黒曜石 | ナノ
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なぜ、こんなことになっているのだろう。バン、と大きな音を立てられれば、私の動きは止まってしまう。硬直状態が続く中目の前の音を立てた本人は痛そうに顔を歪めていた。

「おなまえちゃん」
「ははははい!」

何がなんだかわからないまま、あたふたしていると、姫ちゃんが玄関の壁を殴りつけて私の意識を姫ちゃんに集中させざるを得ない状況を作った。ヒィ! 思いもよらない彼女の行動に私の混乱は募るばかりだ。ついでに不安も。悪い物でも食べたのかな? だからいつも好き勝手食べ物を混ぜちゃだめって言ってるのに…!

「あたし、この前言ったよね?」
「え、えぇっと、姫ちゃんの言葉は一句一句逃さず聞いておりますが一体なんの事を申しているの理解しがたいです!」
「うむ」
「いや うむって。わからないからね?」
「大好き」
「……は?」
「って、この前言ったでしょ?おなまえちゃんが、人間としても家族としても好きだよって」

何をいいだすかと思えば…胸が締め付けられるような言葉をスラスラと玄関先で並べられた。スーパーに野菜(大根3本から270円ですよ?これは行かない訳にはいかないでしょう!因みに1本100円。3本でお得なのだ)を買いに行く事を思い出して(勿論特売日の事)急いで財布を引っつかんで靴をはいて、ドアをあけたらガツンと鈍い音。吃驚しながら一度あけたドアをしめて、今度はゆっくりドアをあける。と、額にたんこぶを作った涙目の姫ちゃんが立っていた。一種のホラーである。全身の血の気が引いた瞬間だった。脈とか5秒くらい止まったんじゃないかな?
ハッとして慌てて謝ると、涙目のままの姫ちゃんがずかずかと中に入ってきた。必然的に私も後ろに退がる。姫ちゃんと私が完全に中へ入ったところで、姫ちゃんが後ろ手で玄関をしめてしまった。ついでに鍵までかけられた。
えっえっ? えぇぇ?! いつもの姫ちゃんじゃない…!! 某国民的アニメに出てくるネネちゃんのパパのような(ネネちゃんとママがぬいぐるみを取り出し殴りつけているのを目撃した時のパパみたいな)感じになりながら私も涙目になる。姫ちゃんがこわい…! え、なんか珍しく怒ってる? 誰だ、あの温厚天然娘の姫ちゃんをここまで怒らせたのは!…もしかして、私?

――― てな感じで、冒頭に戻るわけだか…。好きとかそういうのは黒崎君に言ってやればいいものを…!てかずっと外に居たのかな? …ああ、大根が…270円が…大サービスが…!いや、そんな事は(非常に名残惜しいのだが)今はよくて。姫ちゃんが私に怒ってるのだとしたら、原因を見つけなくてはいけない。思考を巡らせる。ここ最近姫ちゃんともろくに話していないせいかこれといったものが浮かばない。さて困った。これじゃ謝る事も出来ない。

「でもね、今のおなまえちゃんは…きらいだな」

大根3本270円の事なんてスポーンと一瞬にして消え去った。表すなら、ツイストサーブが顔面をえぐるように直撃したような錯覚を覚えるほどの衝撃的な一言だった(我ながらよくわからない例えだ) き、らい?…目の前が黒く染まっていく。この瞳と同じように、どこまでも深い黒が支配していくような感覚。真っ白く染まって、何も考えられなくなるのとは違くて、真っ黒に染まって“きらい”の一言がリピートされる。

「おなまえちゃんは誰よりも優しいけど、あたし、そんなことされる程弱くないんだよ」
「そんな、こと…?」

私は、姫ちゃんにきらいと言われるくらいの事をして怒らせてしまったようだ。自分は今どんな顔をしているんだろう。(ツイストサーブをもろに喰らったような顔じゃないかと本気で考えてしまった…。鳥肌が立った。)目の前に立っている姫ちゃんは真剣な顔つきのまま言葉を続ける。耳を塞いでしまいたい。それが叶わないのなら切り落としてやりたいくらいだ。でも姫ちゃんがそれを許してくれない。

「どうしておなまえちゃんが苦しむ必要があるのかな、って思ったの。もっとわがままになってもいいんだよ?」
「……意味、わかんない…」
「あたしね、黒崎君が好き。だからっておなまえちゃんにどうこうしてほしいわけじゃないの!」
「う、ん…?」
「あたしは、あたしで頑張れるから、おなまえちゃんも素直に頑張ればいいんだよ、」

そう続けて、きらいなんて言ってごめんね、って困ったように笑った。安心からか私の目からはボロボロ涙が出てくる。思い切り声を上げて泣いてしまいたかったけど、嗚咽を漏れないようにする。泣いてばかりじゃかっこ悪い。

「好きにしたらいいんだよ! あたしに出来るのはこれがせいいっぱいだから」

財布を両手で握り締めたまま、奥歯を食いしばって涙を流す私をあやす様に姫ちゃんが抱きしめる。私は、やっと気付く。私が取った行動は、上出来なんかじゃない。逆に姫ちゃんのプライドを傷つけてしまった。姫ちゃんはそんなお節介を焼かれて満足する子じゃない。もっと、真っ直ぐに物事を考える人だ。自分に出来る事をやれるだけやるような子なんだ。私は、出来る事をしようともしない、そんな子だ。

「こんなこと言うの、おなまえちゃんだけなんだからね!」

少しでも、近づけた気がしていた。まだまだ真逆の境界線は太く引いてあった。

「ね、もう1歩進めたかな?」
「…う、ん…っ」

届かないから、憧れるんだ。全然違うから、焦がれるんだ。届くことがないなら、いっそのこと離れられる所まで離れて突き放してほしいと願うんだ。諦めたくなるけど、もっと追いかけてみたくなるから。だから、私は姫ちゃんをこの世の全てだと位置づけていたはずなのだ。

「黒崎君のこと、好き?」
「姫ちゃんみたい…」
「……ん?」
「黒崎君が」
「おなまえちゃん、ちょっと待とう?」
「……?」


だから恋愛感情とは違うと…
兄弟愛ですか?