ツムツム王者 | ナノ
×



午前中最後の授業終了を告げるチャイムが鳴り、静かだった教室は途端に賑やかになる。組んだ両手を天井に向かって突き出して背中を伸ばしながら隣を見ると、さっきまで船をこいでいた忍足がチャイムの音と同時に覚醒したようで慌てて黒板の文字をノートに写していた。日直が黒板の文字を消し始めたのを慌てて止めている。自分が寝てたのが悪いんだろうと一喝する声に大きく頷く。ごもっともすぎる。

「名字、起こしてくれてもええやろ!」
「自分が寝てたのが悪いんでしょ」
「デジャヴ!」
「こっち睨む暇あったら手動かした方がいいよ!」
「はあ、せやな…って消されとるやん!アイツ鬼かいな」

がっくりと項垂れる忍足に下敷きで風を送る。あー、今日も暑いなあ。梅雨特有のじめじめとした湿気を帯びたような目がこちらに向けられる。

「あ、そんな睨んでくる奴には貸してやんない」

ノートをちらつかせてやれば、ぱっと忍足の表情が明るくなる。犬みたいで可愛い、なんて言ったら怒られるかな。

「女神か…?」
「さすがにそれは大袈裟だよ」

ノートを忍足に手渡し、下敷きで今度は自分に風を送る。

「はー、あっつい」

じめじめして蒸し暑い。汗と湿気のせいで肌にぴったりと張り付く制服に不快感を抱きながら、お礼はアイスでいいからねとすごい勢いで手を動かしノートの内容を書き写している忍足にリクエストする。
襟元を掴んでパタパタと服の中に空気を送る。うっすら汗をかいた胸部に空気が当たるとひんやりとして気持ちがいい。いっそのこと下敷きで仰ぎたいくらいだ。流石に下品だろうか。
ふうと息を吐きながら隣に視線を向けると、忍足は何故か目を大きく見開いて身体を硬直させていた。瞬きもせず固まったままの忍足の目の下に両手を差し出す。シーズーとかびっくりしたら目玉が出てきちゃうって動物病院のお姉さんが言っていた気がする。飼い主に見えないようにこっそり押し戻しているとか。忍足の目が零れ落ちたらどうしよう、受け止める準備はしてみたけど戻せるかな…。

「おーい?」
「…………」
「ちょっと、そろそろつっこんで欲しいんだけど…」
「…………」
「…あれ?もしかして寝てる?目干からびちゃうよ?」

声かけにも返事がないのでもしかしたら本当に目を開けたまま寝てしまったのかもしれない。背筋伸ばして随分と綺麗な姿勢で寝るんだなあ。器用な寝方だね、そう言いながら瞼を閉じてやるために目元に手を伸ばすが忍足によって阻止されてしまった。
思い切り掴まれている手がちょっと痛い。

「えーと…おはよう?」
「お、おはようちゃうわ!寝てへんわ!」

寝てないなら返事くらいしてほしい。そんでもってどうして彼は怒っているのだろうか。固まったり突然怒り出したり忙しい人だな。


「何しとんねん!」
「何って…寝てると思ったから瞼を閉じてあげようと…」
「ちゃうわ!その前!」
「え?忍足の目が落ちてきそうだったから受け止めようと」
「落ちひんわ!」
「でもシーズーとかは目落ちてきちゃうんだってよ」
「誰がシーズーやねん!」

そうそうこれこれ、といつもの忍足の姿にほっとしていたら。「って!ちゃうねん!シーズーとかええねん!その前やその前!」とハイテンションな忍足が続ける。その流れで手がパッと離された。力強く握られていたせいで掴まれていたところが白くなってしまっている。ちょっと痛いなって思ってたから解放されたのは嬉しいけど、ちょっと残念な気がしないでもない。

「その前?なに?」
「そんな胸元バタつかせたらアカンやろ!」
「…どうして」
「ど、ど、どうしてって、おま…」

顔を真っ赤にして目を泳がせる忍足に追い打ちをかけるように詰め寄ると、顔を反らされてしまった。耳まで真っ赤になってしまっている。一度視線だけこちらに寄越した忍足がこっち見んなとでも言うように腕で口元を隠した。

「……見える」


可愛そうなくらい赤くなっている忍足が蚊の鳴くような声で言う。忍足が窺うようにこちらを見ているが心なしかその目は私の顔より下…胸元に向いている気がする。
忍足に見られてると思うと恥ずかしくなってきて、きゅっと襟元を両手で握る。

「何が見えるのかな」
「な、せやから、た、たに」

ぎっと強く睨むと忍足が身を竦めて口をつぐんだ。

「………えっち」

ぴしりと再び忍足の身体が硬直する。沈黙が二人の間に流れだす。
ちょっと意地悪しすぎたかな、と忍足に声をかけようと口を開く。が、忍足が動く方が速かった。
肩を掴まれてぐっと距離が近くなる。鼻先がくっつきそうな距離に今度はこっちが固まる番だった。

「俺以外の奴に見られたないねん、せんといてくれ」
「は、はい」

すごい剣幕で諭される。頷く以外の選択肢はないとばかりに肩に乗った手に力が入った。
はあと大きく息を吐いた忍足がぐったりとした様子で離れていく。怒った顔もかっこいいなんてこっそり思ってると知られたらなんて思われるだろうか。
忍足が力なくノートを返してくる。なんだろうこの空気、ちょっと気まずいような。謝るべきなんだろうか、でも喧嘩したってわけでもないし。手渡されたノートを胸に抱えながら悩んでいたら、忍足が両手で顔を覆いながらブツブツと何かを唱え始めた。時折「あー」と唸る忍足の姿になんだか申し訳ない気持ちになってしまった。忍足が今何を考えてるか解らないけど、やっぱり謝っておいた方がいいのだろうか。




「……水色の……レース……」


思い切り振りかぶり、忍足の脳天目掛けてノートを打ち下ろした。