走る | ナノ
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・・・・・ 39・・

次の授業が移動教室ということをすっかり忘れていた私は、いつもどおり授業の始まる1分前に教室のドアを開ける。次の授業が移動教室だったと思い出したのは、教室内がいやに静かだったからだ。そして思い出す、そういえば女子は今日図書室に集合するんだったと。そして男子は体育授業だったなとぼんやり頭の隅で考える。そして気付く、わたしはもしかしてもしかしなくてもあまりよろしくない空間に足を踏み入れてしまったのではないのかと。
そうだ、男子は次の授業体育だったよな、なんて悠長なことを考えていた自分を相手はどんな気分で見ていただろうか。慌てた様子で着替えていたであろう男子は、パンツ一丁という格好で床に転がっていた。ばちり、目が合う。しまった急いでドアを閉めるべきだった。
どうやら彼は急いでいたあまり、脱いだズボンを足に引っ掛けそのままこけたようだった。間抜けだとこっそり思ってしまった。

彼は「あっ」と口をあんぐり開け目も驚きに見開かれている。私も私で動転していたせいか口がぽかんと開いてしまった。これって一体どういう図なのだろうか。いいのかこれは。この目のやり場にかなり困る図はいかがなものか!

私よりも早くさ迷っていた意識を戻した彼は(クラスメイトなのに名前がわからない…)、足に絡まっていたズボンを脱ぎ捨てパンツ一枚の姿のまま私の方へ走り寄ると私の腕を引いて中に入れ、開いたままだったドアをピシャリと閉めた。え、え、なぜ私を中に?! 何でドア閉めるの!?

戻りかけていた意識がまた混乱にさ迷い始める。

「ちょ、え、なに…!?」
「みょうじっ!」
「うわ、やだ、ちょちょ!」

がしりと二の腕をパンツ一枚という無防備な男に掴まれる。に、二の腕はやめてえええええ!…なんて言っている場合ではない。下着一枚という色んな意味で何も隠せないような無防備さを兼ね備えたスペシャルな格好なはずなのに、何だろうこの危機感はこの恐怖は。

「ははははなれてまず離れることから始めよう!二の腕はだめっ」
「これはっ…!」

その続きは、突然開かれた戸によって遮られてよく聞こえなかった。彼が口にしたかもわからない。何て言ったのだろうか。
一瞬のことだった。ヒュ、と何か縦長の物が垂直に飛んできて、男子生徒の頬のすぐ横を過ぎ去ぎた。ああああぶねえええええ!!!びっくりしすぎて心臓が止まるかと思った。目の前の男子の方は本当に一瞬止まったかもしれない。

男の背の向こうに誰か立っていた。戸が開いたのだから誰かがいるのは当たり前だけど。


「あっごめーん、手が滑っちゃったんだ」
「幸村!?…い、いや、これは違う!決してそういうこ、」
「えっ、」

ごめーんとお茶らけた感じで謝る彼に全然ふざけてる様子はなくて、その顔は笑っていなかった。ひょおおおおこえええええ!
彼は唖然としている私たちをよそに笑みを浮かべながら私をその目に捉えたかと思うと楽しそうに切り出した。

「なまえさん、昨日俺の部屋にノート忘れてったでしょ。届けに来たんだけど、お邪魔しちゃったかな?」

ノート…なんのこっちゃ…、あれ、そういえば昨日精市くんと数学のテスト対策をすることになって、そのままノートを置きっぱなしにしてしまったような…。え、さっきあの人が投げたのって私のノートなの

私が何か発する前に目の前の未だにパンツ一丁でいるクラスメイトが先に口を開いた。若干汗ばんでいて、もうちょっと離れてほしいななんて思ったり思わなかったり。とりあえず掴まれたままの肩が痛い。というか目のやり場に困る。乳首が目の前にあるのがなんとも…いや変な意味でなくて、気まずいとかそっち方面で。

「邪魔とかしてないし!いや、邪魔もなにも俺ら何にもないしっ、や、俺こんなかっこだけどやましいこととか本当に何もないから!」

早口で彼は精市くんに説明する。急いでいたところを足をとられて転げたことはやはり恥ずかしいのか言わなかったけれど。私としてはそのことよりも今の状況の方が恥ずかしいんだけどな。

「別に俺はどうでもいいけど、風紀委員が知ったらどうするだろうなあ…特に真田とか?」
「たっ、頼む真田にだけは…!これは、着替え中にみょうじが突然入ってきただけでマジ事故だし」
「ていうか君早くその手離してあげなよ」

その時初めて彼は未だに自分の手が私の肩にあることに気づいたらしく、口ごもりながら慌てて手を上にあげた。なんだか万歳をしているような姿だった。パンツ一枚ということも手伝ってかなり笑える図だった。ちらりと精市くんを見ると笑いをこ堪えていることに気づいた。私まで笑ってしまいそうだ。

「真田にお土産もできたし、授業も始まるし、俺お邪魔そうだしそろそろお暇しようかなぁー」
「ちょ、ちょっと待ってくれ幸村!だからこれは誤解…っまさかみょうじの陰謀…」
「はあ!?」

突然わけのわからないことを言い出した男子を振り払って、精市くんに歩み寄る…前に投げられたままの無残なノートを拾い上げた。

「君は何も気にしなくていいから、大丈夫だから早く体育行って!」

とりあえずそうパンツ一丁なままぽかんとしている彼に告げて、精市くんの腕を掴む。すると精市くんの目が見開かれて珍しく驚きに満ちた顔を作った。効果音をつけるなら、ギョッだと思う。私の予想だにしなかったいきなりの行動に彼は、抵抗する間もなく私に続く形となった。

非常階段のドアを開け中へ入って、ドアがバタリと閉まったのを確認してから精市くんの腕を離す。彼はいつもどおり笑みを作りながら痛いなあ、なんてもらしていた。

「脅しはだめだよ!」
「ほんのジョークだったよ」
「とにかく!さっきのは、本当に何もなかったから…教室のドア開けたらあの人が着替えてて、急いでたからなのかその人転んでて、それを私が目撃しちゃってそれで誰にも言うなって…」
「そこまで必死にならなくても…」
「誤解されたら困るし!」

自分で言ってから気づいたのだけど、さっきの男子が言おうとしてたことって私の口止めだったのか。なんとなくそんなことだろうなあとは思ってたけど、かなり必死だったよな。ていうか精市くんに喋っちゃったよ。

「でも何もなくてよかった」

精市くんはそう言って笑って、背中をとんと壁へ預けた。

「ノート届けに行ったらみょうじさんの教室からパンツ一枚の男子が出てくるし、中から女の子の嫌がる声が聞こえてきたから…俺てっきり危ない状況だと思ったんだけど」

笑える状況の間違いだったね、と余計な一言を落とした精市くんは一緒に爆弾まで落としていってくれたのだろうか。なんだか、おかしい。

「でも怖かったでしょ」

あんな男に迫られたらそりゃ驚くよねー、と彼は何でもないように言いながら優しく頭をなでてくれた。

「…今日の精市くん優しい…」
「…いつもじゃないかな?」
「いひゃだひゃひゃっ…!」

ぎゅうううとかたっぽの頬をつねられる。やっぱいつもの精市くんだ…!


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