黒曜石 | ナノ
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朽木さんの本性を目に、暫くその場に立ち尽くす。なんていうか…素晴らしい性格をしてらっしゃいました。うぅーん、ちょっと、だけ、複雑…かもしれない。よくわからないけどもやもやする。あのお嬢様な朽木さんの本性が実はあんなサバサバしていたなんて…ああやっぱりなんか、なんかむずがゆい!

「おなまえ!」
「………!」

頭上から、黒崎君の声がした。それは、確実に私の名前を呼んで、私の足からは力が抜けていく。恐る恐る上を見ると、窓から顔を出している黒崎くんがいた。ああ、幻覚だったならよかったのに。どうやら彼は幻なんかじゃないようだ。どうしようかな、逃げたいんだけど…足に力が入らないや。それに、朽木さんの言葉が私を引き止める。逃げるな、向き合え。後ろで私を叱るような声が頭の中に響く。何も言わない私をお構い無しに黒崎君がひょいと窓から飛び降りて私の前まで来てしまった。

「…落ちたのか?」
「いや、えっと」

真っ直ぐに黒崎君を見れない。というか落ちたはずないじゃないか。私の意思で飛び降りたのだ。いや、大切なのはそこじゃないんだけど。黒崎君の質問に問題があったと思う。うん。いや別にこだわってなんかないし! ぶんぶんと首を振って否定したら、「そうだよな」って黒崎君が小さく笑った。こんな時にからかわないでほしい。

真っ直ぐに見れないのは、何故か生まれる彼に対しての罪悪感。彼が、どれだけ妹を可愛がってるのか知ってる。彼がどれだけ家族を大切にしてるのか知ってるから。私がしたことは、口にしてしまった事は彼を否定したとも言えるんだ。この時ようやく気付いた。私が傷つけたのは、姫ちゃんやその周りの人たちだけじゃなくて、私の周りにいる人たちも入るんだ。今更、黒崎君に見られるのが怖い。どうか、汚い私を見ないでください。そんな真っ直ぐに見られると、もっと汚くなっていくような気がして怖い。やっぱり、向き合うなんて出来ないよ。私は、だめな奴だ、汚い奴だ。わざわざ言葉にするまでもなく皆知ってるさ。ねえ、私は姫ちゃんのような綺麗な存在になりたかったの。だから否定した瞬間、私は汚くなっていくんでしょう? 自分を汚く思えば、自分が傷付かないと思ってる。これ以上苦しまなくていいから、気休めでも私は自分を認めるなんてしない。向き合ったってどうせ私は姫ちゃんの引きたて役で、嫌われ者のままなんだ。

「…っ、」

黒崎君の目を見ないまま立ち上がって、感覚のない脚で縁まで走って飛び降りようと構えた瞬間、腰に黒崎君の腕が回りこんで引き寄せられてしまう。

「なにする…っ」
「逃げるからだろ」
「………」
「まただんまりかよ」

いらついたような溜息を吐いた黒崎君に強引に向き合う形を取らされる。見られたくないのに。ちくしょう。黒崎君に今の自分を見られるとどうしようもなく悔しくなる。何も出来ない自分に。逃げる事すらも許されなくて、私に一体どうしろっていうんだ。やっぱり今は誰とも向き合えそうにない。
向き合えとか逃げるなとか、臆病者の私に難しいことばっか言う。私のことを考えて言ってくれた言葉だってわかってるし、背中を押してくれてるのもわかってる。何より、私が望んでいた言葉だった。だけど、実行できないでいる。それは何故か、答えは考えるまでもなく私が臆病者だからだ。勇気をもらってる、だけどそれを有効活用できない。みんなに言い損させてるのは紛れもなく自分のはずなのに、誰かに責任転嫁しようと働きかけてる自分がいて、さらに自分を嫌いになる。私は、私が大嫌いだ。自分を好きになんてそう簡単になれない。甘やかすのと好きになるのは違うことだ。自分が大切だから甘やかすし、自分を守る。だけど、そんな卑怯な自分が嫌だから好きになれない。結局、大切なんて言葉は好きとは違うんだ。まあ自分に対してだけのことだろうけど。他人へ大切って言葉を送ったら、きっとそれは好きってことなんだと思う。だけど、自分を大切にするのと好きというのはやっぱり私の中では一致しないことだった。
無理だ。やっぱり、逃げ道を探すしか私には出来ないよ。

「どうして、みんな追いかけてくるの…」
「あ?」
「い、一番私が、会いたくない人が誰か、っ…わかんないの」
「ンなこと俺が わかるわけねーだろ」
「黒崎君だよっ!」
「ああ?! どーゆう意味だよ!」
「だって!私のこと怒ったでしょ、幻滅したでしょ?!」
「はぁ?!」

ぐっと、拳を握って目の前にあった黒崎君の胸板を殴ってやった。全然効いてないみたいで余計むなしくなった。これだから筋肉マンは困る!もう一発叩き込もうと、腕を挙げたけれど途中で力が抜けて膝の上に力なく垂れる。何もかも投げ出したい、ってこういう時思うんだな。

「妹が姉にあんなこと言って、私のこと最低だって思ったんでしょ!? 全部、私が…悪いって思った…っ…!」

黒崎君が言葉を発する前に、今度こそ本格的に涙腺が壊れてしまったようで灰色のコンクリートの上に涙の染みを作っていく。ぱたぱたとコンクリートの上に落ちる雫を睨みながら呼吸を整える。フル活用した喉が渇きを訴えていた。黒崎君が何かを言おうとしていたのを、やめた。

「軽蔑したでしょ」

私の本音をきいて、絶望したに決まってる。姫ちゃんと同じくらいに。

「してねえよ」
「うそだ!」
「…嘘じゃねえ。お前が言いたくて言ったわけじゃないってわかってる」
「何でそんな事言えるの?! わからないじゃん、ずっと言いたかったことだったかもしれない!」
「やめろ。そうやって自分を責めるの」
「っ……でも、私のこと、嫌いになるでしょ…?」

押さえ切れなくて、何かが爆発してしまったように叫ぶ。普段声を荒げることってないから、黒崎君はきっと驚いただろう。私自身かなり驚いた。誰かに叫ぶことってしたことなかったかもしれない。ただの、八つ当たりだってわかってるのに止められない。
黒崎君の困惑した表情に、余計苦しくなった。苦しい。叫んで八つ当たりして、自分を悲観ぶる私が、苦しい。流れてくる涙を止めたくて、黒崎君の白いシャツを必死で睨み付けた。

「黒崎君が、遊子ちゃんや夏梨ちゃんを大切にしてるの、わかってるの。だから、私が言ったこと…怒ってる」
「だから、怒ってねえって」
「本当は、私を謝らせにきたんじゃないの」
「おなまえ」
「そうじゃなかったら、何のために ここまで来、るのっ…? わた、わたしに、そんな価値なんて、なっ…い のに!」
「やめろって」

黒崎君の手が、後頭部に回されて、もう片方で口を覆われた。吃驚して、息を止めてしまった。瞬きもしないでただ黒崎君の顔を見てた。無表情に私を見てる黒崎君は何を思ってるんだろう。

「自分で価値がないなんて言うなよ」

困ったように眉を下げた黒崎君が、また小さく笑った。

「俺は、おなまえにそれだけの価値があると思ってるから探しに来てんだ」

それから両手で頬を包まれて、無理矢理黒崎君と顔を合わされる。きっと今、顔ぐちゃぐちゃでひどいことになってるんだろうな。まじまじと黒崎君が見てるから、変に緊張してしまう。

「おなまえを責めに来たわけじゃねえ。井上に言えないこととか、俺が聞けるんなら、探してやらなきゃなって思っただけ」

黒崎君の親指が濡れていく。顔を逸らせないのは、黒崎君の手が離れてくれないからだ。

「弱音でもきいてやろーかなって、それだけだ」
「…………」
「言えよ、きくから」


今の私じゃ、人を好きになれないって、姫ちゃんに言われた。その時、じゃあ私が思ってる好きってなんだろうって思った。私が人を好きになっちゃいけないって言われてるみたいで、いやだった。決めつけられるみたいで、嫌だった。姫ちゃんのこと、妬んでるのも本当だけど、でもすごく大切な人だから好きだって思う。その事まで否定されてしまったようで悲しくなった。私の好きな人まで否定されたみたいでいやだったんだ。そこで、私の言葉は途切れる。弱音というより懺悔に近い言葉を形にしたら、案外すっきりしたかもしれない。

「終わりか?」
「……はい」
「そっか」

そう言って漸く顔にあった黒崎君の手から開放された。黒崎君の体温を貰ってしまったのか、頬から耳にかけてすごくあつい。きっと、今真っ赤だろうなあ。ぐちゃぐちゃの顔に真っ赤って…ぼろぼろだよ。

「それ、井上に言ってやれよ」


む、無理かもしれない…!
難問がきました