかも。 だって、私が一番吃驚してる。 「これ、担任から」 「あ、りがとう…」 これ、と差し出されたノートを受け取る。何だ、ノートか…。残念がる私の存在が、何だかバカみたいに思えて、抱えたノートを抱く手に微かに力がこもった。 「しっかし…どっちも井上で紛らわしくねぇか?」 「あはは、姉妹だからねー」 …まぁ、紛らわしいんだろうけど、私を呼ぶ人なんて少ないよ。井上、それは大抵姫ちゃんの方だ。井上妹って呼ばれる時の方が多い。妹なんて名前じゃねってんだよ。それより酷いのはオイとか。 「まぁいーや。じゃーな、井上、おなまえ」 「…ま、たね、黒崎君!」 「………」 姫ちゃんの後ろで小さく手を振ると、目が合ってそのまま黒崎君は後ろを向いて。それで…片手をポケットに入れながら、空いた手を顔の横まで挙げて後ろ手を振ってくれました。 私に振り替えした、と解釈しちゃだめでしょうか。 私の名前を呼んでくれてありがとう、って思ったらダメかな。 どっちも…ダメな気がする。だめだよね、だって彼女が悲しそう。 ちらりと姫ちゃんを見ると、なんとも言えない、ちょっと悲しそうな顔をした姫ちゃんが小さく小さく「何で…」と微かに掠れた声で呟いた。 嬉しくて、つい緩みそうになる頬を必死に咎めて考える。私が嬉しくて姫ちゃんは悲しい、そんなの嫌だ。 こんな時どうするの? なんて声を掛けたらいい? 声を掛けていいのか? 黙って教室に戻ればいい? 不自然じゃないかな? 苦し紛れに、渡された現国のノートをパラパラと意味もなくめくってみる。私が出した結論は、見なきゃよかった、だった。 「姫ちゃん‥」 「‥‥なに?」 「ごめん、ノート見せてもらえるかな。よろしかったら…あはは」 「いいけど、どうしたの?」 乾いた笑いの後、目を泳がせながらノートを見せる。そこには、先生自作の似顔絵と、その横に吹き出しが描かれていて、その中には“もっとしっかりノートをとれ”と書かれていた。先生自作の似顔絵が可愛くて、二人で笑った。しっかりノートをとれ、と言われてしまったページには、その日の日付だけで内容という中身が書かれていなかった。 「三日分なんですが…」 「寝てたんでしょー!お礼は今夜のデザートでいいですよ」 にこり、笑った彼女の表情は、無理をしているのかもしれないけどいつも通りで少しだけ安心した。 でも、嫌いじゃない 何も知らない彼 |