黒曜石 | ナノ
×


昨日、黒崎君と話した時は、明日の朝なんて言ってたんだけど。夜になって、やっぱり早く姫ちゃんと話したいと思いなおしたんだけど‥‥‥突然バイトの人が休んじゃって、代わりに私が出たせいで、姫ちゃんと話す時間が作れなかった。バイトがなくても、姫ちゃんが家にいたとは限らないけど。どうやら姫ちゃんは昨日は有沢さんの家に泊まってきたらしい。小島君情報。ちなみに騒動の後の授業は全部サボってしまった。朽木さんがうまく言っておいてくれたらしい。こっちは浅野君情報。彼女の言訳術は小島君に匹敵すると騒いでいたっけ。ちょっと、羨ましい。お泊りなんて、行ったこともないし、誰かが来たこともないから。

――― だから昨日はご飯食べて、いつもより長めのお風呂に入って早めに寝た。学校での出来事を忘れたわけじゃないけど、もうずいぶん前の出来事のように思える。ああ、明日にはちゃんと姫ちゃんと話さなくちゃな、なんて思って少し憂鬱にもなったけど、以前よりも格段に嫌って気持ちは薄れていた。少なくとも、前の席替えで黒崎君の隣の席になる前よりかは。色々あったと思う。黒崎君が中心になって、色々私の中で変わり初めた。その色々の中の一番大きいのが姫ちゃんだ。姫ちゃんに対して大きく変わった。それだけで、明日への不安が薄れていくようだった。夢の中では、姫ちゃんと仲良く笑ってたい。


朝、いつもより早く目が覚める。気合を入れてお弁当を作る。お弁当のために早寝早起きしたといってもいい。ちょっと豪華なもの作っちゃうもんね! そういえば、朽木さんはいつもお昼は購買とかコンビニのパンかおにぎりだよなあ。だからあんなに細くて小さいんだ! 私は未だに朽木さんにチビと言われたことを根に持っていた。私をチビ呼ばわりしたんだから、朽木さんには私の身長を通り越してもらわなくちゃ困るので、朽木さん用にも栄養満点のお弁当を作って行くことにした。野菜と肉多目に入れてやろう。きっと明日には3cmくらい伸びてるんじゃないかな、朽木さんも(まあそんなわけないんだけど)
昨日の残りで朝ごはんをすませ、お弁当を包んで、かなり余裕を持って家を出る。昨日のあまりをタッパーに詰めて。姫ちゃんへのおすそ分け。あ、姫ちゃんにもお弁当作ってあげればよかったな。まあいいや。姫ちゃんは育ちすぎなくらい育ってますしね。特に乳が。

前まではお隣さんだったのに、今では結構離れたところにすんでいるから、姫ちゃんの家に行くのも大変だ。といっても、この距離が私にはちょうどいいんだけど。離れすぎず近すぎず、そんな距離が、私を保っているといってもいいくらい。姫ちゃんへの苦手意識はまだ消えない。だけどこの距離なら苦手意識も薄れるのだ。
まだ時間に余裕があるから、きっと姫ちゃんは家にいるだろう。有沢さんの家から姫ちゃんが直接学校に行くとは考えにくいから、多分一度は家によるはず。その時、有沢さんが一緒じゃなきゃいいんだけど。きっとあの人は私を嫌っているだろうし、あの後だから私としても気まずい。今はちょっと会いたくない人かな。

姫ちゃんの家の前でひとつ深呼吸。暗い雰囲気にならないように、姫ちゃんが玄関から出た瞬間“隣のあさごはーん!”なんてギャグでもかましてみようか。いや、私にそんな大技が出来るとは思えない。せいぜい“グッモーニングッ”とタッパーを掲げながら姫ちゃんを驚かすのが精一杯だろう。まあ登場の仕方なんて考えても仕方ないのでとりあえずインターフォンを押す。数十秒後に「はーい」という声がする。間違いなく姫ちゃんの声。それから間もなくしてドアが開く。私は先ほど考えた登場の仕方に倣い、タッパーを突き上げ、「グッモーニ、」‥‥‥その言葉が最後まで紡がれることはなかった。何故なら、掲げたタッパーが姫ちゃんの顔面にクリーンヒットしていたからだ。新手のテロかと思うほど、鮮やかな手口だった。なんたる失敗!

「お、おはよう、おなまえちゃん」
「すみませんでした」

うっすらとタッパーの跡が残る赤くなった顔で、涙目になりながら挨拶をされる。黒崎君に謝るなと言われていたが、どうしても謝罪しか出てこなかった。ほんとにすみません。

「あ、あの、ほんと、ごめん。大丈夫?」
「うん、平気だよ! 全然大丈夫!」
「涙出てるけど」
「欠伸がね、出たんですよ」
「そうですか、なんかごめんね」
「ううん。で、おなまえちゃんは何か用があったの?」

こんな早くに、と付け加えて姫ちゃんは首を傾げた。先ほど姫ちゃんに暴行を加えたタッパーを手渡す。

「うん。はいこれおすそ分け」

渡された瞬間、姫ちゃんの目には涙が留まった。私は土下座したくなった。

「ほんとにごめんね、でもタッパーに罪はないから洗ったら返してください」
「え、」
「え、ってなに。あれ、肉じゃが嫌いだったっけ?」
「いや好きですよ。好きだけど。‥‥それだけ?」
「欲張りですね姫ちゃんも。ご飯なら自分で炊いてね」
「そ、そうじゃなくて!おなまえちゃん今日ちょっとおかしい!」
「ここで本題です」
「本題?!」
「昨日のことなんだけどね」
「う、うん、あ! ちょ、ちょっと待って!」

いよいよ話を切り出すって時に、姫ちゃんが手をぶんぶん振りながらストップをかけてきた。なんだよもう。出鼻くじかれたんですけど。それから、「中入って! 座って!」と促される。どうやら姫ちゃんは朝食の準備中だったらしい。また朝から変なの食べようとしてるよ。どうやったらチョコとセロリが朝ごはんに変換されるんだろう。肉じゃが持ってきて正解だったよ。ご飯は炊いてあったので、「持ってきた肉じゃが食べてよ」と姫ちゃんに言う。チョコとセロリは一緒に食べるものじゃないからね。どうやったら朝ごはんになるのかやっぱりわからない。姫ちゃんの胃袋は鉄で出来てるんだろうか。

「あ、おなまえちゃんも一緒に食べる?」
「うん」

食べてきたけど、まあもう一回食べてもいいだろう。なんたってタダですし。ただでさえ2つもお弁当を作って、ちょっと食費があれ、みたいな感じだったので朝食は貧相なものになってしまったのだ。あんなちっぽけな朝食で昼まで持つわけがないのだ。姫ちゃんにおすそ分けとして持参したものも、一緒に食べさせてもらおう。姫ちゃんに断ってから冷蔵庫を開けると、ちょうど卵があったので目玉焼きを2人分作った。それから味噌汁もセットで作る。よし、これで昼まで持つな。完璧な朝食だ。姫ちゃんの食費はおばさんたちが持ってくれるから私にも姫ちゃんにも害はないはず。タダって最高ですよね。

「で、本題なんですけどね」
「うん。あ、この肉じゃが美味しいねえ」
「ありがとう」
「おなまえちゃんまた腕をあげましたな」
「ありがとう」
「そうだ、お茶、ごめんね、今出すから」
「お構いなく。あの、そろそろ本題に入ってもいいかな」
「うん。あ、この目玉焼き美味しいねえ」
「ありがとう」
「半熟卵とか、おなまえちゃんまた腕をあげましたな」
「ありがとう。姫ちゃんそれ2回目だよ」
「うん。はいお茶どうぞ」
「ありがとう」
「おなまえちゃんおかわりいる?」
「お構いなく。あの、そろそろ本題に移りたいんですけど」
「うん。あ、このご飯美味しいねえ」
「それ姫ちゃんが炊いたやつだよ」

姫ちゃんがなかなか本題に入らせてくれない。このまま姫ちゃんのペースに巻き込まれちゃだめだ。なんとかして切り出さないと。ことごとく姫ちゃんにかわされてるわけなんですが、そろそろ捕まえなくては。姫ちゃんが口ごもった今がチャンス。

「本題っていうのは、姫ちゃんもわかると思うけど」

いくら天然の姫ちゃんだって、という言葉は飲み込んだ。これでわからないなんて言われたら私はきっと姫ちゃんに“この 天然記念物め!”と叫んでいただろう。

「うん、あ」
「もう褒めるものなんてないよ」
「そうじゃなくて、」
「うん」
「あたしからまず言いたいことがあるの!」
「いや私が先に言わせてもらうから」
「だめ、あたし」
「いや、私だよ」
「おなまえちゃんあたしの食料食べたでしょ!」
「う、姫ちゃんそれは卑怯だよ」
「ギブアンドテイクね、ギブテク」
「(ギブテク‥‥)しかたない、じゃんけんしよう」
「そんなにおなまえちゃんから言いたいの?」
「うん、こういうのは先に言ったもの勝ちなんです」
「じゃああたしから先に言うね」
「姫ちゃんって私の話きかないよね」
「お姉ちゃんですから」
「納得できませんよ」

姫ちゃんの嬉しそうな顔に、私は弱くも引き下がった。弱い! 私弱すぎるよ! 押しが足りないよ! 安売りセールの我先にと立ちはだかるおばさんたちを押しのけるのは得意なのにっ!

「昨日のことで、おなまえちゃんは来たんだよね」
「うん。あと肉じゃが」
「美味しかったよ、ありがとう」
「ううん、ギブテクですからね」
「ちゃっかりあたしのご飯食べたよね」
「ギブテクなんでしょ」
「で、昨日のことね」
「うん」
「あたし、謝らないよ」
「う、う? はい?」
「だからおなまえちゃんも謝らないでね」
「え、どう、して?」

かたん、と姫ちゃんが箸をお茶碗に置く。それから、味噌汁を見ながら姫ちゃんは真剣です、というオーラを作りながら、口を開いた。

「おなまえちゃんは、誰かとけんかしたことある?」
「ありそう、で…なかったと思います」
「おなまえちゃんは、昨日あたしとけんかしました」
「そ、そうでした!」

前に黒崎君を避けたことがあって、それをけんかだと思ったけど、よくよく考えてみればあれは私が一方的に黒崎君に冷たくしただけでけんかとはちょっと違うってことに気付いた。

「けんかしたことないおなまえちゃんは知らないと思うけど」
「え、姫ちゃんってけんかしたことあるの?」
「お姉ちゃんだからね!」
「(今日はやけにお姉ちゃん面したがるなあ)」
「けんかにもルールがあるのですよ」
「そんなのあるの?! 知らなかった」
「おなまえちゃんけんかしたことないもんね」
「う、うん。姫ちゃんはすごいね!」
「(え、すごい?) ‥‥そのルールはね、」

ごくりと、姫ちゃんが喉を鳴らす。私はすかさずに味噌汁を手渡す。姫ちゃんは真剣ですオーラを消さないままそれを飲む。私もいつの間にか真剣ですオーラをまとっていた。なんてシュールな絵面なんだろう。

「けんかはね、両成敗なの」
「う、うん?」
「だから謝っちゃいけないんだよ」

びし、と姫ちゃんが味噌汁を顔の横で掲げる。笑える構図だったけどなおも真剣オーラは存在していたので、笑うに笑えなかった。けんかは両成敗‥‥! おなまえはまたひとつ大人になりました!

「って、え! 謝っちゃだめなの?!」
「だからあたしもおなまえちゃんに謝らないの」
「じゃ、じゃあ私も謝れないの?」
「何も悪いことしてないのに、謝りたいの?」
「え、や、してないって、したよ」
「けんかだから何でもいいんだよ」
「なにそれ」
「けんかは、両成敗なんだってば」
「うん、だから?」
「悪いこともお互い様だから、いいの」

そう言って、姫ちゃんは残りの味噌汁をすすった。とても満足気で、誇らしげだった。私は、目の前の姫ちゃんを尊敬の眼差しで見ることしか出来なかった。さりげなく、姫ちゃんは私の分の味噌汁まで飲んだ。これは確実にギブアンドテイクじゃないな。完璧なるテイクだ。私の味噌汁は返してもらいたい。
「ごちそうさま」、と笑顔で手を揃えた姫ちゃんに、尊敬の眼差しはどこかへ行ってしまった。


黒崎君たちにも教えてあげよう
そうだったのか