黒曜石 | ナノ
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雨の音がした。雨なんて降っていないのに、音が 聴こえたんだ。
雨の音が奏でたメロディーは、酷く悲し気で、嫌に耳に残った。

わかってたはずなのに。久々に姫ちゃんが、遊びに来てくれて、珍しく2人で夕食をとって…なんとなくテレビをみて。本当に、何もかもが“日常”の中にあるもので、だからこそ私は戸惑ったのかもしれない。変化とか、雰囲気とか。…私自身への違和感なのか姫ちゃんに対しての違和感なのか。姫ちゃんの事でも今回ばかりは私でもわからない。気持ちは読めても思考までは伝わらない。何がわからないのかと訊かれたらそれすらもわからないで終わりそうだ。姫ちゃんの、空気がいつもと違ってて、思い切って訊いてみたんだ。張り詰めていた空気がピン、と何かに触れたように震えた気がした。

「どうしてかなあ」

そう話しだす彼女の顔は無表情だった。思えば、私は何度も、見落としていたのかもしれない。気付く切っ掛けはいくらでもあっただろうし、ただ気付きたくなかっただけなのかもしれない。また逃げるのか自分。

「今日は一緒にご飯食べようよ!」

そう誘ってくれた姫ちゃんの声こそ元気そうだったけど、私と目を合わせてくれなかったんだ。いつもは、自分からのぞきこんでくるように見詰められるのに、今回はただ、どこか彷徨った所に彼女の瞳は向かっていた。どうしてあの場で、気付けなかったんだろう。気付いていたはずなのに、ここまでズルズル引きずってきてしまったのか。それはきっと、私の直感がそれが地雷だと知っていたから…。時間がたつにつれて張りつめていく空気に耐え切れなくなる寸前に、思い切って自ら地雷を踏んだ。無表情のまま瞳を伏せた姫ちゃんを私は前にも見た事がある。また、そんな顔をさせてしまった。無理に笑う事もせず、誤魔化そうともしない姫ちゃんは以前とはまた違った苦しみを抱えているのだろうか。表すならまさに『無』だ。

「ねえ、おなまえちゃん」

冷たい声音というよりも、距離を置かれたような声。置いてけぼりにされているような、そんな感じ。鈍器で殴られたように全身が麻痺した、ような感覚に眩暈が起きる。目の前が真っ暗だよ。無言のまま姫ちゃんと目を合わせる。姫ちゃんの瞳は私に何を求めていたんだろう。救い? 怒り? 癒し? 考えたところで私にはわからない。ただ、私をその大きな瞳に映していた。私を見ているはずなのに、ずっとずっと私の奥と、何か他のもっと遠くにあるものを見ているような、目。相手は姫ちゃんだ。嫌いと好きがない交ぜになっていた私の中に混乱が生まれる。混乱、なんてまあよく考えればしょっちゅうの事だけれど。怖い。ずっと味方だと、最大の味方だと思っていた姫ちゃんに、裏切られた感じがして怖かった。嫌いとか言っておきながら私は姫ちゃんに頼っていたなんて、きいて呆れる。離れて欲しい、離れないで、矛盾している考えに頭痛さえ覚える。

「あたしね、おなまえちゃんの事大好きだよ」

私もだよ。姫ちゃんの事好き。大切なお姉ちゃんだよ。それを声には出さず飲み込んで、こくんと一つ頷いて見せた。ねえ、どこからおかしくなってしまったのかな?

「でも、おなまえちゃんの好きとは違った…好きがあって」

たつきちゃん達とも違うんだぁ、と小さく漏らした姫ちゃんを見て私の中の警報が鳴った。揺れる事もなく淡々と話す姫ちゃんの言葉の一つ一つをゆっくり噛み砕いて私の中に溜めていく。この先に出てくる言葉が手に取るようにわかってしまった。否定したい、警報が告げている。聞きたくない。わかってたはずなのに、忘れていたわけじゃない。わかっていたから境界線を引いていたのに。本当は、早くこうなる事を望んでいたのかもしれない。姫ちゃんを理由に戒めにしたかった。

「…黒崎君…」

ドクン、頭の中が揺れる。感情を押し殺すように唇を噛み締めた。

「好き、」

好きなの、最後の方は聞こえなかったけれど、『好き』の二文字がやけに大きく耳の中に入り込んで更に脳を揺らす。何故か込み上げてきた涙を素早く飲み込んで、小さく笑みを浮かべて「バレバレだよぉ」とおちゃらけた様に声を上げる。知ってたよ。姫ちゃんの話しの中心にはいつも黒崎君がいたんだもん。姫ちゃんが話してた“黒崎君”と席が隣りになって、姫ちゃんが話していた彼を知って、姫ちゃんの気持ちを理解したような気でいた。とんだ勘違いだ。姫ちゃんを理解したんじゃない。私が理解させられたんだ。心では認めたくて、頭の中では否定してた。認めてしまったら、私は2人を失ってしまうと思っていたから。

姫ちゃんに嫌われてしまったら、黒崎君に笑いかけてもらえなくなってしまったら…それが本当の終わりのような気さえしていた。私の世界が閉じていくような。自分の気持ちがわからない。否定し続けた気持ちは黒崎君への“好き”なのか、違うのか。もしこの気持ちを恋と言うのならば、私に出来る事なんてないのにね。好きになったのは姫ちゃんよりもずっと後、姫ちゃんの好きに勝るものでもない。何より、姫ちゃんを敵に回すなんて私には出来なかった。勇気がなかった、んじゃない。それは絶対にしてはいけない事だと私が誓っているから。今の私は、なんて滑稽なのだろう。

「黒崎君、いい人だから、姫ちゃんを任せても安心、かな!」
「おなまえちゃん!何言ってるの!」

無理に笑って、合わせて。そんな自分を私自身が下した評価は上出来。これでいい。笑って、笑って、抱く気持ちを私の中に沈めてしまおう。

「わ、外もう真っ暗だよ!…あたし、そろそろ帰るね」
「じゃ、そこまで送って…」
「いいよいいよ!」


傘を渡さなくちゃ。なのに足が動いてくれない
雨が、降り出す