ツムツム王者 | ナノ
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うだるような夏の暑さの中、額から滴り落ちる汗を拭いながら先ほどまで自分が走っていたグラウンドに目を向ける。
ちょうど女子たちがスタートを切ったところだった。その中から名字を見つけ出すと自然と頬が緩んでしまう。

「顔緩んでんで、謙也」

女子の群れから声の主の方へ視線を向ければ白石が口元に笑みを浮かべながら「どうせ名字のこと見てたんやろ」と言う。その隣でクラスメイトの田中が「あついのは気温だけでええわあ」と大袈裟に溜息を吐いている。

「うっさいわ、ほっとけ」

再びグラウンドに目を向ければ、ちょうど友人と並んで走る名字が視界に入ってきた。なんとなく走る姿をそのまま見つめていると不意にこちらへ振り向いた名字と目が合う。どこか照れたように名字がはにかむように笑った。可愛い。

「可愛い」
「漏れとる漏れとる、心の声が」
「油断しとったらすぐ可愛い」
「アカン謙也の語彙力がパーになってもうた」

胸の中だけでひっそりと呟いたはずがどうやら声に出てしまったようですぐさま両隣にいる二人からツッコミが飛んでくる。誰がパーやねん。以前だったらもっと気を付けていたと思うが晴れて恋人に昇進したからにはもっと素直に思ったことを口にしていいと思う。うん。自分に正直に、それが一番大事。うんうんと一人頷いていると二人の顔に困惑と疲労の表情が浮かんだ。なんでや。

「何か今日の名字雰囲気ちがうな?」

顎に手をやり名字の後ろ姿をじっと見つめながら田中が呟く。なんでやろ?と首を傾げる田中にあんま見るなと注意すれば目を細めたままの田中に睨まれた。

「うわあ…」
「何やねん」
「…いや、別に」

どこか諦めを含んだ声音で田中が言って、両手をあげて肩を竦めた。ダメだこりゃとでも言うように首を横に振る田中の横で白石が「ああ」と何かに気付いたように声を上げた。二人して白石を見ると白石の目は名字に向けられていた。あんま見んなや。

「名字の髪型やない?いつも体育の時一つに縛ってるけど今日はお団子やん」

ほら、と白石が指差した先の名字を見る。確かにいつもと髪型が違う。って

「ちょお待て」
「何や」
「何で白石が名字の体育の時の髪型とか知ってんねん」
「そらいつも見てたら覚えるやろ」
「いつも?いつも、見てたら!?」
「うっさ!声でか!」
「え、何?」
「視界に入れないでもろてええですか?」
「…うわ…謙也、お前…」
「名字ガチ勢こっわ」

目を見開きながら両手で口元を隠す田中。そして目を見開きながら自分の肩を抱く白石。二人の顔には驚愕の色が見え隠れしていた。背後にドン引きの文字まで見え隠れしているような気もする。気のせいであってほしい。






疲れた。最強に疲れた。こんな暑い日の体育ほどダルイものはない。午前中最後の授業の体育が終わり、やっとお昼だ!といそいそと教室へ戻りいざ席に着くと空腹より疲労の方が勝ってしまいそのまま机に両手を投げ出しながら突っ伏してしまった。頬に当たる机がひんやりしていて気持ちいい。机が氷でできてたらいいのになあ。

「名字昼は?」
「お弁当」

後から教室に入ってきた忍足が大丈夫か?生きてるか?と顔を覗き込んできた。生きてますともええ溶けそうになってますけど生きてますよ、かろうじて。昼はどうする?と訊かれて力なく友達と食べると返せば、ほな俺は白石達と食うかなと答えた忍足はそのまま購買へと向かって行った。お昼、そうだお昼食べなきゃ。解ってはいるのだが中々身体に力が入らない。身体を机に預けたままポケットに入れていた携帯を取り出してお昼を約束している友達へメールを送る。もう少し回復してから向かいますゆえもうしばらくお待ち下さるべく候。
すぐに友達から可愛い猫と了解の文字が描かれたスタンプが返ってきた。

「お、名字生きとる?」

さっきそれ訊かれたなと思いながら顔だけ声がした方に向ける。
白石と田中を見上げながら「かろうじて」と返事をすると田中が「生きとったか」と笑った。勝手に殺さないでいただきたい。

「忍足が白石達とお昼食べるって言ってたけど会った?」
「ああ、廊下で会うたわ」

のろのろと身体を起こして両手を組んで伸びをする。忍足の机の周りに椅子を並べながら田中がそういえばと切り出した。

「今日髪の毛いつもと違うな」
「え、ああ…これ」
「いつも下ろしとるよな」

頭のてっぺんでお団子にされた髪を撫でる。

「もう暑くてさあ」
「髪が長いと暑い日とか大変やな」
「ほんとに。切ろうか悩むもん」

首の後ろを撫でながら、ここに髪があるのとないのとではやっぱり違うなと実感する。白石がうちの姉妹も切るか結ぶかで悩んどったわと言う。白石女の兄弟がいたのね。

「ちゅーか名字、謙也どないかせえよ」
「ん?忍足?」

忍足を待たずに先にお弁当を食べ始めた田中が宙に目線を投げる。彼の目線の先にはきっと過去の出来事が見えているのだろう。忍足の名前が出たことに少しばかり動揺しつつ次の言葉を待つ。忍足がどうしたというのか。田中のぐったりとした表情を見る限りあまりいい話ではなさそうだ。

「名字のこと見るなとか視界に入れるなとか、どんだけやねん」

はあと溜息を吐く田中に、こっちはぐっと息が止まった。隣にいる白石が困ったように笑いながら同意している。何て返せばいいか悩んでいる間に田中が続けて「気付いたら可愛い可愛い口にしてんでアイツ」とお弁当のおかずを口に運びながら言う。いよいよ何て返せばいいのか解らなくなってしまう。えっと、うちの忍足がまことに申し訳ありません?ちがうか。

「はは、よかったな名字」

白石に笑顔を向けられ小さく頷く。ただでさえ暑いというのにここだけ気温が更に3度くらい上がってしまったかもしれない。
よかったな、白石の言葉が頭の中で繰り返される。おそらく先日白石に相談したことを意味しているのだろう。よかったな好かれてるよと、安心していいみたいだよとその一言に詰まっている気がする。
忍足、私がいないところでそんなこと言ってるんだ。
俺も彼女欲しいなあ、ラブラブな学園生活送りたいなあと田中がぼやく。彼女が出来たらという妄想を幸せそうな顔で語りだした田中の横で白石が携帯の画面を見ながら「お、イベント始まってるわ」と呟いた。こいつ全然人の話聞いてないぞ。ゲームしてたよ。


「戻ったでー」

頭上から軽快な声が降ってきて、顔を上げると購買帰りの忍足が腕から零れそうなほどのパンたちを抱えながら立っていた。
腕に抱えていたパンを机の上に置いて席に着いた忍足が、私を見てあれと首を傾げる。

「昼もう食ったんか?」
「え、いや、まだ!今から!」

じゃあねと勢いよく立ち上がる。さっきまで身体が重い動かないだるいと嘆いていたのが嘘のような速さでお弁当を持って教室から出ていく。忍足の顔を見た瞬間、田中の発言を思い出してしまった。廊下を速足で歩きながらにやけそうになる口元に力を込める。忍足には、私が可愛く見えているらしい。きゃー!と叫び出したい気持ちをぐっとこらえながら友達が待つ教室まで急いだ。





「名字と何話しとったん?」
「別に大した話してへんで」

謙也の問いにきょとんとした顔で田中が返事をする。何で謙也そない睨んでるん?そう言いたげな目をしながら。
恐らく謙也と入れ違いで出て行った名字の反応が気になるのだろう。見ようによっては、まるで謙也から逃げたようにも見える。たぶん、本当に逃げたんやろうけど。あんな話をされてすぐに当の本人が現れたら俺が名字でも恥ずかしくて逃げだしていたと思う。以前の名字だったらもしかしたらもう少しスマートに対応していたかもしれないが、すっかり謙也に振り回される恋する乙女になってしまった今となっては無理もない。

「謙也が名字のこと好きすぎてるからどないかしたってやって話しとった」
「………はあ!?」

パンの袋を開けながら田中の言葉を聞いた謙也は一瞬時が止まったように固まり、次の瞬間には顔を赤くしながら勢いよく田中の方へ顔を向けた。首もげるんちゃうかってくらい勢いあったけど大丈夫やろか。

「な、なん、な…!?」
「どないしたんや謙也〜?」

手を止めたままの謙也の顔をニヤニヤと口元を歪めた田中が覗き込む。

「さっきの余裕はどこ行ったんや?」

ぷくくと笑いながら手で口元を隠した田中が謙也をからかう。耳まで赤くしてしまった謙也が両手で顔を覆い「あー」と嘆くように声をあげた。あんなベタベタ名字に触れる奴がこんなことで照れるのか。

「まだ本人に言えてへんのに」
「…そこ?」
「何で田中の口から言うねん!」
「よお解らんけどざまあみろやな」
「お、俺が先に直接言いたかった…!」
「ははは!」
「はははちゃうわ!名字になんや用事があったんか?」
「ん、特にないけど?」
「なら名字に話しかけんな!喋らんといてや!」
「はあ?どないやねん」
「半径3メートル、いや5メートルは最低でも離れてほしいところや!」
「無茶言うなや!いつか言うんちゃうか思とったけどほんまに言うなや!」
「謙也がユウジみたいになっとる…」


何で凹んでるのか解らないが田中との言い合いの末、がっくりと項垂れてしまった謙也を慰めるように、傍に置いてあったパックジュースを差し出してやる。まあこれでも飲んで元気出してやと言えば俺が買うてきたやつやんと返される。俺の手からジュースを受け取った謙也がストローを袋から出している横で田中が食べ終わった弁当を片づけながら口を開いた。

「俺、謙也の言うたこと解った気がする」
「え、嘘やんどこに凹むポイントあったん?」
「いやそこやなくて」

違うんかい。謙也と二人して首を傾げながら、うんうんと腕を組んで頷いている田中の次の言葉を待つ。謙也が勿体ぶるなと文句をつけると田中が急に真面目な顔になったので俺も謙也もごくりと唾を飲み込んでしまった。え、そんなテンションの話なん?

「お団子ええな。髪の毛上げとるのがええ」
「は?」

未だに一人頷く田中に俺と謙也の気の抜けた声が重なる。

「俺そんなこと言うた?」
「言うとった、いつも可愛いけどあの髪型の名字もかわええって」
「俺そない名字のこと可愛い言うてるか?」
「言うとる」
「自覚しろ」

信じられないと言いたげな謙也の顔に今度は俺と田中が少しばかりうんざりした顔で首を振る。二言目には名字。三言目には可愛い。こいつの脳内を占める名字の割合が日に日に増えていっている気がしてならない。その内名字のことしか話さなくなってしまうかもしれない。大丈夫なんか?放送室から名字へ愛を叫び出したらどないしよ。その内謙也まで浮気か死なすどとか言い出したらどないしよ。

「さっきそこで名字が死んどったんやけど」
「おい勝手に人の彼女殺すな」

再び真面目な顔をしだす田中につられて謙也の顔にも緊張が走る。果たして今から聞かされるであろう話はそんな真面目なテンションで聞く話なんだろうか?田中引っ張りすぎちゃう?何か嫌な予感がする。むしろ嫌な予感しかしない。

「そん時見えたんやけど」
「な、何が…」
「名字のうなじが綺麗やった」

ピーンと指を立てた田中に俺と謙也の間に稲妻が落ちる。スピードスターも吃驚の光の速さで謙也を見れば、あまりの衝撃発言に握っていた紙パックを力の限り握りつぶしていた。その様子に「あれはそそるなあ、普段髪下ろしてる子のうなじが見えるとなんや来るもんがあるというか…そこはかとなく色気が…」などとのんきに思いを馳せていた田中が目を見開いて「どないしたんや謙也!」と騒ぎ出した。
片手で顔を覆いながら、面倒なことになりそうだと溜息を吐き出す。
どないしたちゃうやろ!それ謙也の前で言うたらアカンやつやん!そんな心の声が届くはずもなく、当の田中は目をこれでもかと開いたままプルプルと震える謙也に大丈夫かと声をかけている。たぶん大丈夫ではないだろう。色んな意味で。
田中の首にかかっているタオルを無言で抜き取りジュースで濡れた謙也の腕と机を拭いていく。田中から抗議の声が聞こえた気がしたが恐らく空耳だろう。俺は知らん。知らんからな、田中。
ぐちゃぐちゃに凹んだ紙パックを机に叩きつけた謙也はこめかみに青筋を浮かべながら勢いよく田中の肩に両手を置いた。自分の肩に置かれた手を右左と一瞥してから頼りない声で「怒ってます?」と呟いた田中が眉を下げながら謙也の顔色を窺う。


「……ろ…」
「な、なんて?」
「即刻記憶から抹消せえや」

謙也の剣幕に気圧されたように身を引かせながら、こくこくと小刻みに頷く田中に向かって心の中で合掌した。哀れなり田中。
田中の言う事も解ると思ったが口には出すまいと固く誓う。安易に名字のことを話題に出すのはよそう。そうしよう。

「ええか、お前は金輪際名字の視界に入るんちゃうで。視界に入れるのもアカン」
「はい…!はい…!」
「流石にそれは無理やろ」



よく恋は盲目と言うけれど、まさにその通りだとすぐに余裕を無くしてしまう謙也達を見て俺は一人頷くのだった。



内心、俺まだうなじなんて見てへんのに!とか悔しがってそう