ツムツム王者 | ナノ
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先に走り出した彼女の背を捉えるのはとても簡単だった。バタバタと階段を駆け下りていく彼女の名前を呼ぶと、その声に反応するように名字の動きに一瞬隙が出来る。そのまま止まってくれたらいいものを名字は俺の声を無視してなおも走り続け、いよいよ名字が階段を降り切ってしまう。ああもうめんどくさい、平坦な道ならこんなにもたついたりしないのに。3段飛ばしで彼女に続けば最後の1段で足がもつれてつんのめり、そのまま名字の背中を巻き込んで壁になだれ込んだ。両手を伸ばしたおかげで俺も名字も壁と激突することは避けられたが、ばしんと勢いよく壁に叩きつけた掌がジンジンと痛む。突然後ろから閉じ込められたことに驚いたのだろう、名字の肩が大きく跳ねた。
こんな風に押さえつける予定ではなかったが、なんとか彼女と向き合うことに成功したのでよしとする。
壁と俺の間に挟まれていつもより近い距離にいる名字を見下ろす。コイツってこんな小さかったんやな。背を丸めながら縮こまって未だに背中を向けたままの名字は、自分とは違う生き物なのだと認識させられて余計意識してしまう。

「あの、触ってもええ?」
「えっ!?」
「あ、いや、肩や!肩!」
「肩?な、なんで…?」
「こっち向かせたいなと」

考えがまとまらない内に声をかけたのがいけなかったのか、自分が今しがた口走った言葉に驚愕する。なんや触ってええかって変態か。何の確認やねん。正直触りたいと思ったことはこれまで数えきれないほどあるしなんなら今も触ってみたいと思っているのだが、誓って変態なわけではない。心の声がちょっと漏れ出てしまったのだ。
名字は顔だけ動かして漸く俺を視界に入れてくれたのだが、思いもよらぬ言葉にぎょっとした様子で目を見開いていた。自分の発言に俺自身もぎょっとしたし当然のことだろう。蛇に睨まれた蛙のような、怯えが見える表情に真っ青になってしまう。名字、引いてるやん!もう俺ダメやん!始める前から終わってまうやん!

「自分で向く」小さく言った名字は躊躇いながらくるりと身体をこちらに向けた。きゅっと口元を結んで、目線を下げて小さくなっている名字にドキリとする。小動物か?
向かい合えば更に縮まる距離に頭がクラクラしそうだ。肘を曲げれば身体がくっついてしまいそうなくらい、近い。

「あの」と声が重なる。はっとした表情をしながら名字が俺を見上げた。目を赤くしながら上目遣いで見られれば思考が停止してしまう。泣き出しそうな、不安げな表情を前に、お先にどうぞと言いたかったのに喉に引っかかったまま出てこなくなってしまった。未だに壁についたままでいた両手を勢いよく上げ後退りながら名字から距離をとりその場に蹲る。
あーあーあー、もう無理!反則やん?名字が可愛い。俺よりずっと小さくて細いその身体を腕の中に閉じ込めたい。名字を抱く代わりに自分の頭を抱え込んだ。


「お、忍足…?」
「いやスマン、ちょっと心の準備させてや!ほんとごめん!あっでもまた走り出さんといてな、そこにおってな!約束やで!」
「………うん?」

たたみかけるような早口で言い終えると、きょとんとした顔をしながらも了承してくれた。
心の準備なんて言いながら、そんなのいつ整うというのか。一朝一夕にはできないのではないのか。名字が好きだけど、名字は白石が好きだから諦めますって?あほか。名字は白石が好き、その事実に項垂れながら深く息を吸った。
挙動不審な俺を心配そうに隣にしゃがみこんだ名字が「大丈夫?」と首を傾げた。目が合い、ぐっと身体に力が入って硬くなる。

「あの、」
「うん」

名字の顔を一瞥してから目を逸らす。

「泣かせてごめん」
「な、泣いてないよ…!」
「嫌な思いさせて悪かった」
「え、え?…私こそ、忍足のこと笑っちゃってごめん」

泣いてないと言いながら慌てたように目元を名字が乱暴に拭う。擦れた目の周りが更に赤くなってしまった。名字がわけが解らないという目をしながら俺を見る。

「傷つけてしまってごめん」

ハッとした顔をして目を大きく開かせた名字が俺を見る。あれこれ悩むんはもうやめや。当たって砕けたらええねん。

「……名字が」
「私が?」
「白石と楽しそうに話してるのが嫌やった」
「えっ」

零れ落ちそうなくらい目を見開く名字が何か言いたげに口を開くが、小さく開いた口から言葉が出てくるのを待たずに続けた。

「俺、名字が好きやから、勝手に嫉妬してた…別に彼氏でもないのにアホやろ」
「そん、」
「好きなんやろ、白石のこと」

笑顔を向けたつもりだが、実際今自分はどんな顔をしているだろうか。ひどく泣きそうな顔になっているんじゃないか、うまく笑えているだろうか、歪んではいないだろうか。笑顔を作ったつもりだが、もしかしたら泣き出しそうな顔をしていたのかもしれない。俺につられるように名字の顔が悲しそうに歪んだから。

「いけるんちゃう?」
「は?」
「確か白石の好みってシャンプーの匂いがする子やろ?名字いつも髪からええ匂いさせとるもんな」

先ほど壁と挟まれていた時に、彼女の髪から強く香ってきた甘い匂いを思い出す。名字が動くたびにほのかにふわりと鼻孔をくすぐってくる香りにいつもドキドキさせられていた気がする。
名字は頬を赤く染めながら泣きそうな、ちょっと怒ってるような、そしてどこか照れているような複雑な表情をしながら俺を睨んでいた。

「ちょっと今すぐには難しいけど、名字の笑ってる顔が好きやから…ちゃんと、応援するから」

視線が左右に動く、油断したら声が震えそうだった。泣きそうな名字より俺の方が先に泣き出しそうだ。

「……あのさ、忍足」
「…はい」

名字の声に身を固くしてしまう。ええぇ、俺これこのあと何言われるん。トドメ刺されるしかないやん。この場から一刻も早く立ち去りたい。もう風になりたい、風になって消えてしまいたい。そんな気持ちを抱きながら、名字に逃げるなと言った手前自分が逃げるわけにもいかず次に発せられる言葉を待った。

「触ってもいい?」
「な、さわ…ッ!?」

聞こえてきた言葉に俯かせていた顔を勢いよく上げ名字を見る。先ほどの自分と同じ台詞を吐き出した名字は、眉を下げ困ったように笑っていた。

「あ、あ、あかん、と思う」
「どうして?」
「どうしてって…白石が好きなのに、その、簡単に他の男に触るんは…」

目線を下げ左右に動かしながら口ごもる。耳が熱い、心臓が痛いくらいに脈打っている。名字のしたいことが解らない。触りたい?何で?考えを巡らせていると、突然両頬にぱちんと名字の手が触れた。あまり力は籠っていないし勢いもなかったので痛くはなかった。そのまま名字の手によって顔を上げさせられ、強制的に目線を絡ませられる。耐えきれずに目を逸らそうと身じろぐとそれを許さないというようにぐっと頬に当たる手に力が込められた。不服そうな顔をした名字が俺を見据える。

「忍足の勘違いだから」
「な、何がや」
「白石を好きってやつ」
「……え?」
「……忍足だから」

名字の手が離れて行く。今度は名字が俯く番だった。名字が最後に発した言葉を反芻してみる。俺だから、とは?

「私が、好きなの」

話が繋がらなくて首を傾げていると、暫く黙っていた名字が答えを出してくれた。疑問を抱く前に発せられた言葉と、今しがた出てきた言葉を繋げてみる。出来上がった言葉に飛び上がりそうになってしまった。だってそれって、つまり、


「なっ、えっ、えっ?」
「……ばか」

膝に顔を埋めながら名字が肩を叩いてくる。全然痛くない。転げまわりたいくらい内心悶絶しながら、居住まいを正し名字と向かい合う。


「俺、名字のことが好きなんやけど」
「私も忍足のことが好きですけど」


ジト目で睨んでくる名字の顔は俺と同じくらい赤く染まっていて全然怖くない。むしろ可愛い。むしろ可愛すぎて困る。困るくらいに可愛い。いや一緒やんけ。



「それにしても、盛大に勘違いしてくれたよね」
「穴があったら入りたいわ…ほんまごめん」
「思考までスピードスターなのかな?」
「やかましいわ!」


腹が立ちそうな物言いなのに、顔の筋肉が緩み切ってしまって仕方ない。口元をへの字にしたくてもどうしても口角が上がってしまう。
そんな俺を見ながら名字が照れたようにはにかんだ笑みを浮かべる。はにかんだ彼女の顔が可愛くて、ただでさえドキドキしているというのにいよいよ心臓が胸を突き破ってくるかと思った。


独り占めしたくなってまうやろ!