走る | ナノ
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・・・・・ 65・・

夏休みだというのに合宿のせいで朝早く起きなくちゃいけないなんて…。けたたましくなり続いている携帯のアラームを欠伸を漏らしながら止める。今日のスケジュールの流れをまだ完全に覚醒していない中確認する。夏とはいえ早朝は冷える。腕をさすりながらひんやりとした夏の朝の心地よさに目を閉じ大きく息を吸う。早起きは苦手だけど、朝独特の空気、静けさを味わうのはなんかいいな。これが所謂早起きは三文の徳ってやつ?

朝ご飯を準備して昼の下ごしらえまで終わらせて一息吐いたところでぞろぞろと食堂に選手たちが入ってくる。朝ご飯は自分たちで取ってもらって、使用済みの洗濯物を洗濯機にぶっこむために走る。昨日ジロ―に使用済みのパンツってどうすんのってふつーのテンションで聞かれたときは思わず絶句してしまったことを思い出した。これも仕事だと自分に言い聞かせ、洗いますとジロ―相手に敬語を使ってしまった。その後じゃあこれよろしくね〜って履いてたパンツ手渡されそうになった時は本気でどうしようかと思ったけど岳人がうまく回収してくれてよかった…。私の中の何かが確実に失われていくのを感じながら洗濯機に衣類を詰め込んでいく。ああ、私、いいお嫁さんになれそう!

朝からすでに汗ばんできた身体を構う暇もなく次は外での仕事が待っていた。ドリンク作ってタオルまとめて、そうだ昨日はコートでの仕事のほとんどを中尾くんに任せてしまったから今日はちゃんとしなければ。
ドリンク作りの為に水道まで来れば既にドリンク作りをしている中尾くんと目が合った。

「みょうじさん、どこ行ってたんですか」
「ごめん洗い物してた!」
「そうですか、これ出来上がったんで手塚さんのチームにお願いしていいですか」
「ういっす!」

今日はちゃんと仕事してくださいねと念押しされながら、ドリンクが入った籠の隙間にタオルを詰め込んでいく。
行ってきますと元気よく歩きだしたはいいけど、中身が入ったボトルに籠タオルの重さは私の歩みを簡単に遅くする。いやこれ腰やられそう軟弱だぞみょうじとか真田くんあたりに言われそうだけど結構本気で腕取れそう。
重い重い腕痛いもげそう、一人心の中で弱音を吐きながらコートに入る。手塚くんのチームのベンチに籠を置いてから近くにいた、不二くんに声をかけた。この人不二くんだよね?ってちょっと不安だったけどすぐに返事してくれたから間違ってなかったみたい、よかった。

「ドリンクここに置いておきますねー」
「ありがとう。頑張ってね」
「うん、不二くんも練習頑張って」

他のグループの分もあるから行くね、と話を切り上げて踵を返す。あとは精市くんのチームと跡部のチームか。ドリンク配り終わったら洗濯物干しに行かなくちゃ。自分の中で段取りを組んでいると自分以外の足音が着いてきてることに気付いて、振り返ると不二くんが柔らかい笑みを浮かべながら「やあ」と片手をあげた。そんな偶然だね、みたいな感じを出されてもな…!

「どうしたの?」
「他にも跡部と幸村の所にドリンク持って行くんでしょ?」
「うん、そうだけど」
「みょうじさんの手伝いをしようと思ってね」

隣に並んだ不二くんが微笑む。綺麗な顔立ちしてるよなあ、なんて見つめていれば何を感じ取ったのか眉を下げて「ダメかな」と不二くんが小首を傾げた。いやなんかもうそんな顔されたら断れるものも断れないんですけど。

「ダメじゃない!むしろ助かるんだけど、不二くんの練習の邪魔してない?」

ていうか不二くん腕細いし、私より力ないかもしれないじゃん。籠持ちきれるの?

「ふふ、大丈夫こう見えて僕力持ちだから」

私の思考が読まれてしまったのか、不二くんは笑いながら自分の腕を曲げて見せた。力こぶ全然見えないんですけど。華奢な不二くんに重い物を持たせることと、彼の練習時間を減らしてしまう事への罪悪感を感じながらそれじゃあとお願いすれば彼は満足げに任せてと笑った。やだこの人立ち振る舞いが王子様みたい…。
背後にバラ園が見えた気がして目を擦ってる間に、不二くんは出来上がったボトルが入った籠を中尾くんから受け取っていた。

「目にゴミでも入ったかな?」
「いやちょっとバラが見えて…」
「バラ…?」

私の心配をよそに不二くんはひょいと籠を持ち上げ軽い足取りでコートへ戻って行った。さすが男子、さすがテニス部レギュラー…見かけによらず力持ちな不二くんに感動していると、中尾くんがボトルとタオルが入った籠を持ちながら隣に並ぶ。

「それじゃ俺はこれを跡部部長の所に持って行きます」
「はい!」
「みょうじさんは応援お願いします」
「了解」

急いで洗濯物を干しに行き、朝の内に仕込んでおいた昼食の準備に取り掛かる。お昼までもう時間があまりない、急がないと。
なんとか昼の準備も終わり、そのままコートに向かい使用済みのタオルとボトルを回収する。そのままレギュラー陣と一緒に食堂に入って今日は皆と一緒にテーブルにつく。昨日は皆が来る前に適当に済ませてしまったけど、やっぱり誰かと一緒に食べる方が賑やかで楽しい。ご飯もおいしい。

「なまえさん、おつかれさま」
「精市くんもおつかれさま!」

お盆を持った精市くんがよかったら一緒にどうだいとお盆を空いた席に置いて椅子を二つ引いた。

「何か変な感じだね」
「何が?」
「こうやってお昼に精市くんとご飯食べるのが」

昨晩も目の前に精市くんの姿がないことが少し違和感があった。夜は大体、精市くんとゆんちゃんと歩弓さんと一緒に食べてるから、一人で食べるご飯があんなに寂しいものだと思っていなかった。

「そうだね。昨日もなまえさんがいないのは変な感じだったよ」
「私も寂しかった…」
「あれ俺寂しいなんて言ったっけ」

しまった、そう思ってももう後の祭り。精市くんは変な感じだとは言ったけど寂しいなんて言ってない。自分の失言にだんだんと頬が熱くなってくるのを感じながら口が勝手にぺらぺらと言い訳を並べだす。昨日は一人で食べたから寂しかったとかだから何だよって思われそうなことを並び立てていく内に、何故かだんだん悲しくなってきて、頬の熱は収まったけど精市くんの顔を見ることが出来なくなって顔を下に下げてしまった。「赤くなったり青くなったり忙しい人だよね」そんな言葉が頭の上に小さく降って来た。仰る通りでございます。

「昨日一人で食べたの?」
「うん」
「ちゃんと食べた?」
「食べたよ!」

昨日のご飯は一人だったせいか味気なかったな、なんて思いながら顔を上げると目を細めてこちらを射貫く様に見つめている精市くんと目が合った。どこか探られているようで居心地が悪いその目から逃れようと目線を下げてみるが、精市くん視線が自分に集中してるのが伝わってきてそれ以上の拒否を許してくれない。

「仕方のない奴」
「え…?」
「自分のこと後回しにして適当にしてないならいいけどね」

どういう意味だと訊ねる間もなく精市くんはテーブルに手をつき立ち上がると辺りを見渡した。そして目当ての人物を見つけると名前を呼んでこちらへ来るよう言う。突然の招集に首を傾げながらも素直に集まった面々に満足気に微笑んだ精市くんは「突然驚かせてすまない、一緒に食べようと思ってね」そう言ってそのまま席に着く。

「おい幸村」
「何だい跡部」
「なんだこの面子は」
「なまえさんと仲いいメンバーだと思うけど」

集められた跡部、岳人、ジロ―に丸井くんに仁王くんはわけも解らないまま周りの空いている席に腰を下ろした。

「アーン?」
「なまえさんが寂しいんだってさ」
「なにお前寂しかったの?なんで?」
「べ、別に岳人がいなくて寂しいとかはないんだけど」
「俺だって別にお前がいなくても全然寂しくねえけど」

まあまあと睨み合う私と岳人を宥めたジローは付け加えるように「向日も口を開けばなまえの名前出すのに意地張るのよくないC」言って、一足先に「いただきまーす」と食べ始めてしまった。そうか岳人は私がいないところでは私の話ばっかしてるパターンか、可愛い奴め。ふふんと勝ち誇った顔で岳人を見れば「可愛くねえ奴」と、可愛くない言葉を返してきた挙句私のお皿にキュウリを寄越してきた。信じられない。明日の朝ご飯に納豆出してやるつもりだったけど岳人だけ卵かけご飯にしてやる。…いや、卵かけご飯なら、むしろご褒美だ、むしろ私が食べたい。

「まあたまには珍しい面子で飯もアリだよな」
「合宿の醍醐味じゃな」
「それならなまえは青学の連中と食った方がいいんじゃねえ?」
「私人見知りだから自分から誘いに行けない…」
「アーン?人見知り…誰がだよ?」
「じゃあ明日は青学も呼ぼうか」


そう言って精市くんが顔を覗き込む。精市くんっていつからこんなに優しくしてくれるようになったんだろう。きっともっと前だったら、やっぱりなまえさんって嫌われ者だったんじゃない?とか笑いながら言ってきそうなものなのに。いや流石に精市くんそこまで意地悪じゃないか…いや、割といい線いってるかも、なんて失礼なことを考えていたら、照れて顔を反らしたままの頬を思い切りつねられ無理矢理 精市くんの方へ顔を向かせられた。

「今失礼なこと考えただろ」
「か、考えてません!精市くんって優しいんだなって感動してたの!」
「もしかして今まで優しくないと思ってたんじゃないよね?」

あ、やっぱ意地悪でした。

「オイ」
「どうしたの跡部、おいしくなかった?」
「飯時に目の前でイチャついてんじゃねぇよ」
「はっ!?」
「へぇ…跡部にはそう見えるんだ」

私の頬から手を離した精市くんが口元に手を持って行きくすりと笑う。「普段通りにしてるだけなのにね?」跡部を笑顔で挑発した精市くんが、ね?と同意を求めてくる。確かに頬つねられたり日常茶飯事なのは確かだけど、何でだろう…「うん」と首を縦に振りづらい。
えーと、なんて言葉を濁らせている私を助けるつもりはないらしい他のメンバーは楽しくおしゃべりしながら食事を楽しんでいる。おい、助けろよ!
跡部と精市くんが互いを睨んでる横で他の4人に視線を送るけど無視された。薄情な奴らめ明日はまとめて卵かけご飯にするぞ。いやそれじゃただのご馳走か。

どうしようか考えあぐねていた私の傍から突如、大声が各所から響く。離れた席からも聞こえてきたことにどうしたんだと精市くんと跡部の目が他に移り、なんとか切り抜けられたと安堵したのも束の間、同じタイミングで漬物を食べた丸井くんと岳人が水!水!と騒ぎだし慌てて傍に置いてあった水を差し出す。

「どうしたんじゃ」

勢いよく水を飲み込んだ丸井くんが「変なとこに入った」とまた騒ぎ出す横で仁王くんが「世話の焼ける奴じゃのう」とその背中を摩っている。その前ではジローが「丸井君!大丈夫?死なないで!」と慌てふためいている。皆慌て過ぎだよ!そう思いながら丸井くんに水のおかわりをコップに注ごうとしたら手が震えてジローの手に注いでしまったから、案外私も落ち着いてないようだ。丸井くん死なないで!

「しょっぺぇぇぇ!」そんな声が色んなところから聞こえてくる。岳人が何度も連呼する横で、そんなに?と疑問を抱いたジローが何の躊躇もなく先ほど岳人達が口にした物と同じものを食べ、岳人と同じような反応をしていた。ジローはただの自爆だ。

「こ、この漬物、みょうじが…?」
「そうだけど」

どうかした?と首を傾げてみるけれど、その理由は今しがた聞こえてきた声のせいで解りきっていた。原因はこの漬物の塩辛さだということに。

「すんげえしょっぱいんだけどこれ」
「くそくそなまえ、作り方間違えらんりゃねえの!?」

呂律も回らず、息も絶え絶えに岳人が悪態を吐く。
皆ちょっと大袈裟じゃない? そーんな、しょっぱく、ない…よね?


「夏の外での運動は塩気が足りないとバテちゃうんだからね!はい、残さず食べる!そんで午後も頑張ろう!おう!」
「…キャラ変わっとるぜよ」


(そういう事にしといて)
塩分摂取