走る | ナノ
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・・・・・ 30・・

第1日曜日、朝。

「あれ、母さんは?」

今日は第一日曜日で、精市くんは部活がないのにもかかわらず朝早くに起きてきた。てっきり休みの日はお昼まで寝ているんだと思ってたから吃驚した。着替えてはいるものの、まだ眠いようで目をこすりながら訊いてくるのはなんだか小さい子のようで可愛かった。普段大人っぽい精市くんだから余計に。

「今日はお友達とお出かけだって」

ゆんちゃんも昨日から友達の家に遊びに行っていていない。

「悠はまだ帰ってきてないんだ」
「まだ朝の8時だよ?」
「今シスコンとか思ったでしょ」
「おおお思ってないよ、妹思いだなあって関心してました!」
「嘘つき」

ぎゅうう、とキッチンから出てきた私を捕まえて頬をつねられる。そういえば、家に二人きりって初めてかもしれない。いつも家の中には歩弓さんかゆんちゃんがいて、どっちかっていうと精市くんはいつも部活で家にいない。

「精市くん、朝ごはんは?」
「…………」
「私が作ったものだけど…」
「…え、…」

今、ものすごく嫌そうな顔された。

「あ、嫌なら…え、っと…何か買ってくるけど」
「……なまえさんて料理できたっけ?」
「え…?」

とても驚いているというか疑っているような目で見られ、ちょっと胸の中が苦しくなった。失礼な。

「精市くんが食べてるお弁当、実は私の手作りなんだからね!」
「は?! 聞いてないんだけど」
「い、言ってないもん」
「うわぁー、なんかショック」
「しょ、ショックなのは私の方だよ」

顔を歪めた精市くんに、ショックを受けたのは私だと主張すれば彼ははいはいなんて適当極まりない返事で私をかわす。ぐ、悔しい…!

「いいからご飯にしてよ。吃驚してお腹減ったんだけど」
「え、食べ…てくれるの?」
「味は確かだから。もしなまえさんが本当に俺の弁当作ってるんならね」
「ちょ、ちょっと、待ってて…!」

ふ、っと小さく静かに笑いかけてくれた精市くんは本当に久しぶりで、綺麗で…いつもの冷たい目じゃないのがすごく嬉しくて、赤くなり始めた顔を隠すようにキッチンへ逃げ込んだ。
ああいう、目で見られると、聞きたくなる、―――どうしていつも冷めた目で私を見るんだと、問い詰めてみたくなる。時折見せる優しい顔を見るたび、欲張りになっていく気がする。もっと近づいてみたいと思ってしまう。

「あ、そういえば」
「……?」

ご飯を口に運んでいると、精市くんが思い出したように手に持っていたお茶碗をテーブルに置いて「ちょうどいいから今日にしようかな」と呟いた。

「なにが?」
「前、約束しただろ。ガーデニングのこと」
「…ああ、うん!」
「今日俺部活ないし、ちょうどいいと思うんだけど…なまえさん何か予定ある?」
「ううん、ない! うわ、楽しみ!」

そういえば少し前に植物を育てるコツを教えてくれるという約束を交わしたのだ。
今日の彼は機嫌がいいのか、言動や目にいつもの冷たい棘はなくて、心の中にすんなり入っていくような会話のリズムが心地よい。嬉しくて顔がにやけて、それを見た精市くんはやっぱり冷ややかな目で私を見るのだけど、言葉の奥のちくりとしたものが今日は感じられない。いつもはズキンとくる痛みが、今はとくりとくりと心地いい。
私に対してなのか、花たちに向けての優しさなのかはわからないけど。もしその棘のないものが花たちのせいでも、そのおかげで私への怪訝の目がなくなってるんだと思うとそれでもいいやと思ってしまう。穏やかに彼に接してもらえるのがどうしようもなく嬉しいのだ。
またちょっと、ほんのちょっとだけ近づけたような気になって、緩む顔を必死に引き締めて食器を流しに運んだ。

「手伝おうか?」
「ううん、大丈夫!」
「ふふ、なまえさんって単純だね」
「(単純…)でもそのおかげで小さいことを喜べるんだからいいじゃないですか」
「ふーん、俺に花の何かを教わるのは小さなことなんだ…へー」
「え、いいえ!そんな、とても大きなことだと思います、光栄です! 」
「うん、それがいいや」
「(なんて上から目線)」


食器類を棚に戻して、庭に出ると小さめの鉢植えを持った精市くんが笑顔で迎えてくれた。ちょっと、え、えええええ! すっごく珍しいほど笑顔だよおおおお!? レアですレア! 私に対してだけだけど…(私以外には結構笑顔な精市くんだったりする)

「なまえさん、こっち来て」
「ん?」
「これ、なまえさんにプレゼント」

はい、と渡されたのはニチニチソウと文字が書かれた種が入っている小さな袋。

「花を育てるのが苦手だって言ってたから、俺なりに育てやすそうなのを探してみたんだ」
「え、私の、ために…?」
「最初は、サボテンでもいいかなあって思ったんだけど、それじゃあ育てるって感じがしないし、ね」
「あ、ありがとう!」

花には詳しくない私だけど、精市くんが私のために探してくれたんだと思うとなんかすごく特別な花の種のように思えてくる。袋に綺麗に写っているピンク色の花を見る。私も写真のように綺麗な花を咲かせられるだろうか。また、いつものように枯らせてしまうだろうか。せっかく精市くんがくれたものの命まで奪ってしまうだろうか。

「ちゃんと、枯らさないで育てられるかな…」
「大丈夫だよ、俺がいるんだし」
「そうだけど…でも、」
「あ、そうだ。じゃあおまじない、してあげようか?」
「おまじない?」
「うん、君がこれを枯らせないようにするおまじない」
「でもおまじないって、効くの? だっておまじないだよ?」
「おまじない馬鹿にすんな馬鹿」
「ば、ばか…っ!」
「安心してよ、効果覿面だからさ」


にこって笑う精市くんは男の子に使う言葉ではないけど、やっぱり美人さんだった。きれい、思わず見惚れてしまっていれば彼はその笑顔を引っ込めた。
それよりも、おまじない、って言葉が彼の口から出たことが若干意外だった。女の子なら誰でも好きそうなおまじないだけど、私はあんまり信じてなかったりする。おまじないなんて一時の気休め程度だというのが私の意見。馬鹿って精市くんには言われましたけど!
おまじないが効くんなら今頃世界は平和で満ちてると思うよ。結局は運でしょ、実力でしょ、と過剰におまじないの効果を信じている人に言ってやりたい。いや、希望を持つことも大切なんだけどね。希望を持つだけで、待って、それで何もしなくなるのはだめだなあって思うわけです。ていうか精市くんに馬鹿って言われた…!

「じゃあ、お、お願いします。精市くんのおまじないだったら効きそうだね」
「信じてくれていいよ。柳に言わせると98%効力があるんだ」
「?…すごいねー(また出たヤナギさん。一体何者なんだ)」

じゃあ行くよ、と安心させるように微笑んだ精市くんが、すっと両手で私の頬を包む。わ、手あったかい。急にのびてきた手に驚いて身じろぐけど「動いちゃだめだよ」と制されてぎゅっと目をつぶった。そのまま精市くんの手は耳を通り過ぎて後頭部で固定される。

お、おまじないって一体どういうのなの!?
小さな力で引き寄せられる。頬に精市くんの髪がかすってくすぐったかった。未だに目をつぶっている私には何が起こってるのかわからないけど、すごく近くに、耳元に精市くんがいるのがわかる。頬にかかる自分の髪を耳にかけられて、さらに精市くんが近くなった。うわ、え、ち、ちか、近くないですか? 耳元に精市くんがいるんですけど?! はずかしくなって、さっきより力を込めて目をつぶった。
くすり、精市くんが笑い、小さく息が耳にかかってまたくすぐったい。精市くんが触れている所から自分の熱が伝わってしまってると思うとはずかしくてたまらない。この状態からして恥ずかしいんですけど。顔がめっちゃあつい! こんなとき蛇になりたいよね、変温生物!


「もし、俺がせっかくあげたこのニチニチソウを枯らせたら――――その時は(ご想像にお任せします) にしてあげるから……頑張ってね」
「はぃぃぃいぃ!!!!!」


(ご想像にお任せします)
呪いです