走る | ナノ
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・・・・・ 59・・

青学の皆さんとの挨拶も終わり、各々が好きに話し始めたところから少し離れる。立海レギュラーの皆を覚えるのにも苦労したというのに、再び10人近くの名前を覚えることになるとは…。名前覚えるの得意じゃないんだけどな、そんなことを内心愚痴りつつ一人ひとりの名前と顔を確認していく。名札をつけてほしいくらいだ。

「氷帝遅くねぇか?」

辺りを見回しながら声を上げたのは青学の桃城くんだった。それにつられて皆の会話が中断され、氷帝の存在が話題に上がった。
皆を呼んでおいてロビーの前で待たせるなんて何様だというのか。跡部様か。

「氷帝ならもう来てますよ」

そう言って先ほど降りたバスの方を指す。青学と立海が乗ってきたバスの奥にもう1台バスがある。彼らはすでにこの施設に到着しているのだ。

「向こうのコートにいるか中の会議室にいると思います」

とりあえず中に入ろうと提案して皆をロビーの中へ向かわせる。まさか自分たちだけですでにコートを使っているとは思えないし勝手に始めるわけにもいかないだろうし、かといってロビーで私たちを待っている様子もない。中に入ってすぐに大きな会議室のような広い部屋がある、恐らく皆はそこにいる。


「ねえ」
「はい?」

声をかけてきたのは越前くんだった。その隣には桃城くん。すごい私結構名前覚えてる。この二人はもう完璧に覚えたね。

「何でコートの場所とか知ってんの」
「あ!そーだよ何で知ってんだよ!」
「…えーっと…実は私透視能力があって…」
「マジか!?」
「嘘だよ」
「な、なんだ嘘かよ」
「当たり前じゃないスか」

透視能力なんて、と軽く桃城くんを睨みつつ口を尖らせて帽子を深く被りなおす越前くん。

「ここには前に何度か来てるから」それだけ答えて、何で、そう言いたげな二人を無視して背中を押す。別に隠しているわけじゃないし、後でどうせ解ることだ。今この二人だけに説明しなくてもいいだろう。するなら全員揃っていた方が訊かれるたびに説明するよりいい。


中に全員入ったのを確認して、会議室へ案内しようとした矢先によく知った声がロビーに響いた。

「よぉ、早かったな」

奥からやって来たのはこの合宿を企画した跡部だ。皆の視線が自分に集まったのを確認すると満足げに口元を歪ませ、奴はよく来たななんて偉そうに言う。確かに集合時間には少し早いのだが、自分が寄越したバスの到着くらい把握してほしいところだ。

「皆揃ってるな、案内する付いてきな」――― 全員いることを確認した奴、跡部はそのまま踵を返し皆を先導する。半分ほど体を反転させた跡部があることに気付きその動きを止め、そのままゆっくりと体を戻した。珍しく驚きに顔を歪ませた跡部が私を凝視している。めちゃくちゃ声出して笑ってやりたい。
跡部の視線の先を皆が追う。その先にいるのは勿論私なのだが、さすがに全員に注目されるのは恥ずかしい。

「何で、お前がここに…」

小さく呟いた声がロビーに響く。皆の目が奴と私を行き来するのを感じながら跡部に向かって片手をあげ挨拶する。

「サプライズプレゼントはお気に召したかな?」
「ハッ、最高じゃねーの!」

くしゃりと笑った跡部に心の奥がきゅっとなる。ああ、久々だ。ちょっと前に会ったはずなのに、やたら懐かしく感じてしまう。

「みょうじさんって跡部と知り合いなのかい?」

立海生の一部を除く皆の思いを代弁するように大石くんが不思議そうに口を開いた。

「ちょっと前まで氷帝にいたの、跡部のことは生徒会長だったから知ってるんだ」

全員揃ってるところで言えてよかった。これで一人ひとりに説明する手間も省ける。

「…だから知ってたんだ」

透視能力じゃなかったね。言いながら越前くんが勝気に笑う。インチキだってバレちゃった。




部長同士の挨拶もそこそこに、今度こそ会議室へ向かう。

「おい」
「あ、跡部久しぶり」

いつの間にか隣に並んでいた跡部に声をかけられたので、改めて挨拶する。この合宿場のせいもあってか、気持ちがどんどん氷帝生の頃に戻っていく。違う、私は立海の生徒だ。確認するようにぎゅっと自分の制服のスカートを握る。流されちゃダメだと言い聞かせる。

「お前、テニスのルール解ってんのか?」
「ま、まあね」

ぎくり、心の中にそんな効果音が響く。跡部は私がテニス自体にさして興味がないことも、ジロー達の試合を何度か見た程度のド素人だということも知っている。
跡部には見透かされたかもしれないけど、この1か月間なんとか自分がする仕事を勉強したがルールだけは未だに曖昧なままだった。話を逸らすように跡部よりも大きな声で「ていうか!」と切り出した。色々訊かれたらボロが出そうだ。跡部相手にボロを出すとか出さないとか意味がなさそうだけど。

「跡部がケチってメイドさんとか置いてくれないから私が来るはめになったんだからね!」
「あぁ…まさかお前が来るなんてな…誤算だった」

跡部がわざとらしく悩まし気に息を吐いた。やっぱ私が誤魔化したの気付いたかな。

「ジロー達は知ってんのか?」
「驚かせようと思って何にも言ってない」

幼馴染の驚く顔を想像するとついつい口元が歪んでしまう。あの二人の顔を見るのが楽しみで楽しみでしょうがない。
岳人め、よくも合宿にうちが来ること黙ってたわね。これは半分岳人へのお返しだ。

「合宿に集中できるといいけどな」
「え?」
「お前に会えたのが嬉しくて合宿に身が入らねぇんじゃ話になんねぇだろ」

跡部の言いたいことが解って胸の中が痛くなる。その通りだと思った。私を気にして岳人達が自分のすべきことに集中できなくなったらどうしよう。緩んでいた顔が一瞬で強張る。そこまで考えていなかった自分が、今までどこか浮かれていた自分がとても恥ずかしい。

「ごめん、私もしかしなくても迷惑だった」
「んなこと言ってねぇ」

言い方が悪かったな。そう言いながら跡部が会議室の扉に手をかける。あ、どうしよ、ここを開けてしまったらもう後戻りできそうにない。跡部の手を止めて、今からでも誰か使用人を呼んでもらえないか頼むべきじゃないのか。
跡部の手を止めようとするも叶わず、そのまま扉は開かれてしまった。

「ンなしけた面してんじゃねえ、堂々としてろ」

間抜けにも眉が垂れた私の眉間を跡部の長い指がはじく。軽い痛みに目を閉じる。その間に跡部は一人先に中へと入っていく。皆が跡部に続きぞろぞろと中へ入っていくのを扉の影で見送っていると、目の前に腕がすぐそばにある壁に向かって伸びてきた。突如目の前に現れた腕にびっくりしながら腕の主を見る。

「なまえさん」
「せ、精市くん」

眉間に皺を作った精市くんが私を見下ろしている。自然と背筋が伸びる。どことなく怒っているような不機嫌そうな表情をしている彼は「跡部に何を言われたか知らないけど」そう前置きして、伸ばしていた腕を下した。

「いいかい、君は今回うちのマネージャーとして来てるんだからね。君は俺が必要だと思ったから連れてきたんだよ」

不機嫌な表情とは裏腹に、彼から発せられた言葉はひどく優しいものだった。いつも憎まれ口をたたいてる彼が、こんなに優しい言葉を私にかけるなんて…。明日はきっと雨か霰が降るに決まって………

「君がいいから声をかけたんだ」
「あ、ありがと…!」

何故精市くんが私を慰めるような言葉をかけてくれるのか不思議でたまらないが、彼の言葉は居場所をくれたように優しく心の中に鎮座した。別に跡部の言葉に傷ついたわけじゃない、ただ本当に自分がこの合宿で誰かの邪魔になると考えたら恐ろしくなった。岳人やジロー達のために来たつもりじゃなかった、それでも彼らに会えるのが嬉しかったし合宿という意味を本当のところで甘く見ていた自分を跡部に見透かされたようで情けなくなった。
忘れてはいけない、私は立海のマネージャーとして合宿についてきたのだということを。遊びに来たわけじゃないということを頭の中心に叩き込むように力強く頷く。同じように精市くんが頷く。

「この皺は邪魔だよ」

跡部に弾かれた所と同じ場所を精市くんの第二関節が撫でる。

「なまえさん、行こうか」

ほら、と背中を押され中に入る。先に中に入った人たちはすでに席に着いている。一番前で立っているのは手塚くんと跡部のみだ。
見慣れた青が目に飛び込んでくる。

「え……?」

一番奥に座っていた岳人が私に気付き、口をぽかんと開け目を大きく見開いた。騒がしかった室内の音が止んだ気がした。

「なまえ?」

岳人が私の存在を確認するように名前を呼ぶ。それに答えれば岳人は隣で腕を枕にしているジローの背中をバシバシと叩きだした。ジローは相変わらず寝てばっかだな。
少し視線をずらすと仁王くんもジローと同じような恰好で寝ている。あの人も大体寝てるよね。

「オイ!ジロー起きろよ!」
「何〜?もう試合すんの?」
「バッカ寝ぼけてんじゃねーよ!なまえ!なまえがいるんだよ!」
「なまえ?…何で?」
「知らねーよ!」
「向日の方が寝ぼけてんじゃないの…なまえがこんなとこにいるわけないC」

目をこすりながらゆっくりと体を机から離したジローが眠たそうに喋る。岳人が隣で興奮気味にホラ!ホラ!と騒いでいる。突然騒ぎだした岳人に皆の注目が集まり会議室の中が岳人の声でいっぱいになった。皆さんどうぞおしゃべりを楽しんでてください、なんていう私の願い空しくジローが私を目視した瞬間に「えーーー!」なんて大声を上げる。

「なまえ!?」
「な!」
「マジマジ何で!?」

身を乗り出したジローは今まで寝ていたとは思えないほど俊敏な動きで距離を詰めてくる。なまえー!久しぶりー!といつものように抱きついてこようとしたジローを交わす術もなく待ち構えてれば、腕を引っ張られてジローが目の前から消えた。
照準を失ったジローはそのまま私の後ろにあった壁に頭から突っ込んだ。

「ジロー!!」

岳人と私の声が重なる。頭を抱えながら蹲るジローに二人で駆けよる。岳人がジローの頭を乱暴に確認しながら「これ以上コイツの頭の中から何か抜けたらやべーよ!」なんてズレた心配をしていた。言いたいことは解るけど。ホッとしているとジローが手を握ってくる。

「いってぇー!」
「そりゃ痛いよ!」
「でもじゃあ夢じゃねーんだ!」

顔を覗き込むと涙目になりながら嬉しそうに頬を綻ばせるジローがいて、つられて頬が緩んだ。よかった元気そうだ…!

「代わりに確かめてくれてサンキュー」
「なまえも避けんなよ!」
「いや、私は受け入れるつもりだっ…」
「大丈夫かい?」

私の言葉を遮って3人の間に入って来たのはジローを壁に激突させた犯人ともいえる精市くんだ。
ジローに手を貸し立ち上がるのを手伝いながら「ごめんね」と謝る。

「彼女は君たちに会いに来たわけじゃないんだよ」

にこり、目に弧を描き微笑む精市くんを前に顔が強張る。何度目かも解らないほど見ている彼のその表情は笑っているはずなのに、研いだ冷たい刃物で背中を撫でられているような心地を覚えさせる。いつでも切りかかれるんだぞと言われているような感覚に私は未だに慣れないでいる。慣れる人がいるのかどうかさえ怪しい。

「立海のマネージャーとして呼んだんだ」

岳人がぎこちなくそうなんだと答えた傍でジローがへえなんて気の抜けた返事をしながら精市くんを見上げた。

「でも、なまえがここにいるなら俺めちゃめちゃ頑張るC!」

ニカッと音が聞こえてきそうなほど眩しい笑顔を向けたジローに思わず手で庇をつくる。

「めっちゃやる気出てきた!なまえにいいとこ見せれるように俺頑張るから!」
「俺もお前にかっこ悪ぃとこ見せたくねーしな!」

ジローの物怖じしない言動に緊張が解けた岳人も負けじといい笑顔を作る。

「ドアに突っ込んでる時点でジローはいいとこ見せれてないからね」
「あんなんノーカンっしょ!」
「可愛くねーこと言ってんじゃねえよ!」
「岳人が私に可愛いって言ったことないじゃん」
「じゃあお前が可愛くないんだろ」
「なまえは可愛いよ!」
「ありがとうジロー」
「クソクソ、ジロー思ってないこと言うなよ!」
「向日こそ思ってないこと言うなよ」
「はぁっ!?」
「岳人やっぱり私のこと、可愛いって…」
「思ってねーよ!むしろ俺の方が可愛いだろ!」
「あ、あながち間違ってない…!」
「なまえ負けんな!頑張れ!」

ぎゃーすかぎゃーすか騒ぐ私たちに痺れを切らした跡部からのお怒りが飛んでくる。げげ、3人で顔を見合わせるが何の意味もなく岳人とジローは樺地くんによって仲良くお持ち帰りされて行った。
成り行きとはいえ放置してしまった精市くんが笑顔で私の背後に立っているのは振り向かなくても解った。黒いオーラのようなものを背負ってることも。
じゃあ私3Bだから!なんて意味の解らない言い訳を早口に告げそそくさとその場から離れ、未だに寝ている仁王くんの隣へ滑り込む。
あ、丸井くん居ないから3B成立しないじゃん!



(逆に起爆剤になったか)
取越苦労