黒曜石 | ナノ
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教室が見えなくなったところで歩調を速めて秘密基地へ逃げ込む。こんな形で自分を追い込むはずじゃなかったのに。心の奥底に秘めていた本音を面と向かって言えたのに、すっきりするどころかずたずたになってしまった。どうしていつもこう私はうまく出来ないのだろう。どうしていつも、姫ちゃんを悩ませる結果しか生み出せないのだろう。どうしていつもこうなってしまうんだろう。後悔とか自分を責める言葉ばかり出てきて、それが余計に私の心をずたずたにしていく。間違ってないとつっぱねて、押し通した結果がこの様なんだと痛感するたびに、また自分を責める言葉が溢れてくる。やはり私に正解はついてこないらしい。それでも自分のこの意地を今更変えられないし。どこかで姫ちゃんに謝ってほしいとまだ思っている私がいる。私の考えを止めることは出来ない。今回ばかりは、ごめんなさいが言えそうにない。今回ばかりは、ごめんなさいが言えなかった。自分が間違っていたとわかったのに。面と向かってごめんなさいが言えないよ。


****

「お、オイ!一護、おなまえちゃんがっ」
「……あぁ」
「一…黒崎くん、おなまえさんは私が探してきますわ、この場はお任せしますね」
「あ?…あぁ」
「…………」
「じゃあ、俺らも、」
「啓吾ケイゴ、僕達には他にやることあるからさ、一護も朽木さんと一緒に行ってよ」
「…わかった」
「い、黒崎くん、大丈夫?」
「何がだよ?」
「いえ、何でも…」

「一護っ!」
「何だよ、たつき」

出て行こうとする黒崎くんをたつきちゃんが呼び止める。黒崎くんはこっちを見ないから、どんな表情をしてるのかわからない。あたしの肩に手を置くたつきちゃんの表情はとても悔しそうで、苦しそうだった。たつきちゃんのせいじゃないのに。

「どうしてあの子のとこに行くわけ? あの子、織姫に酷いこと言ったんだよ?! あんたならわかるでしょ?」
「それを…アイツに言わせちまったのは誰だと思ってんだよ。アイツの本音まで否定できねえ」

黒崎くんはドアに手を置いて、今にも教室を飛び出して行ってしまいそうだ。一度も、こっちを見ようとしない。

「井上、」
「な、に?」
「アイツ、今頃きっと後悔してると思うんだ」

――― だから、
やっとあたしに言葉を向けてくれたと思ったら、おなまえちゃんの事? だから、何?、黒崎くんはそこまで言って、「わりぃ、なんでもない」 とその話を終わらせてしまった。
だから…泣くな? だから…許してやれ? 言葉の続きはあたしてのもの? それともおなまえちゃんへの? どうして、最後まで言ってくれないの? 勝手に話を中断して黒崎くんは朽木さんと一緒に、教室を出て行ってしまった。
たつきちゃんが隣で「…一護…」 と静かに呟いた。

「織姫ぇ、大丈夫?」

みちるちゃんが泣きそうな顔であたしの顔を覗き込む。そこで思考はストップしてしまった。

「う、うん!ごめんね!」
「無理しなくていいからね!」

「にしても、井上妹もひでーな!」
「あ、…永井くん…」

初めて、おなまえちゃんがあたしにあんな口をきいた。初めて、あたしに正面からぶつかってきた。そうしてほしいと、願ってたはず。いつか話してくれる、って思ってた。おなまえちゃんの本当の気持ちをずっと知りたくて、話してくれるまで待つはずだった。

“姫ちゃんなんて、お姉ちゃんいらなかった”
さすがに、キツイな。本当の気持ちがあんなものだったなんて正直ショックだ。あたしは何を望んでいたかってきかれたら、それは確かにいいものではなかったと思う。覚悟してた、はずだった。けどやっぱり、はっきり言葉にされるとこんなにも胸が痛い。ひどいよ。ひどい…――― ひどい?

それって、……あたしのことじゃないの?

「あ、」

おなまえちゃんにあの言葉を言わせたのは、あたしだ。本音だとしても、おなまえちゃんはきっと希望とわかりあえる期待を持ってたはずなのに。きっとおなまえちゃんの中に残ってたんだ。だからそれを信じてたはず、なのに。あたしが無理矢理引き出して、言わせたんだ。

「井上妹に井上さんの優しさをわけてやりてーよな!」
「だよなあ。あいついっつも下向いてるしさあ」
「井上さんを見習えって感じだよな」

「や、めて…」

クラスに残っていた子たちが次々に“井上妹”って口にする。口口に、井上妹は、ってあたしと比べる。――― 井上妹とあたしって、なに?
おなまえちゃんは妹なんて名前じゃないのに。どうして…みんな。そこまで考えて気付く。どうしてってあたしのせいじゃん。あたしが居るから、おなまえちゃんが比べられる。対象にされて笑われてるんだ。苦しんでるのはおなまえちゃんなのに、あたしが苦しいなんて思っちゃだめじゃないか。

「やめろよお前ら!」
「わ、何だよ浅野」
「そーやってお前らが」
「ケイゴ落ち着いてよ」

先頭切っておなまえちゃんの事を話していた永井くんの胸倉を掴みながら浅野くんが叫んでる。

「お前らがそんな事ばっか言うからおなまえちゃんが苦しむんじゃねーか!」
「な、なに言ってんだよ、井上妹が苦しむ? 今苦しんでんのは井上さんだろ」
「おなまえちゃんはお前らのおもちゃじゃねえんだぞ!」
「浅野くん…?」
「どしたのケイゴのやつ…いつもおとなしいのに」
「井上妹の肩持つなんてねぇ」

浅野くんが、怒ってる。おなまえちゃんのために、

「井上妹って何だよ! どうしておなまえちゃんとして見てやれねえの?! 井上さんのおまけみたいに言ってんじゃねえ!」
「お、落ち着けって! 別にそういうつもりで言ったんじゃな、」
「じゃあどういうつもりなの?」
「水色…」

未だに永井くんの胸倉を掴んでいる浅野くんを永井くんを引き剥がしながら小島くんが笑う。いつもはおどおどしてるくせに、こういう時の彼は本当に強いと思う。

「井上さんを傷つけたのはおなまえさんかもしれないけど、おなまえさんを悪者に仕立て上げたのは紛れもなく君達でしょ?」

笑った小島くんの目は冷たく周りを見据えている。浅野くんや小島くんの言葉が胸にささる。あの2人も、わかってるんだ…あたしよりおなまえちゃんのこと。おなまえちゃんを悪役にして責めるのはおかしい、誰よりもあたしが理解しなきゃいけないのに。あたしなんか居ない方がよかった、なんて…思わせてしまったのは、紛れもなくあたしのせいだ。優しいあの子にあんな酷いことを言わせたのは、被害者ぶってるあたしなんだ。あたしを憎ませるような振る舞いをしてきたのが、あたしなのに。何でおなまえちゃんを責めるの? おなまえちゃんの言葉は全部正論だった。誰よりも人の気持ちがわかるあの子の言葉をどうしてあの時全否定してしまったんだろう。頭ごなしに否定して、おなまえちゃんの本音を否定した。意地張って、結論的におなまえちゃんを傷付けてしまった。なのに、あたしが傷付いてるみたいに振舞って…最低だよ。

“好きって言ってもらえて、人を好きになれる”
おなまえちゃんを認めてくれた人達の存在をあたしは『無』にした。おなまえちゃんをわかってくれる人達のおかげでおなまえちゃんは自分を出せるようになって、人を好きになれたとしたら、あたしはなんて事をしてしまったんだろう。あの子の気持ちを踏みにじって掻き荒らして、あたしは何がしたかった? 何を、してるんだろう。人に好きになってもらう、か。いいところを見つけてもらって、好きになってもらったら…自分にもいいところがあるって少し自分を許せるってこと?

「たつきちゃん」
「ん? どした?」
「あのね…」
「あ、大丈夫?」
「あたしじゃ、なくて…っ」
「…え…」
「おなまえちゃんが、大丈夫じゃないよ」
「ああ、気にする事ないって!」
「ちがうよっ!」

シンと再び静粛に包まれる教室に、あたしの声だけがその場に存在する。みんなの視線はあたしに向けられている。

「あたしが悪いの…」
「違うって! 姫はなにも」
「やめて!おなまえちゃんのこと何も知らないで、あたしばっかり庇うのは、やだ!」
「ひ、…め…?」
「おなまえちゃんに…おなまえちゃんが大切な人達を、あたしが悪く言ったの。おなまえちゃんは悪くないの」

たつきちゃんが心配そうにあたしの顔を見る。みんなの目には、どう見えただろう。健気な姉? 妹を庇う優しいお姉ちゃん? おなまえちゃんがもっと悪く見えちゃったら、どうしよう。鈴ちゃんが苦虫を噛み潰したような表情で俯く。

「おなまえちゃんを否定したから…あんなこと言わせちゃったんだ」

目に溜まった涙が、一筋零れるように流れた。

「みんなのせいだ。あたしが、おなまえちゃんに嫌われたら…!」

本当は、こんなこと言いたくない。けど、みんなにもちゃんとわかってもらわなくちゃいけない。おなまえちゃんが悪者のままなんて、絶対やだ。そのためだったら、あたしがどんな風に思われたって構わない。とことん悪いやつだって演じてあげる。おなまえちゃんの苦しみを半分に出来たらいいのに。

「おなまえちゃんに手あげたこと、ちゃんと謝って」
「………でも、」

たつきちゃんを真っ直ぐ見れない。苦しそうにたつきちゃんが声を発する。「酷い事を言ったのはあの子だ」こっちまで苦しくなる。どこで崩れて、どこまでこじれてしまったんだろう。

「どうして、わからないの? 言わせたのは、あたしやみんななんだよ!」

ちゃんとおなまえちゃんを、見てほしい。あたしがこんな事を思うのはおかしいかもしれない。散々苦しめといて奇麗事で片そうとしてるあたしが一番汚い。それでも、おなまえちゃんと同じ分あたしだって信じてるんだ。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい、おなまえちゃん。ごめんね、ごめんなさい。ごめん。ごめん。ごめん、たつきちゃん。ごめん、みんな。ごめんなさい。ごめん。ごめんなさい。何度だって謝るから、何度でも祈るから。どうか届きますように。あたしの思いが届きますように。おなまえちゃんの言葉が届いてくれますように。

「たつ、きちゃん…!」
「うん、ごめん、」

流れた涙を眉を八の字に下げたたつきちゃんの指が拭ってくれた。

「ちゃんと、わかってるよ。 ごめん」


一人でも多くの人に伝わってくれますように
どうか、どうか