歌舞伎蝶辞めます | ナノ
×


19


もぞもぞと布団に入り込めば暑苦しいと言いながら腕枕してくれて、狭いと文句をつけながら優しく抱きしめてくれた。
子供がお腹の中にいる内に二人の時間を大切にしたいと言えば優しくキスをしてくれた。あのねあのねと声をかける私に早く寝ろと髪を撫でながら注意されたのも、うとうとしだした私におやすみっておでこにキスをくれたのも、とても嬉しかった。腕枕の高さも触れる手の強さも心臓の音を聞きながら目を閉じる瞬間も全てが愛おしかった。


抱き合ったまま眠って。起きても銀さんに包まれてて。これ以上ない幸福感に満たされていた。
私は100%幸せだったのだ。幸せのベールに包まれていたのだ。なにそれ…まあいいや。それなのに、それなのに、だ。
数日前に来た依頼を引き受けてから銀さんが帰ってこない。布団を敷いているとふつふつと怒りが沸いてきた。
依頼は簡単なはずだった。簡単だと銀さんが言ったのだ。数日前を思い出す。すまいるで働いている子の、別の店で働いている知り合いが客とトラブってしまって女の子の身が危ないかもしれないから片が付くまで護衛をしてほしい、そんな依頼だった。客とトラブルを起こしたという女の子とその店の店長が揃ってやって来て、お客の写真を見せてくれた。写真に写っている男には見覚えがあった。写真を見ただで背中にゾッとしたものが走る。そして「その男、知ってるよ」と、つい口を挟んでしまったのだ。


前にうちの店の元締めになってやるって来た組の奴だったと思う。断ったんだけどあんまりしつこくて、女の子たちもあんまいい顔してなくてさ。何がきっかけだったかは覚えてないんだけど、逆上して女の子刺した危ない奴だよ。





=====




怒りを含んだ目で写真の男を睨みながら言って、そのまま下唇を噛んだお嬢は少し震えているようだった。それは怒りからなのか恐怖からなのか。それとも両方なのか。お嬢の手は爪が皮膚に食い込む程きつく握られていた。
極道モンかよ、めんどくさそうに呟いた銀時に、写真を睨んでいたお嬢の目が移動する。
「絶対、ダメだよ」
しっかりとした口調でそう言ったお嬢に銀時は目を細めながら「わーってるよ」とまためんどくさそうに返す。

疑いの目で銀時を睨み続けるお嬢に溜息を漏らした銀時が新八を呼ぶ。盆に急須と湯呑を乗せた新八が台所から顔を出した。

「今回の依頼はキャンセルだ」
「えっ、いいんですか!?」

こんな依頼料めったにないですよ、目を見開きながら言う新八にいーんだよ、と答えた銀時はいつまでも自分を睨みつけているお嬢の眉間を指で押し返す。不貞腐れるように銀時から顔をそらしたお嬢が腕を組みながら再び写真の男を睨む。

「誰かさんがすんげー怖ぇ顔してっからな」

誰かさん、そういわれたお嬢が不満げに口を尖らせる。そんなに眉間に力入れてっと眉毛くっつくぞ、と銀時にちゃかされたお嬢が銀時の頭に拳骨を一つ落とした。


「今回の相手は危なすぎる。怪我だけで済まなかったら…」

その先がお嬢から吐き出されることはなかった。新八がわかりましたと了承したところで漸くお嬢は銀時を睨むのをやめた。 訝しむお嬢からの視線に解放された銀時はよっこいしょ、と立ち上がりくしゃりとお嬢の頭を撫でた。

「暇になったからちょっくら小遣いでも稼いで来ますかね」

そう言って伸びをした銀時を見て新八が大きなため息を吐いた。小遣い稼ぎとはおそらくパチンコのことだろう。

「晩飯までには帰るからあと頼むわ」

そう言って新八の肩をポンポンと数回叩いて銀時が玄関へ向かう。お客さん置いてパチンコ行く社長なんて信じられませんよ!新八の言葉にお嬢が乾いた笑いで返す。自分のわがままで依頼を断らせてしまったという負い目からか素直に肯定できなかったのだ。
新八が残された客の相手をしに客間へと戻って行った。


=====


小遣い稼ぎへ出かけたはずの銀さんが、数日たった今も帰って来ない。小遣い稼ぎって何?マグロ漁船にでも乗り込んだの?

「うそつき」

ぽつりと吐き出した言葉には力が全然込められていなかった。私が何を言っても聞き入れてくれる人じゃないのだ。目の前で困ってる人がいたら普段表に出さないだけで、自分のことなんて顧みないで走って行ってしまう人なのだ。あんなやる気も生気もないようなクソ天パのくせに、普段お人よしってキャラでもないくせに。てゆーか、妻の頼みより目の前の泣いてる女優先ってどうなの?いや人として素晴らしいよ、ジェントルマンかもしれないよ?でも、どーなの!?そういうことじゃないだろっていうのは解ってる。でも何か怒りの理由を見つけないと気持ちに整理がつけられなかった。
私以外の女に優しい銀さんなんて!お前の嫁だってなあ、子供も生まれるし、銀さんいないと不安だし、寂しいしなあ、困ってるのに!
怒りに任せて枕を布団に叩きつける。あたりに埃と羽毛が舞った。

「性格わっる…最悪じゃん」

目元に浮かんだ涙を拳で乱暴に拭ってそのまま床に叩きつけた。めちゃくちゃ痛い。銀さんのせいでこんな荒れてるんだけど、銀さんが今いなくてよかった。こんなに醜い自分を見られずに済んでよかった。…いやあいつのせいで醜い自分が露見したわけなんだけどさ。
布団に入って目を瞑っても全然眠くならない。数日前はあんなに満たされていたのに。今は眠るのが怖いよ。いつの間に一人で寝れなくなってしまったんだろう。銀さん、銀さん、銀さん、銀さん、怪我してないかな大丈夫かな無茶してないかな。銀さんが隣に居ないと寂しくて寝れない、なんて本人にはきっと素直に言えないけど。寝れないからとりあえず羊でも数えてようかな。

クソ天パが1匹、クソ天パが2匹、クソ天パが3匹、クソ天パが4匹、……クソ天パが846匹…………クソ天パが1010匹………クソ天パが4614匹……全然寝れない。ほとんど眠れないまま朝が来てしまった。明け方、新聞配達のバイクの音が聞こえたところでクソ天パを数えるのをやめた。