歌舞伎蝶辞めます | ナノ
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▼番外編1の続き




「行ってらっしゃい」

玄関でこれらか仕事へと出ていく3人に手を振る。行ってきますと元気よく答えた新八くんと神楽ちゃんとは違って社長の銀さんはとても気だるげに「おー」と死んだ魚のような目をして言う。いやもっとシャキッとしろよ寝てんのか?
銀さんのやる気のなさに不安を覚えつつやる時はやる男だ、きっと現場に着けばシャキッとヤル男に変身するはずと自分に言い聞かせる。頼むよ大黒柱。

「昼過ぎには戻れると思うから無理すんなよ」

神楽ちゃんと新八くんが楽しそうに今日これから行く仕事について話しながら階段を降りる。そんな二人を見守ってから銀さんが家の中に戻ってきて私の目の前で止まった。

「忘れ物?」
「あぁ、ちょっとな」

取ってこようか?と訊けば「別に自分で取るからいらねぇ」と断られてしまった。取りに行くと言いながら私の前から動く素振りを見せない銀さんにどうしちゃったんだろうと首を傾けながら思案する。もしかして私の方がどけということか。そこまで考えたところで銀さんが口を開く。

「いいもんだな」

ふっと笑われ、何がと言おうと口を開くが言葉が喉を通る前に優しく唇を塞がれてしまった。至近距離でにんまり笑われる。言葉にならない声が漏れる。

「見送りがあるっていいモンだな」
「え?そ、そうだね?」


もう一度唇に、生温かいものが押し当てられる。

「今度から毎回行ってらっしゃいのチューしてもらお」
「…バカップルみたい…」
「そうかもなァ」
「…恥ずかしい…」
「いいじゃねぇか、がんばろーって気になんだからよ」

ぐしゃぐしゃと大きく頭を撫でられる。ちょっとやめてよ!と抗議の声を上げるがそんなのお構いなしだ。一通り撫でまわして気が済んだ銀さんが玄関を出ていく。

「行ってきまーす」

ぐちゃぐちゃに掻きまわされた頭を押さえながらその背中を見送る。さっきより幾分か元気そうな顔をしている。やる気を出してくれたならよかった。これでヤル男になってくれるなら行ってらっしゃいのチューもアリかもしれない、なんて。






一通りの家事を終わらせ一息ついたところで玄関の方から「けーったぞ」と銀さんの声がした。パタパタと玄関に向かう。
朝と何も変わらない姿で帰って来てくれたことに安堵する。とある大企業の重役に依頼された、息子が連れて来た彼女の二週間に及ぶ素行調査の報告をしに行っただけなので怪我をしるような仕事ではなかったのだが。

「おかえりなさい」
「おう、ただいま」
「ただいまネ」

神楽ちゃんがニコニコと笑顔を向けてくるので同じように笑顔を向ける。

「おかえりなさいのチューはしないアルか?」

思わず銀さんと一緒に吹き出してしまう。

「な、な、神楽ちゃん!?」
「おまっこのマセガキが!」
「何で?行ってらっしゃいの時はしてたネ」

ん゙ん゙ん゙!と銀さんが顔を赤くしながら握った手を口に当てながら喉を鳴らした。こらクソ天パばっちりバレてんじゃねーか!

「私のことは気にしないでいいアル!」

見ない見ない、と両手で目を覆うが隙間からばっちり見ている。神楽ちゃんの教育に悪影響を与えていたらどうしよう。まさか神楽ちゃんに気付かれていたなんて…!神楽ちゃんの真似して目元を両手で覆う。うぅ、恥ずかしい。
銀さんが神楽ちゃんの後頭部に拳骨を落とす。

「バカなこと言ってねーでさっさと中入れ」
「ちぇーっ」
「お嬢、出かけるから支度してこいよ」
「ん?どこに?」
「2人で行くアルか?」
「そ。オメーは留守番してろよ」
「私も行くネ!いいでしょ?」
「うん、3人で行こうか」
「ふざけんなよ、どこに子連れでデートする奴がいんだよ。デートじゃなくなるだろーが」
「デート……」

神楽ちゃんと声を重ねてしまった。で、デート。なるほど………なるほど?
早く準備しろと銀さんに促され急いで支度を始める。後ろから「デートならしょーがないネ、お土産に酢昆布よろしく〜」という神楽ちゃんの声が聞こえた。


ぱぱっと軽く化粧をして適当に髪を纏める。めかしこんで来いなんて言われていないしこれくらいでいいか。いやでもデートでしょ、もうちょっと気合い入れた方がいいのかしら。いやでもバチバチに決めようと思ったら今から準備して出発はいつになるのやら…って感じだし。正解のレベルがいまいち解らずうーんと唸うなっていると扉からひょこっと銀さんが顔を覗かせた。

「できたか?」
「わっ!」

可愛い可愛いと (心がこもってないように聞こえるけど本当に思ってるんだろうか) 銀さんが言いながら両手を頭へ伸ばしてくる。家を出る前に撫でられたことを思い出してつい目を瞑る。が、いつまでたっても撫でられる様子がないので目を開く。銀さんが伸ばしかけた手をおもむろに引っ込め、片手で私の手を握りそのまま玄関の方へ向かって歩き出す。

「撫でたら崩れるよな」

ああ、そういうことか。まるで定春でも撫でまわすような動きで撫でてきた銀さんを思い出す。さっきと同じようにされてはまた頭がボサボサになってしまうところだった。

「優しく撫でてくれたらいいのに」
「恥ずかしいだろーが」
「はー?」

髪を撫でるより恥ずかしいことサラッとしてったくせに、どの口が言ってんだか。
むしろ手を繋いでる方が恥ずかしいと思うんだけど…。あ、ところで銀さん鼻とかほじってないよね、大丈夫だよね指に鼻くそとかついてないよね大丈夫だよね?やべ、なんか手に汗かいてきた。








私は少し面食らっていた。思わず銀さんを不安げに見上げてしまう。目の前の建物と銀さんを交互に見る。結びつかない。そんな私に気付いているのかいないのか銀さんはそのまま中に入っていく。慌てて後を追えば「走んなよあぶねぇだろ」と注意されてしまった。どんだけ過保護だよ大丈夫だよ。

「銀さんお店間違えてない?ここどこか知ってる?」
「お前ね…俺だってこーゆートコ来ることくらいあんの」
「えぇ…うそ…似合わない」

銀さんが心外だとでも言うように口角を引き攣らせた。
俺に似合う店ってじゃあなんだよと言うので指を折りながら羅列していく。

「競馬場、パチンコ、キャバクラ、居酒屋、とりあえずいかがわしいことする店全般…」

あとはーと続けようとすると手を引かれ足が止まる。いよいよぶちぎれられるのか?と銀さんを見れば「着いた」とある店を指した。

「こここそ似合わないでしょ」
「つか何だよいかがわしいことする店全般って」
「でも好きでしょ?」
「好きじゃねーよ!俺は好きな女しか抱けないの!」
「はいはいそーゆーことにしといてあげようね〜」
「てめっ適当に流すんじゃねえ!あとなんか他の場所もなんかアレじゃん!ダメ男がよく行きそうなとこばっかじゃねぇか!」
「………?」
「きょとん顔してんじゃねーよ!えっ違うの?って思ってんだろ!?まるでダメな男みたいな目でこっち見んな!腹立つぅぅぅぅ!」

ぎゃーぎゃー騒ぐ私たちを中の店員が苦笑いで見ている。こめかみに青筋が立っているのは見間違いだろうか。そうだといいが。
気まずさを感じながら店内へ入る。ちらと銀さんを盗み見てから目の前にずらりと並ぶガラスで覆われたショーケース達を見る。
品の良さそうな笑みを浮かべた店員に声をかけられどきりとしてしまった。客としてこの店に来たんだよね…私たち…?えええ、銀さんと、ジュエリーショップ?似合わない似合わない、何で何で?解るような解りたくないような、そわそわしちゃって足が震えだしそうだ。

「ちょっと待ってよ銀さん」
「あんだよ」
「ここって指輪屋さんでしょ?もしかして…あの、なんとか指輪、とか?」
「それ以外にここに来る用事あります?」
「…別に私なくてもいいんだよ?それに銀さんだってそんな、キャラじゃな、」
「だぁぁもぉうっせえな!こーゆーのは勢いが大事なんだよ」

額を指で弾かれる。痛いと額を押さえる私を無視して、ふんと鼻を鳴らして大股で進んでいく。まるで自分に言い聞かせているような台詞にぷっと噴き出してしまった。ところでなんとか指輪ってどっちだろう。
店員がにこやかに「何かお探しですか?」と声をかけてくる。なんて答えていいか解らない私は銀さんに視線を投げて、店員さんと同じように返答を待つ。

「えっと、結婚指輪を」
「ご結婚ですね、おめでとうございます」

おめでとうの言葉に銀さんが照れたように返事している。こっちまで照れそうになってしまった。付き合いたてのカップルみたいだ。
結婚指輪か。別になくてもいいと思っていたし、銀さんも特別頓着していないと思っていたのに意外だ。もしかしたら銀さんなりに夫婦の形を作ろうとしているのだろうか。それとも色々とすっ飛ばしていきなり籍を入れることになった私への気遣いのつもりなのだろうか。どう捉えるべきか迷うが、どんな理由にせよ銀さんが指輪を用意してくれようとした気持ちが嬉しかった。欲しいと思っていたわけじゃないけど、欲しくないとも思っていなかったから。あったらいいななんて願望が自分の中にあったことに微かに驚く。そんなのなくても夫婦は夫婦なのに、なんて思ってる可愛くない女だと思っていたのに、まさか自分にそんな女の部分があったなんて。
店員がショーケースの中から、サンプルを数点取り出して見せる。
そこまで物欲もこだわりもある方ではないので、どれがいいか解らない。店員さんが色々とおすすめを説明してくれるけどいまいちピンとこない。銀さんは「男の方はどれも一緒だろ。お嬢の好きな物選べよ」とすでに傍観モードを決め込んでいる。そんな任されても困るんですけど…。
シンプルなものからダイヤがたくさんちりばめられたものまでたくさんあってかえって悩んでしまう。
店員さんが商品の説明をしながら次々と指輪をはめてくれる。さっきは太目の指輪、今度は細身でダイヤが1つ埋め込まれているシンプルな物。薬指にはめられた指輪をライトに照らしながら眺める。ううん、なんか、違う、気がする。何が違うかうまく説明できないけど何かが違うのだ。そう店員さんに言えば、彼女は眉を少し下げて微笑んだ。まるで、私の言いたいことを理解してるという風な笑顔だ。

「これだ、っていうものがきっとありますよ」「常に身に付けるものですので、大切に選んでいきましょう」なんて店員さんに励まされていると、ショーケースの端に移動した銀さんが「おねーさーん」とやる気のない声で彼女を呼んだ。
彼女が銀さんの前に移動して、言われた商品をケースから取り出す。

「これ、お前に合うんじゃね」

いつものようにぼんやりと無気力な顔でこれと言われた指輪を見る。細身でなだらかなV字のカーブに贅沢にダイヤが散りばめられた指輪が店員の手によってはめられていく。華奢ながら上品かつ華やかな指輪が手元で自然に輝いた。

「綺麗……」
「よくお似合いですよ」

店員がにっこりと笑いながら褒める。店員の定型句だとしても、言葉の通りに受け取りたくなった。今までとは違う、これかもしれないと自分で思ったから。

「これがいい……似合うかな?」
「悪くねぇな」

満足そうな表情を浮かべる銀さんに思わず胸が躍る。銀さんが、選んでくれた指輪。それだけで堪らない幸せを感じてしまった。
購入の手続きを済ませ、いざお会計という時に私の心臓がぎゅうと思い切り鷲掴みされたように痛む。値段見ないままこれがいいとか言ってしまったけども…そもそも指輪なんて買うお金なんてどこから…はらはらと見守っていたら銀さんが何食わぬ顔でいつもより分厚くなっている財布を取り出した。
現金を乗せたトレーを持って店員が奥へと消える。銀さんが厚みが減った財布を懐にしまいながら「なんて顔してんだオイ」と睨んできた。

「だ、だって、こんな高い買い物…!」
「言ったろ、こーゆーのは勢いが大事だって」
「まさか、売ったの?」
「は?」
「…臓器とか」
「…売るかよ…。今日の依頼の報酬」

いやーやっぱ会社役員はちげーわ、そう言いながら口元を緩めている銀さんにこれ以上何か言うのはやめた。せっかく銀さんが計画してくれたのだ。幸せだけ噛みしめておこう。ただこれだけは言いたい。家賃を先に払えと。
オーダー品になるので指輪の代わりに引換証を受け取り店を出る。完成する3週間後がとても待ち遠しい。店に入った時と同じようにそわそわしてしまって地に足がついた気がしない。風が吹けばそのまま流されてしまいそうだった。転んでしまっては大変なので寄りかかるように銀さんに手を引いてもらう。
百貨店内のレストランに適当に入り食事を済ませる。久々の二人きりでの外出もそろそろ終わりかと少し寂しく思っていたら「もう一か所付き合って」と言われ、パッと気持ちが明るくなってしまった。子供が生まれればきっとこうして二人だけで出かけることも簡単には出来ないだろうし、もう少し二人でいたかった。





どこに向かっているのかと尋ねると銀さんが一言「ここ」と指さす。どうやら目的地にちょうど着いたらしい。こことさされた建物を見上げる。

「役所……?」
「コイツを出しにな」

そう言って銀さんが取り出したのは記入済みの婚姻届けだった。そういえばいつだったか書いて渡してあったのだった。そのうち出されるだろうとは思っていたが

「とっくに出してると思ってた」
「お嬢が言ったんだろ」
「え、なにを?」

銀さんが眉間に皺を作りながらはあと息を吐いた。え、そんな?

「……結婚するなら好きな人とがいい」

「忘れてんじゃねぇよ」言いながら銀さんが額を小突いてくる。そういえばそんなことも言った気がする。その後いろいろあって別にいいやってなったはずだったけど。
記憶を漁っていたら「私と結婚したいなら、その気にさせてよ!」そんなことを口走っていたことを思い出していたたまれなくなって顔を手で覆う。何を言ってんだ私ってばよぉ!恥ずかしいこと言ってんじゃねぇよぉ!


「最終的に子供が生まれるまでには出そうと思ってたんだけどな」

表情を柔らかくして目尻を下げながら銀さんが微笑む。そんな銀さんの顔がだんだんと歪んでいく。瞬きしたらぽろぽろと涙が頬を伝っていった。私に対する銀さんの優しさがどうしようもなく愛しい。銀さんの優しさが好き。銀さんが好き。
私の名前を呼びながら銀さんの手が優しく目元を拭った。


「お嬢のこと、どうしようもなく好きになっちまった」

目から流れる涙を拭っていた手が今度は私の左手を掬う。そのまま持ち上げられ、流れるように自然に銀さんの口元まで運ばれる。音もなく手にキスを落とされて、なんだかとても恥ずかしいことをされているみたいで途端に顔が熱くなってしまう。思わず見惚れてしまった。とても真剣な目が向けられ思わず息を飲む。交わる視線を逸らす事が出来ない。

「好きだ」

再び低い声で好きと言われ、どうしようもなく胸が締め付けられてしまう。
銀さんてこんなロマンチストだったっけ…?

「私も、好き、です…」

震える唇で返事を絞り出す私に、銀さんが優しく目を細める。

「俺と結婚してほしい」

交際期間も、婚約期間なんてものも私たちの間にはなくて、最初は子供が出来たから籍を入れようなんて事務的な結婚だったはずなのに。

「はい…っ!」

責任だけでなる夫婦だと思っていたのに。こんなにこの人を愛しいと思うようになるなんて。こんな私を愛してくれるなんて。
いいようのない幸福感に包まれて、目に涙を浮かべたまま笑顔を作る。銀さんの目が嬉しそうに細められる。たまらなく愛しいと思ってしまった。