歌舞伎蝶辞めます | ナノ
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17


私の親に挨拶に行くという銀さんに「そうなの」と静かに返すと私の3倍は高いテンションで突っ掛かってきた。
そうなのって何だオイ!オメーの親に結婚の挨拶しに行くっつってんだろーが!なんて喚く礼服を着込んだ銀さんを適当にやり過ごす。解ってるっての。


「んじゃ、行きますかね」

よいしょ、と立ち上がり玄関に向かえば銀さんに道を塞がれた。肩を力いっぱい掴まれて顔が歪む。いや痛いんですけど。

「だから!結婚の挨拶に行こうって言ってんの!」
「解ってるってば!」
「お前、俺がこんな気張ってんのにそんなカッコで行くつもり?俺だけ頑張っててアホじゃね?そんな頭ボサボサで適当なカッコした女の隣で娘さんを俺にくださいとか頭下げんの?いや別にいいんだけどね、俺の責任だし!どんな格好してたっていいよね!でもさあせめて髪についたまんまの米粒くらい取ってくんないかなァ!」
「あー、もう、わかったわかった!解りました!」

溜息吐きたい気持ちをぐっと押し込んで玄関から洗面所へ行先を変える。髪の毛についたまんまだったご飯粒を乱暴に取って、適当に髪を一つにまとめて、しばらく仕舞われたままだった化粧道具を取り出した。化粧ってしない期間があるとやり方忘れるんですけど…。後ろの扉の隙間から目を光らせている奴を前にそんなこと言ってられない。



久々に化粧して、髪の毛も綺麗にまとめて、鏡の前で色んな角度からおかしなところがないかチェックする。化粧する前はめんどくさいとか化粧してようがしてなかろうが一緒でしょとか思ってたけど、化粧を施した自分の顔面を見るとなんか気持ちが引き締まって気分があがってきた。単純とか言った奴あとでシメる。
身支度を終え、ソファで寝ている銀さんを起こす。寝ぼけ眼のまま数回瞬きを繰り返し、ゆっくりと身体を持ち上げた。この人いつも眠そうな目してるからちゃんと起きてんのか半分寝てるのかわかんないな。銀さんにバカヤロー嫁ならそれくらいの違い見分けられねーでどうすんだ、つかいつもシャキっとキリッとした目ェしてんだろーが、と怒られたことを思い出した。思い出したら何か腹立ってきた。ばっきゃろーこちとら新米嫁なんだよ付き合い浅くてそんなん解るかってんだ。

「おぉ、出来たかよ」
「うん。これで文句ないでしょ」

どお?と銀さんの前で回って見せる。調子乗ってこけんなよなんて言いながら銀さんが立ち上がり私の手を取った。

「やっぱお前かわいー顔してんね」
「はは、親に感謝だね」
「性格がかわいくねーのは?」
「は?中身ももれなく可愛いんですけど」
「…あっそ」



未だに繋がれている手に目を向ける。嫌じゃない、ただ少しだけ不安になった。
手を繋いでいることが嫌なわけじゃない、それに何でどうしてと問うつもりもない。ゆっくりと、銀さんに気にされながら階段を下りる。すごく甘やかされている気がする。というか過保護だ。階段くらい自分で降りられるのに。
手を繋いだのはただ私が妊婦で転ぶのが心配だからだろうか、それとも私に対して少しでも恋愛感情が芽生えたのだろうか。ぐるぐると思考が回る中自分にも問いかける。――――私は?
私にもそういう感情が芽生え始めてるのか。それとも私たちが無責任に宿らせてしまった小さな命への償いか、諦めか。
少しだけ先を歩く銀さんの後ろ姿を見ながら握る手に力を込めた。握り返してくれた手に、小さいけれど確かな愛を感じたような気がした。





***


「お前の実家ってこんな山奥にあんの?」

あとどんだけ歩いたらいいんですかね?苦笑いで聞いてくる銀さんにもうすぐだと返す。山奥っていったってそんなに登ってないでしょうが。どの辺が山奥だよ。

「この道まっすぐ行けばすぐだよ」
「いやこの道って、ずっと一本道なんですけど!?終わりが見えないんだけど!」
「迷子にならなくて便利〜」
「全然便利じゃねーだろ」

繋いでいた手が汗でベタベタして気持ち悪いと眉を顰めた時、目的の場所が見えてきた。よかった、ちゃんと来れたようだ。中々来ない場所だから一本道とはいえ無事に着けるか心配だったんだよね。

「ほら着いたよ」

そろそろ汗ばんだ手を離したいと思っていたとこだったからちょうどよかった。銀さんが拗ねたようにこちらを見ていた。「サラッと傷付くこと言うのやめてくれる?俺デリケートだからね?傷付きやすいんだからね?」なんて言っている銀さんは無視して手をぐいぐい引っ張って案内する。誰がガラスのハートだって?

「あの……お嬢ちゃん?」
「ん?」
「着いたんだよね?」
「うん、久々にこんな歩いて疲れたね」
「そうだね、ってそうじゃなくて、親御さんはどちらに?」

少し山に入ったところに私の家はあった。目の前の、劣化が進み柱は崩れ屋根は落ちて焦げた骨組だけが残されたような廃屋に、私たちは住んでいた。朽ち果ててしまった黒い炭のような骨組を前に鎮座する石の前に膝を折る。

「たぶん、ここ」

私の言葉に困惑し返答に窮している銀さんから目線を外す。一瞬の沈黙をはさんで、過去の記憶を呼び起こしながら口を開く。ずっと小さい頃の遠い記憶で、思い出すこともほとんどなく過ごしてきたから、もうよく憶えていないのだけれど。よくある話だけど、うちってすっごく貧乏だったのね。その日食べるものに困ってたり、明日はあさっては生きていられるのか心配になるくらいに。子供の頃はそれでも自分は不幸だなんて思わなかったけど。貧しくて、お腹もすいててつらくて苦しかったけど、両親がいたから。子供にとって親って何よりも大切なんだね、本当に、神様みたいに。側にいてくれて、笑顔を見せてくれて、愛してくれる、それだけで幸せだと思えた。





親と子供3人でやっていくことも困難だったのに、両親は私を花火大会に連れて行ってくれた。屋台で買った綿菓子を片手に私ははしゃいでいて、父が射的で取ったぬいぐるみを抱えながら母がたこ焼きを食べさせてくれた。口元についたソースを拭ってくれたのも母だった。
初めての射的、綿菓子、ずっと先まで続く屋台、賑やかな祭りの雰囲気。空高く咲く火の花。今思うとおかしな話だけど、何もかもが初めてだらけで、生まれてから一番楽しいと思う時間だった。
お腹いっぱい食べて、おもちゃを手に入れて、初めて目にする花火に興奮して、はしゃぎ疲れて大きな音が耳を痛いくらいに叩く中で寝ちゃって。そんな私を背に担いでくれたのは父だった。今にも折れてしまいそうな痩せ細った背中なのに、何故かとても安心した。大好きなお父さんの背中だった。

あの頃の私がもっと大人だったら、もう少し大きかったら……気付けていたかもしれない。その日食べる物にも困っているような生活だというのに、祭りを楽しむ余裕なんてあるはずなかった。少し考えれば解ることだった。でも子供がそんなことまで疑うわけないじゃない、まだほんの小さい子がそんなこと気付くわけないじゃない。
目が覚めたら、見慣れた天井も、壁も、いつも起きると側にいた両親も、何もなかった。周りに誰もいない寂しさ、知らない場所で目が覚めて不安にならないはずがなかった。まだほんの子供で、何で自分がこんな場所にいるのか、何故両親が居ないのか解らなかった。昨日の楽しかった記憶は夢だったんじゃないか、焦る頭で考えたけど力一杯胸に抱いていたぬいぐるみにそんなはずないと否定された。

自分が寝ていた場所も解らない。けどとにかく家に帰ろうという気持ちだけが強く胸にあって、ただひたすら歩いた。どこに家があるのかもわからないのに、ひたすらこっちかもしれないあっちかもしれないって歩き回って、一日中歩き回って、日が暮れた頃に漸く見慣れた山の入り口にたどり着いた。本当に、本当に嬉しくてそれまでの疲れが、足の痛みが嘘のように消えた。この道をまっすぐ行けば家に帰れる。お母さんお父さんに会えるんだ、そんな希望を胸に抱えながら、今私がいるこの場所まで休まず歩いた。子供の足で歩いたんだよ、すごいでしょ。途中から重くなって引きずってたぬいぐるみは、一日ですっかりボロボロになってしまって、ずっと地面にこすられていたせいで、足の裏の布が破けて綿の道を作ってた。悲しかったけど、お母さんお父さんに会える嬉しさの方が大きかった。もうすぐ、もうすぐって自分に言い聞かせながら走って


「今よりもマシな状態だったけど、私が着いた頃にはこんな感じになってた」

何もなくなった場所を前に、やっと私は置いていかれたんだと気付いた。私は重荷だったのだと。私が居ても居なくてもきっと状況は変わらなかったけど、あの頃は取りつかれたように自分を責めた。どんなつもりで、どんな思いで私を置いて行ったのかは解らないけど、自分から消えるのと親に置いて行かれるのとでは気持ちの持ち方も、整理をつけるのもとても難しかった。

そこで話を区切り、石を撫でる。銀さんは黙って私の声に耳を傾けてくれていた。どんな目で私の背中を見ているんだろう。
きっと両親はここにいる。だって、ここに帰ってきたはずだから。私も帰って来たから。

あの時のこともその後のことも、もうあんまり憶えてなくて、両親の顔さえもうぼやけてよく思い出せない。今までの道のりを思い出してもあまりきれいに辿れそうにない。決して楽な道ではなかったけど、がむしゃらに歩いて時には走ってきた。だから私はここまで生きていたし、この先もずっと生きていく。


「ねえ、銀さん」
「おう」

私の隣に腰を下ろした銀さんの目がまっすぐこっちに向けられた。相変わらず何を考えているのか解らない顔してるね。そう言ったら「うるせえ」と一言返された。

「泣きそうだからもっかい手、握ってよ」
「笑ってんじゃねえよ」

銀さんの手は熱くて、指の跡がつきそうなくらい、とてもしっかりとした握り方だった。力の加減を忘れたように強く握られた手は痛いはずなのに、悲鳴をあげているはずなのにどうしようもない安心感に包まれる。空いた手が伸びてきて目元に溜まった涙を掬う。少し乾燥している指先は皮膚が薄い目元には少しだけ痛くて、擦られた所が微かに熱を帯びた。
悲しい時に無理して笑うなって珍しく眉と目を近づけた銀さんが言う。別に悲しいわけじゃないのに、思い出すと涙が出る。もう慣れたはずなのに、出てくる涙の意味が解らない。悲しくないから笑ってるのに銀さんはおかしなことを言う。


手の温度が混ざり合った頃ようやく気持ちも落ち着き、感傷に浸り滲んだ涙も引っ込んだ。銀さんはそんな私を見て安心したように微笑んでから繋いでいた手を離す。見るとやっぱり握られた所が白くなっていた。後から痣にならないだろうか。心配しつつ両手を擦り合わせるように感覚がなくなりかけている手を撫でる。この跡が消えなければいいのに、そんな風に思うのは何故か。答えを探すように銀さんを見ると、両手を合わせて目を閉じていた。
人はどうして祈り事をする時、この形をとるのだろう。この場において至極どうでもいいことを考えながら銀さんと同じように胸の前で両手を合わせて目を瞑った。久しぶりって挨拶して、子供が出来たこと、この人と一緒になること、他にも報告することがたくさんある。
長い沈黙が続いた後、銀さんがヨシの掛け声と共に立ち上がった。目の前に手が差し出され、その手を迷う事なく掴むと身体ごと持ち上げるように腕を引かれ、その勢いのまますっぽりと銀さんの腕の中へ閉じ込められる。

「何かお願いしてたの?」
「お嬢さんを俺にくださいってお願いしてきたわ」
「ふぅん、答えはなんて?」
「あァ?いい顔はしてねーんじゃねえの」

銀さんの行動の意味やどんな気持ちを私に抱いているかはこの際置いとこう。ただ、私はこの人に自分の全てを解ってもらえなくていいから知って欲しいと思った。私のこと知って、貴方に何も隠していたくないの。受け入れてくれなんて我が儘言わないから、ただ知っててくれるだけでいいから。少しでいいから歩み寄らせてほしい。頬にあたる銀さんの癖毛がくすぐったくて目を閉じる。もう少し、近づきたい。

「ただ、一つ約束してきた。出血大サービスだかんな」

お前のことは最後まで一人にしねえって ガキとお前は俺が最後まで守るから心配すんなって、恥ずかしい台詞を優しいトーンで言うもんだから熱がじわりじわりと頬に集まって逆上せそう。さすが出血大サービスだ。似合わない台詞に、自分に向けられた言葉に、胸の奥がむず痒くなる。どんな顔してるのか気になって頭を上げようとしたら上から手で押さえられて動けなくなった。



「それ、一つじゃなくて二つじゃね?」
「…ここで揚げ足取るのやめてくれない」