歌舞伎蝶辞めます | ナノ
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「ごめんね…ッ…ごめんね、私のせいでごめんね」
「いや、今更別にいーんだけど」
「ごめんねぇェェェェ!!」
「うっせーんだけど?!もういいっつってんだろォが!その口塞いでやろーか!」
「うっ、うっ…だってそんな痛々しい姿……とりあえず謝っとかないと私の良心が…」
「テメッ…口だけじゃねーかァァァァ!!」

ううう、口元を着物の袖で隠す。だってだってだって、今の銀さんの姿を見て普段通りになんてできない。銀さんをこんな状態にした原因が私にあるなんて私の罪悪感はとどまることを知らず膨れ上がるばかり…。なんてちょっと大げさに言ったけど、これくらいの姿勢を見せないと悪いなと思って、ちろっと隠した口元から舌を覗かせると私の思考を読み取ったのか銀さんがこちらをものすごい形相で睨んできた。

「うっせーんだよオメーらァァァ!!病室の外まで聞こえてきてんですけど!!ここどこだと思ってんだ!病院なんだよ!!オメーらの家じゃねえんだよ他にも患者がいるんだよォォオォッ!!!!」

乱暴に病室のドアが開けられたと思ったら矢継ぎ早に怒鳴られた。声の主はこの病院のナース長だ。その後ろで慌てて駆け寄ってくる院長が見えた。

「すんませんでした」

院長がおめーの声もうっせーからな!とナース長に注意する横で、「次騒いだら病人だろーとなんだろーと追い出すからな!」と捨て台詞を吐いたナース長はぴしゃりとドアを閉めた。いやおめー院長の話きけや。おめーの方が病院から追い出されっから!

「まぁ、そのなんだ。一応悪いと思ってるの、ごめんね」
「もういいっつってんだろ」

目の前でため息をついた銀さんは疲れたように起こしていた半身をベッドに預けた。
腕にも足にも、頭にも包帯をぐるぐると巻かれ、顔じゅうにガーゼを貼られた銀さんを見てまた心が痛む。ちょっとだけ。
遡ること数時間――――




銀さんからのプロポーズを断り、ならばこれからどうするかを話し合おうとしていたところにこの家の大家である、お登勢さんが家賃の徴収にやってきたのだ。え、この人家賃滞納してんの?そのくせに家庭持とうとしてたの?…愛だけじゃやっていけないってこういうことかな。そもそも愛から芽生えてないんだけど。
銀さんがだるそうに立ち上がり玄関を開けると、お登勢さんの後ろにキャバ嬢時代(といっても数日前までキャバ嬢だったけど)の同期だったお妙ちゃんがいて、(向こうは私に気づいてないみたいだけど) 挨拶のために私も玄関まで行く。と、お妙ちゃんの隣に眼鏡をかけた少年と髪の毛をお団子に結っている女の子がいた。
銀さんとお登勢さんが話し合って(怒鳴りあっているともいう)る横でお妙ちゃんが私に気づく。お妙ちゃんの目が大きく見開いた。


「お客さんアルか?」

一番に口を開いたのはお団子頭の女の子だった。否定する間もなく、今度はお妙ちゃんが私の名前を呼んだ。


「お嬢ちゃん…」
「お妙ちゃん、久しぶり」

片手をあげて挨拶する。驚いているお妙ちゃんに比べて私の顔はきっと引きつっている。会えてうれしい気持ちもあるけれど、どちらかといえば気まずい気持ちの方が大きかった。だって、だってだって!!!言いたくないけれど、あえて確認するように言いたくはないけれど!お妙ちゃんがビジネスの相手として紹介してくれた人とノリで男女の関係になって、挙句その人の子供を妊娠したなんて……。私お妙ちゃんにどんな顔して会えばいいっていうんですか神様!


「姉上、お知り合いですか?」

そうお妙ちゃんに尋ねたのは眼鏡の少年。あ、もしかして前に話してくれた弟さんかな。なんか侍道を学びたいとか言って定職にも就かずに、なんかよくわかんない商売してる実質プー太郎のところに通いだしたとかどうのこうのと愚痴っていた気がする。あれ、なんかよくわかんない商売してるプー太郎って…まさか……。だめだ頭痛がしてきた何も考えらんない。


「お嬢ちゃん!」


突然我に返ったお妙ちゃんが私の名前をもう一度、今度は声を荒げながら呼び肩をゆすられた。


「急にお店辞めちゃうから吃驚したのよ!」
「う、うん、ごめん…」
「どうしたの、どうして私に何も相談してくれなかったの?」


がくがくと肩を揺すられて脳みそが揺れる。ちょ、た、タイム…!お妙ちゃんの後ろでお団子頭の女の子と眼鏡の弟君が不思議そうに顔を見合わせている。ちょ、へ、ヘルプ…ヘルプミー…!



「あ、ソイツ今日からここに住まわせるからよ」



私が「ちょ」「あの」「ぎぶ」とか言葉にならない声を出していると、話し合いが済んだのかちょっとボロボロになった(取っ組み合いでもしてたの?)銀さんがわけわかんないことを言い出した。はい?なんだって?
ピタリとお妙ちゃんの動きが止まる。その場の空気が静まり返った。


「いま…なんと…?」

そう訊き返したのは私。だって何も聞いてないよそんなこと!いつそんな話になったかな?!


「お前住むとこねーんだろ。だったらいいだろ」


いやよくねーよ。なにさらっと言ってんだよ。




「どういうこと…?」


眉を八の字に下げたお妙ちゃんが私の顔を覗き込む。背中にいやな汗をかいてきた。




「それから、俺ら結婚するから」


追い打ちをかけるように…いや、止めをさすように銀さんが爆弾を落とす。「はあ!?」―その場にいた全員の声が重なる。いやいやいやいや、だからそれはさっき断ったでしょうが…!!!
心配そうな顔をしていたお妙ちゃんが、すぅっと能面のような顔になり、冷たい視線を銀さんに向けながら静かに言う。


「説明してもらえます?」



そこから掻い摘んでことの成り行きを説明していく。気をつかってくれたのか、一夜のテンションのところはぼかしてくれた。いやどう転んでもデキ婚に変わりないんですけどね。
いつの間にか、お妙ちゃんに銀さんを紹介してもらった日から意気投合して秘密裏に交際していたとか、なんかそんな感じの話にねつ造されてるんだけど……事実捻じ曲げすぎじゃね?! まあ、伝えなくちゃいけない事実は伝えられたわけなんだけど。子供が出来たから結婚します、で、私は奥さんになるからこの家に住みます。そんなことを伝え終えた銀さんが目にもとまらぬ速さで吹っ飛んだと思ったらすごい音を立てて壁にめり込んだ。ついでにいうと顔の中心も内側にめり込んでいた。は、鼻が…*マークになってる…!!

サァ……一瞬にして全身から血の気が引いていくのを感じる。そして半端なく噴き出す汗。小さく小さく、そして短く息を吐きながら、今さっきまで銀さんがいた場所を向く。
まるで鬼か悪魔か…背後に黒色のオーラをまとったお妙ちゃんが拳を握りしめながら佇んでいた。あれ、あれ…おかしいな、口元は笑ってるのに、全然目が笑っていませんけど!?


「お、お妙ちゃん…」
「いいのよお嬢ちゃんは何も気にしなくて」
「ヒィ…ッごごごごめ、ごめんなさい」

にっこり、そんな効果音が聞こえてきそうな笑顔をしたお妙ちゃんの背後に鬼が見える…!こわい…!


「ちょ、ちょっと、姉上、銀さん死んじゃいますよ!」
「あァ?何か文句あんのかコノヤロー」
「すいまっせーん!!」

お妙ちゃんを宥めようとした新八君が一秒もしない内に白旗を上げた。がばっと額を床にこすりつける様に地に落ちた新八君はまるで土下座のプロのような華麗さだ。自分で言っておいてなんだけど、何それ。


「銀ちゃん…サイテーアル。見損なったネ」

私悲しい!そんな男に育てた覚えないヨ!おーいおーい!なんて泣きながらぐったりしている銀さんの上に馬乗りになったお団子頭の女の子、神楽ちゃんが両手をグーにして銀さんの顔面を破壊していく。そこにお妙ちゃんが参戦する。更にはお登勢さんまで加わってしまって、地獄のような光景が出来上がってしまった。この男の屑!テメー家賃もまともに払えねーくせに所帯持つってなめてんのかコラァァァァ!死ねやクソ天パ!すでに虫の息の銀さんに浴びせられる罵詈雑言…。
あ、あ、銀さん…銀さんが…!



「や、やめてください!」



私の声に動きを止めた3人の前に入り込み、銀さんを庇うように腕の中に引き寄せる。ぎ、銀さんの顔が…!どこが鼻でどこが目だったのか認識できないくらい歪んでいる。



「わ、私たち、順番は逆になってしまったかもしれません!でも、ほ、本当に好きあってるんです、愛し合ってるんです!」


ぎゅう、悲惨な姿になった銀さんの顔を隠すように抱え込む。


「だから…この人と一緒にならせてください」


声が震えたせいで最後の方は声にならなかった。


「お嬢ちゃん…本気なの?」
「銀ちゃんお金持ってないし、仕事もあんまないし、お金あってもパチンコですぐパーにするロクデナシだヨ」
「私本気です、この人と一緒になりたいんです」
「家賃だってすぐ滞納するよ」
「う…そ、それでも、いいんです!私たちの問題です、私が彼を煮るなり焼くなり決めます…!」


しばしの沈黙の後、お登勢さんがはあと大きな溜息をついた。


「煮るなり焼くなり、ねェ……アンタがそこまで言うなら、アタシ達の出る幕はないさね」


本人達の問題だ、あとは好きにしな。そう言い残してお登勢さんは店の準備があるとその場を後にした。緊張で息が止まりそうだよ。


「お嬢ちゃんが、そうね銀さんを好きなら、私は何も文句は言わないけど」


よりによって銀さんだなんて心配だわ…そう言ってお妙ちゃんは頬に手をやり考え込むようなポーズをとった。お登勢さんと同じようにため息を吐いたお妙ちゃんは、そっと私の手を取って「何かあったらすぐに言ってね、力になるわ」そう言って笑ってくれた。よ、よかった鬼は地獄に戻ったようだ。


「私もお店があるからそろそろ行くわ。また今度時間つくって会いましょうね」
「う、うん…あの、一番仲良くしてくれたのに、何も言ってなくてごめん」
「…そうね、何も言わずに辞めちゃってすごく寂しかったわ。何で何も相談してくれないんだろう、って…」
「ごめんなさい」
「いいのよ、でも今度から相談くらいしてね。すぐに殺りにくるから」
「は、はいィィ!」

黒い笑顔を残してお妙ちゃんも出ていく。残されたのは、この流れに飽きたのか昆布を食べている神楽ちゃんと、その隣で未だに土下座している新八君。





「か、神楽ちゃん、新八君!病院!」