歌舞伎蝶辞めます | ナノ
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20


今まであまり気にしていなかったのだけれど、救急車のサイレンって割と頻繁に鳴っている気がする。毎晩聞こえてくるその音に、もしかして今の救急車の中に銀さんが、なんて考えて不安になってしまう。そんなことはないのだろうけど、サイレンの音が聞こえる度に銀さんじゃありませんようにと祈った。

ちょっと小遣いを稼ぎにと出て行ってから何日たっただろう。パチンコにも行ってないし、競馬にも行っていない、小遣い稼ぎではないことは解っていた。「晩飯までには帰るからあと頼むわ」と言っていたのに、あの銀髪クソ天パは嘘つきだ。きっと、私が止めた依頼を引き受けたのだろう。
サイレンの音で目が覚めてしまった。家の中を見渡してもやっぱり銀さんの姿はない。水でも飲もうと身体を起こそうと肘を支えに上半身に力を入れると、びりびりと腰に痛みが走る。だいぶお腹も大きくなってきて、立ち上がるのすら一仕事だ。
あのクソ天パのやつ……こんな身重な私を置いてどこをほっつき歩いているんだろうか。ふつふつと怒りが沸いてくる。
湯呑みに注いだ水を一気に飲み干してその場に置くと、力を込めすぎたのかダンと大きな音が家の中に響いた。

冷蔵庫のファンの音、窓を叩く風の音、天井から聞こえてくる謎の足音…それに混ざって玄関の方から物音がする。
びくりと肩が上下する。おそるおそる玄関の方を見ればなにやら人影が見える。周りを見渡してから適当に武器になりそうな物を引っ掴んでそろそろと玄関の方へ向かう。寝ている神楽ちゃんを起こそうか、そう思って玄関隣の押し入れに手を伸ばしかけて思い出す。そうだ、神楽ちゃんは新八くんとお妙ちゃんのお家に泊まっているんだった。それなら定春に着いてきてもらおうと後ろを振り返るが、定春も神楽ちゃんと一緒に出ているんだった。なんてこったパンナコッタ。
「お嬢も一緒に行くアル!」と誘ってくれた神楽ちゃんに、もしかしたら銀さんが帰ってくるかもしれない。その時に誰も家に居なかったらきっと寂しいからと断った数時間前の自分をぶっ飛ばしたい。銀さんのことなんて気にしなければよかった。そうだ一番ぶっ飛ばしたいのは坂田銀時、そいつだ。

神楽ちゃんの部屋の前まで来ると、玄関の引き戸がガラガラと音を立てる。玄関を開けた鳥の巣頭は中に入るなり驚いたように目を見開いた。

「まだ起きてたのか」

出かけて行った時よりだいぶボロボロになったクソ田クソ時だった。着物の裾は破れ所々赤黒い染みを作っているのが暗がりに見えた。

「いや、名前にクソ2回も入れるとかひどくね?」
「ひでーのはテメェのかっこだろーが!」

私は左手に持っていた武器、チャッカマンを鳥の巣頭に向かって振り下ろした。「うおっあぶねっ!」と慌てたように声を発した鳥の巣頭がサッと私の攻撃を躱す。カチ、カチ、カチ、何度も引き金を引くうちに指が痛くなってきた。ガスバーナーがなかったのが悔やまれる。

「オイ!あぶねーだろやめろって!チリチリになったらどーすんだ!」
「もともとチリチリが何言ってんの!」
「チリチリじゃないですぅクルクルですぅ」
「どっちも一緒よ!」
「だっ、やめろって!」
「焼け野原にするまで、やめな、っ!」

後退する銀さんを追い詰めるように攻撃していたら、框から落ちそうになった体を銀さんに抱き留められた。チャッカマンを持つ左手を拘束されそのまま銀さんの胸にもたれかかるような恰好になる。

「だから、あぶねぇって」

銀さんの咎めるような声が頭上から降ってくる。拘束する手に微かに力が込められ、私の左手からチャッカマンが落ちる。ホッとしたのか銀さんの体から力が抜けた隙に、右手を振り上げた。右手に隠し持っていた木べらが、パカンといい音を鳴らして銀さんの頭にクリーンヒットする。

「いって!木べらとか反則じゃね!?」
「うるさい!」

問答無用でもう一度右手を振り上げ、銀さんの頭を殴る。

「ちょ、やめろって、神楽達が起きるだろ」
「神楽ちゃん達は新八くんのとこ行ってる!」

ぱかぱかぱかと何度も木べらを振り下ろす。腕で頭をガードしていた銀さんが何度目かの攻撃の後、真剣白刃取りよろしく両手で木べらを挟んで私からそれを取り上げた。持っていた武器を全て取り上げられてしまったことに舌打ちをする。
木べらをその辺に投げた銀さんに腕を引かれる。そのまますっぽりと銀さんの腕に収まってしまう。

「おかえりって言ってくんねーの?」
「…………」

銀さんの少し気落ちしている声が胸にちくりとささる。素直におかえりと言ってしまうのが何だか悔しくてぎゅっと唇を噛む。そうして力を入れておかないと、安心と一緒に涙が零れ落ちてきそうだった。ひどい、ひどい、銀さんは、ひどい。

「嘘つき…」

銀さんから体を離すようにぐぐぐと腕を力いっぱい伸ばしてみても、さっきよりもきつく抱かれているせいでびくともしない。


「行かないでって言ったのに!どうして黙って行っちゃうの?私が行っちゃだめって言ったから?行くなら言ってよ!行かないでよ!何でッ、何で!」
「…悪かった」

言えとか行くなとか、行くならとか、自分がめちゃくちゃなことを言っていることは解っている。矛盾してると思う。けれど吐き出さないと、昂った感情が抑えられなかった。
押し返しても離れない銀さんの胸元を何度も叩く。そんな私の様子を銀さんは黙って見ている。


「ごめん」

ごめんなんて謝罪が聞きたかったわけじゃない。謝られたって全然気持ちが軽くならない。謝られたら、私は許すしかないのだ。
こっちがどれだけ心配したと思ってるんだろう。何日も帰って来なくて、怖くて、やっと帰ってきたと思ったら怪我だらけで。色んなもしもを、毎日考えてた。ごめんの一言で引き下がれなかった。


「出血大サービスって、言ったのにっ!一人にしないって言ったのにっ!嘘つき!銀さんの嘘つき!」

面食らったように、微かに銀さんの目が見開かれる。
二人で山を登った時の事を思い出していた。あの時の銀さんの言葉を私は大切に胸の中にしまっている。銀さんがくれた約束だから。大事な大事な約束だから。

鼻を啜りながら泣く私の目元を、銀さんのゴツゴツした指が気遣うように撫でる。
きっと銀さんはこれからも怪我をして帰ってくることがあるのかもしれない。私はそんな彼を止められないのかもしれない。銀さんは優しいから。私の願いは叶わないかもしれない。だからせめて、

「あんまり無茶しないで」
「…わーったよ」

きっとこの天パのことだ。はいはいりょーかいりょーかいなんて軽いノリでわかったなんて言ってるんだ。銀さんの顔を見上げてキッと睨んでから、その体に腕を回してぎゅうと力を込めてやる。ぐりぐりと耳を銀さんの胸板に押し付けると、規則正しいリズムで拍動する心臓の音が聞こえてくる。その音に、銀さんの匂いに、ひどく安堵する自分がいる。

「…生きて帰ってきてくれてよかった」

ぽつりともらした言葉の返事の代わりに、涙ぐんでいる私の目元に口づけが降りてきた。
背伸びをして、少しだけ赤くなっている銀さんの頬に唇を寄せるとそれに応えるように後頭部を支えられ、お互いの唇が重なる。銀さんの頬を両手で包んでそのまま自分の方へと引き寄せ、額を合わせる。至近距離で見つめ合う。中々自分の中から出て行かなかった言葉がすんなり吐き出された。

「おかえりなさい」
「ただいま」




銀さんの手を引いてソファに座らせ、お湯をはった桶と手ぬぐいを渡す。銀さんが身体を拭いている間に救急箱の準備をして隣に座る。自分で手当てするという銀さんを無視して、傷口の消毒を始める。

「手、震えてるぜ」
「…当たり前じゃん、こんな、たくさん怪我してきてさ…」

目を逸らしたくなるような痛々しい傷を前に、動揺しないはずがなかった。

「私のこと未亡人にしたら許さないから」
「……未亡人て言葉そそるな」
「は?」
「いやなんかエロくね?人妻もいいけど未亡人もなかなか…」

消毒液を付けた綿をわざと傷口にグリグリ押し付けて睨むと、銀さんが涙を浮かべながら謝ってくる。




一通り手当を済ませ、棚の中に救急箱を戻していると、背後に立った銀さんの腕が胸元に回された。
片方の手で私の両頬を包み、ふにふにされる。「なに?」と声をかけながら少し顔を動かすと、私の頬を掴んでいた親指がずれて唇に当たる。

「お嬢ちゃんってずりーよなぁ」
「ずるい?……どっちがよ」

そっちの方がよっぽどずるいでしょ。そんな意味を含めて、唇に当たっていた親指を甘噛みしてみる。

「自分の顔面偏差値高いの解ってんじゃん」
「…解ってるけど」
「否定しねぇのな」

息を吐くように銀さんが笑う。どういう意味だろう。私の顔がいいのは自負しているが、何で今そういう話になるんだろうか。

「銀さん その顔で泣かれんの弱ェんだわ」
「…思ってないくせに」
「お嬢にはずっと笑っててほしいんだよ」
「泣かせてるの銀さんなんだけど」
「もう黙って出て行かねえよ。一人にして悪かった」

言って、私の肩口に頭を乗せる銀さんはどんな顔をしてるんだろう。ただ、迷いのないその声に、感じていた不安が溶けて安心感に包まれていく。
やっぱり、銀さんの方が何倍だってずるいと思う。





「ところでよォ…しゃぶるんなら親指じゃなくて、チ」

言葉の続きは私から繰り出された肘鉄によって最後まで紡がれることはなかった。銀さんは片手で鳩尾を抑えながら「銀さんこれでも怪我人なんですけど!重症なんですけど!」とほざいている。

「ねえ、本当に反省してるの?別にいいけど噛み千切るよ?」
「すみませんでした」