走る | ナノ
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・・・・・ 62・・

跡部達がいるコートにもドリンクとタオルを運んで、水道に戻る。
コートのことは中尾くんに任せて、そろそろ晩御飯の仕込みを始めなくては夕食に間に合わなくなるかもしれない。なんてったって人数が20人以上もいるのだ。

食糧庫に業務用の冷蔵庫、食材は十分すぎるほど揃っている。すごいこの炊飯器5升も一度に炊ける…さすが業務用。
ご飯が炊きあがる前に他のおかずを準備しなくては。跡部が凄く大雑把に書いてくれた1日のスケジュール表でみんなの練習が終わる時間を頭に入れる。それまでにすべて終わらせなくては。
この大人数だと野菜の皮向いて切ってするだけでもかなりの時間がかかるということを痛感した。永遠に終わんないかと思った…!
バタバタと動き回り、全部のテーブルを拭き終えてから時計を見れば練習が終わる30分前を指していた。なんとか間に合ったけど自分の中で設定していた時間よりもだいぶ押していたことに気付く。

疲れたなんて言ってる暇なんてない。そのままコートの方へダッシュで向かう。中尾くんに全て任せてしまって申し訳ないな。

「中尾くん任せっきりにしちゃってごめんね!」
「あ、みょうじさん…ちゃんと応援してくださいね」
「はい!」

ベンチに置いてある空のボトルを籠に適当に放り込みながら一番奥のコートを見ると、ちょうど精市くんと岳人が試合をしているところだった。
精市くんがボールを高く真上に放つ。垂直に投げられた黄色いそれを自然と目が追ってしまう。下に降りてきたと思ったらそれは一瞬にして消えてしまった。再び精市くんがさっきと同じようにボールを上に放った。目を見張るくらいに、お手本のような綺麗なフォームから打ち出された球はあっという間もなく、岳人がいるコートに落ちた。
精市くんの動きから目が離せなくなる。テニスをまったくといっていいほどしたことのない私でも、精市くんのフォームに無駄がないことが解る。
宮城さんと一緒にテニス部の練習試合を見に行った時のことを思い出す。あの時は真田くんとのダブルスで、精市くんはただコートの中でひたすら佇んでいるだけだった。“テニス”を“試合”をしている精市くんを見るのはこれが初めてだ。ずっと見ていたい、そんな気持ちが沸いてきたところに名前を呼ばれ意識が精市くんから自分の元へ戻ってくる。

「どうしたんだよ、ぼーっとして」
「ジャッカルくん」

自分の手が止まっていたことに気付く。気分でも悪くなったか?そう言いながら顔を覗き込まれる。

「ご、ごめん…大丈夫…!」

頭をゆるゆると首を振る。なおも心配そうな目を向けるジャッカルくんにこれ以上心配をかけるわけにもいかず、無理に笑顔を向ければ眉を顰められた。え、そんなに私の笑顔ってアウトなのかな。

「顔、赤くなってるぞ。ちゃんと水分補給してんのか?」
「してるよ!暑いからだよ」

やっぱ夏だねえ、なんて言いながらジャッカルくんが持っている空のボトルをぶんどって籠に放る。

「じゃ、ジャッカルくんこそ顔真っ黒だよ!日焼けのケアもしないとダメですよ!」
「あぁ、焼けちまったかな…ってこれは自前だ!」

あはは、誤魔化すように笑って籠を持って逃げるように走り出す。コケんなよー!と後ろからジャッカルくんが言う声に振り返らずに返事する。
そのまま洗濯場へ向かい、使用済みのタオルを洗濯機に突っ込んだ。スイッチを押す音と小さく呟いた声が重なる。

「…言えるわけない」

自分の顔が赤くなってるなんて言われるまで気付かなかった。理由は解っていたけれど。それをジャッカルくんに正直に打ち明けることは出来なかった。どんどん熱くなる頬を抑え目を閉じる。

「…あつ…」

ごうん、ごうん、と洗濯機が音を立て始めたのを聞きながら、うるさいくらい鼓動する心臓を抑えるように手を握れば思い浮かぶのはサーブを打つ彼の姿。脳裏にちらつかれたんじゃおさまるものもおさまらない。出てけ出てけ、念じながら頭を強く横に振ると今度は眩暈が起きる。何をしてるんだろう。馬鹿みたい、本当に―――

「言えないよ、」


―――精市くんに見惚れてたなんて



頬を伝ってきた汗を拭い強引に気持ちを切り替えて、コートへ戻る。そろそろ練習が終わる頃だ。空いたボトルやタオルの回収に備品の片づけ、他にもやることはまだまだ残ってるんだから、気持ちを引き締めなくちゃ。これ以上中尾くんの負担は増やせない。



(時間が止まってしまう)
リナリア