ツムツム王者 | ナノ
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こんなにはっきりと違ってくるのか。ぼんやりと外を眺めながら最近の忍足の行動について思案する。
今までと何ら変わりない日常の中で、突然その時は訪れるようになった。例えば、いつものように白石と忍足と3人ではまっている共通のアプリのことで話していたりすると気付いたら腰に忍足の腕が回っていたりする。最初の頃は色んな意味でびっくりしてしまったが、当の忍足はいたって普通で、かつ当然であるかのような振る舞いにいつしかそれが当たり前のことだと受け入れるようになっていた。
普通に談笑している最中に、さも自然に腕が回されたり。ばったり廊下で出くわせばいつものように挨拶を交わすがそこに肩が回されるという今までになかった動きがプラスされたり。とにかく、忍足からのボディタッチが増えた。そして距離も今までより近い。
自分の中の忍足のイメージとズレが生じてきて、白石を呼び出しそのことについて問い詰める。何故本人ではなく白石なのかというと、忍足に元カノにはどんな風に接していたのかと訊く勇気がないからだ。

「おかしいよ…」
「おかしいのは自分や」

壁際に追い詰め白石の両脇の下に手をついた状態のまま顔を上げると、端正な顔を引き攣らせた白石が私を見下ろしていた。

「距離が近い」
「あ、ごめん」

一歩後退り腕を下ろすと、白石はほっと息を吐いた。

「こんなトコ謙也に見られたら後で何言われるか」
「その忍足のことについて訊きたいんだけど」
「……何ですか?」

「えぇ…イヤ…」という心の声が聞こえた気がした。気がしただけだ、大丈夫、気のせい。

「えーと、私と忍足って付き合ってるよね?」
「何やねんその質問。俺よか名字の方がよう解っとるやつ」
「付き合ってるよね、付き合ってなかったらあんな触ってこないよね」
「ああ、なんか気付いたら謙也の手が名字のとこにあんな」

白石にも心当たりがあったようで手を顎に当て天井の方に視線を投げながら言う。

「そうなんだよね、気づいたら腰とか肩とかに置いてあるんだよね」
「それで、訊きたいことっちゅーのは?付き合うてるかっちゅうのだけかいな」
「えー、と。こんなこと白石にしか訊けないんだけど…忍足って前の彼女にもこんな風だったのかな、って」

きょとんとした顔をした後、白石は解らないというように両手を広げて肩を竦めた。

「謙也の前の彼女?俺は知らんな」
「うっそ」
「ほんま。それこそ謙也に訊いた方がええんちゃう?」
「忍足に前の彼女にはどんな風に接してたの?私にしたみたいに触ってたの?って?訊けるわけないよ、めんどくさい奴って思われたくないし」

顔を覆いながら左右に頭を振る。無理無理!そんなこと訊くの恥ずかしいし、返答によってはその場で死んでしまうかもしれない。

「私、忍足ってもっとヘタレな感じだと思ってたの」
「俺も同じこと考えてた!」
「えっ…そのネタ懐かしすぎて吃驚した」
「あんな何の抵抗もなしに女子に触れる奴やったなんて思わんかったわ」
「だよね!だってちょっとからかったら顔真っ赤にして教室から飛び出してっちゃう人だよ」
「…名字、あんま謙也をいじめたらアカンで」
「白石だってよく忍足のことからかって遊んでるじゃん」
「…お互いほどほどにしよな」
「いや、白石は忍足の彼氏じゃないから」
「はい?」
「忍足のことからかって遊んでいいの私だけだから。もう遊ばないでね」
「えぇ…嘘やん…ガチ勢怖いわ…」

わざとらしく自分の肩を抱いた白石が非難めいた目を向けてくる。ガチガチのガチ勢ですけど何か。

「まあ、名字は自分のモンって言いたいんやろ」

白石の直球な言い方に照れて頬に熱が集まる。「せやから」と白石が続ける。

「前の彼女とか気にする必要ないやろ。今の彼女は名字なんやし、謙也にめっちゃ好かれてるんやって見てて伝わってくるわ。そらもう痛いほどにな」

うんうんと頷きながら白石は言う。傍目から見ても忍足は私のことが好きなのか、そうか。


「ねぇ、一つだけ言ってもいい?」
「…えぇ…イヤ…」
「……………」
「…何ですか?」
「忍足の距離感バグってるのかやたら近いんだけど、ドキドキしすぎて毎日死にそう」
「ただの惚気やん」


「何やねんただ惚気たいだけやん」ブツブツと独り言を言いながらその場から離れる白石の背中を見送る。その背中は疲れ切ったように丸まっていた。







湿気のせいで上手く整わない髪型に辟易しながら耳にかけた横髪を指先でつまむ。首元に髪がまとわりついて暑い。頭の上に結ってしまおうと適当に髪をまとめるが、ヘアゴムを家に忘れてきたことを思い出す。左肩にまとめた髪を流しながらがっくりと項垂れる。朝からこんなに暑いのだ。きっと昼を過ぎればもっと暑くなるだろう。はあと息を吐きながら机に頭を預けて、意味もなく携帯を取り出す。パッと明るくなった画面を何となしに眺めていると、頭の上に何かが乗せられた。頭に乗ったものを確かめるように自分の手をそれに重ねていると、笑顔を作った忍足が顔を覗き込んできた。う、眩しい。
頭に乗せられた忍足の手が撫でるように動くと、重ねたままの自分の手が一緒に揺れる。

「おはようさん」
「ん、おはよう」

忍足の手が離れるのと同時にゆっくり頭を机から上げながら、先日した白石とのやり取りが脳裏に浮かんだ。
離れて行った忍足の手が再び伸びてきて、手の甲ですりすりと頬を撫でられる。優しい手つきが気持ちよくて目を閉じる。「猫みたいやな」と忍足が笑った。
ほら、また。流れるように自然に触れてくる。それが嬉しくもあり恥ずかしくもあり、どうしていいか解らなくなる。手を重ねればいいのか、笑えばいいのか、結局どれが正解か解らなくてただただ固まってしまう。

「朝からあっついな」

朝練を終えてきたばかりの忍足が鞄の中身を机に入れるのを眺めながら「そうだね」と返す。太陽の光を受ける忍足に目を細める。夏が似合う人だなあ。
じっと見つめていたら、視線に気付いた忍足に「見過ぎや」と笑いながら鼻を摘ままれてしまった。

「も、もう、やめてよ…!」
「はは、悪い」

悪いなんてちっとも思っていないような屈託のない笑顔で謝られる。う、ずるい。忍足の笑顔を前にすると毒気を抜かれ自然と口元が緩んでしまう。
椅子の背もたれに体重をかけながら取り出したノートで自分を仰ぎだす忍足の姿に目を見張る。今まで顔ばかりに目が行ってしまっていたが、ちゃんと見るといつもよりも忍足の胸元がはだけている。ボタンが2つほど多く外されているようだ。気付いてしまえば、そこから目が離せなくなってしまった。カメラのシャッターを切るように、瞬きをするたび鮮明にその姿が私の記憶に刻まれていく。ぱちぱちぱちと瞬きを繰り返してから深呼吸する。そして深く息を吸い込んでから猛烈な勢いで忍足の胸元を掴む。

「うわっ!?」

驚きから大きく見開かれる忍足の目に、危機迫ったような表情を浮かべた私が映っている。

「胸元開けすぎだよ!」
「や、暑くて」

ひどく焦ったように視線を彷徨わせる忍足を前に、シャツを握る手に力がこもる。自分は私に注意しといて!こっちだって暑いの我慢してるのに!
カーテンをしめるように、左右に開かれたシャツを閉じる。このままボタンを留めてやりたいが、さすがにそこまでする勇気はなかった。というか胸元から手が離れなくなってしまった。力が抜けない。

「……無防備すぎる」
「え、」
「触りたくなったら困るでしょ!」

言ってしまってから、ひどく尾籠なことを口走ってしまったような気がした。
あんなにガチガチに固まって動かなかった手が瞬時に忍足の胸元から離れて、今度は自分の胸の前で違う違うと否定するように大きく振る。握られていた所に皺を残したシャツがだらしなく垂れた。再び忍足の胸筋が露になり、弾かれたように顔を背ける。


「……触りたいんか?」
「………っ…!」

からかうでもなく、きょとんとして不思議そうな顔でこっちを見ている忍足の声はとても落ち着いていた。核心をついた言葉を投げかけられ、大きく心臓が脈打つ。まるで、大きく首を縦に振って肯定するように。
忍足が何の気無しに私に触れるように、私だって本当は同じようにしたい。きらきらと光を浴びて輝く髪に手を伸ばしたいし、袖から覗く筋肉質な腕に浮かぶ血管に指を這わせたい、割れた腹筋を撫でてみたい、頬を優しく撫でたい。思い切り抱き着きついてみたい。けれどそんな願望を正直に面と向かって言えるはずもなく。かといってそんなことないと否定したら大袈裟かもしれないが、忍足に触れる機会が二度と訪れないような気がしてしまう。


「……にゃあ」
「……猫か!」
「う、とにかく、ボタン、ちゃんと留めて、お願い」

力が抜けた声で忍足に懇願すれば何も言わずきっちり一番上までボタンを留めてくれた。あ、別に一番上まで留めてくれなくてもよかったんだけど、いつも通りならそれで。この暑い中、首までぴっちりとシャツを閉じさせてしまったことに罪悪感を覚える。閉じさせておいてから開けろとは言いづらい。

「俺はいつでも触ってたいんやけど。名字のことが好きやから」


忍足の指の背が私の頬を撫でて、それから下唇をなぞるように滑った。かすかな熱を帯びた目に見つめられ、心臓が跳ねた。
静かだったはずの教室はいつの間にか登校してきたクラスメイトで騒がしくなっている。こんな、周りに人がいる中で、まるで私しか見えていないような、誰がいても関係ないというように触れてくる忍足に頭がクラクラしてくる。

「忍足は、ずるい」



ゆっくり息を吸い込み、そして観念したように声を絞り出すのだった。




付き合ったらこっちのモンやっちゅー話や!