歌舞伎蝶辞めます | ナノ
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妊娠が解って、本当は働いていたい気持ちもあったけど、お酒を飲む場所で煙草の煙が充満してていつも騒がしい場所にいたらよくないと思って次の仕事も何も考えずに すぐ辞めた。おまけに家まで引き払って。ぱにくってたのか今思うとほんとどうかしてた…。


今は銀さんの家に転がり込んで…って言い方もなんかおかしいけど、銀さんのお嫁さんとして家事をする日々。いわゆる専業主婦になったわけだけど、家事以外にすることがなくなって暇な時間を持て余している。
銀さんといえば、ほとんど無職でたまに少ないお金が、たまぁに大金が入ってくるようなプー太郎みたいな人だったけど、父親というか家庭を持ったっていう自覚からか、依頼がない日はパチンコ行くか家でジャンプ読んでるだけの人だったのに、仕事にも出るようになった。遅くまで働いてくれる銀さんには本当に感謝しかない。
お登勢さんにも ここまでこのバカが改心するとはね、と感心させるほどだった。

私はというと、キャバクラで働いていた時のように顔面にも髪にも爪にもお金をかけなくなった。化粧も薄くなったし、ネイルも多少はがれたくらい気にしなくなった。まあ元々そんな自分の身なりに頓着があったわけじゃなくて、仕事柄きちっとしておかないとというプロ意識からネイルも美容にも力を入れているだけだったし。
かなりの頻度で行ってた美容室も、ほとんど行かなくなった。むしろその辺のやっすい所しか行ってない。ネイルは気分転換にたまにするけど。

銀さんが働きに出ている間、神楽ちゃんが私の話相手になってくれている。新八君も頻繁に来てくれるし、お妙ちゃんも仕事の前にわざわざ顔を出してくれるし。お登勢さんも何かと気にかけてくれてとても周りに恵まれていると思う。

神楽ちゃんの髪を結いながら、気付かれないように溜息を吐いた。本当は友達と遊びに外に行きたいはずなのに、私の為に家にいてくれる。銀さんが家にいて依頼のない日は気を遣ってくれてるのか、よく家を出て行く。まあ夕方になったらちゃんと帰ってくるんだけど。
ごめんね、心の中で謝ったつもりなのに口に出していたようで神楽ちゃんが振り向いて「何がアルか?」と訊いてくる。

「あっダメだよ動いたら〜」
「何がごめんなの?」

無理矢理頭を前に向かせながら「髪の毛引っ張ったら何本か抜いちゃった」って軽く言えば大きな声を上げながら自分の頭皮に手をやり大丈夫アルか私の髪の毛ちゃんと生えてるアルカとパニックを起こし出した。髪の毛は乙女の命っていうもんね、うんうん。

「大丈夫だよ!髪の毛って一日に何百本と抜けるんだもん」
「毎日そんな抜けてたからパピーは禿げたアルか?」
「普通は抜けても毛根が生きてるから再生するの」
「じゃあパピーは……」

涙目で問いかけてくる神楽ちゃんの頭を撫でてやる。そうか神楽ちゃんのパパは禿げてるんだね。
大丈夫大丈夫、女の子は禿げないよ〜なんて無責任なこと言いながら頭を撫でてると、安心したように笑顔を見せてくれた。その笑顔にちくりと胸が痛む‥‥‥ごめんね、多分禿げないとは思うけど適当に出た言葉なんだ。









銀さんの様子がおかしい。ここ最近ずっとおかしい。神楽ちゃんは元々おかしい奴だったというが、そんなことは一緒に暮らしてれば嫌というほど目の当たりにする。そうではなく、それ以上におかしくなってしまった。
私のことをチラチラ見てるかと思えば目が合えば思い切り逸らされる。なんだと思って見つめていれば横目でこちらを見ながら何か言いたげに口を開く。が、何か言葉が出てくるわけでもなく、まるで金魚のように口を開けたり閉じたりするだけで終わる。問い詰めてみても「いや、」だの「その」だのともじもじと首の裏をかきながら目を泳がせる。なんってじれったい。なんて女々しい。それがここ何日か続いている。

「言いたいことがあるならはっきり言ってよ!」
「いや、だから……」

耐えきれずに再び銀さんを問いただせば途端に上下左右に動きだす目。意を決して話出すような素振りを見せたかと思えばまたいつものように言葉を自分の中に引っ込める。イライラする。もう逃げることは許さない全部吐き出せクソ天パ。そんな意味を込めて目の前であーだのえーだのとこの期に及んで歯切れの悪い言葉を並べている銀さんを睨む。

「この前からそんなそわそわした態度して…私何かしたっけ。てゆーか何かしたとか?」

睨むだけでは気が済まず、気づけば銀さんの胸元をぎちぎちに締め上げていた。おっと、やばい。パッときつく握ってしまっていた手を離す。心なしか銀さんの顔に恐怖の色が見え隠れしている気がする。恐らく気のせいだろう、そうだろう そういうことにしておくか。

――― この前から。そう、数日前から銀さんはずっとこんな調子だ。数日前のことを思い出してみる。中々思い出せなかったのはきっとその日が私にとっては最悪な…あまり思い出したくない、2度目の検診があったあの日だったからだ。土方さんのことを思い出して、申し訳なさに泣きたくなった。土方さんに会わせる顔がない…。自分の情けなさに自然とため息が漏れた。
それを見た銀さんが、自分に対しての溜息だと勘違いしたのか悪いと一言謝ってきた。
銀さんに対しての溜息じゃなかったけど、銀さんにも溜息を吐いてやりたいのは事実だった。

数日前、検診の帰り。どうだった?と訊いてきた銀さんに病院でもらったエコー写真を見せた。ここが頭で、ここが足らしいよと先生が指さしていた場所を思い出しながら説明してやった。銀さんに足だと教えた部分はもしかしたら手の部分だったかもしれない。私と同じで銀さんもどれが足で頭?と私と同じことを言っていた。絶対こいつも落花生みたい、と思っていたに違いない。
エコー写真を両手で持ったまま固まっていた銀さんは、それからおかしくなってしまった。最初は、あまりにも落ち着きなく振る舞うものだから他の女でも抱いてきたのかと思ったが、どうやら違ったようだ。
――― 今思えば、そうだ、あの後から

「もしかして、父親になるのが怖くなった、とか…」

尋ねるように聞けば銀さんの身体が一瞬強張る。やっぱり、か…目の前が暗くなっていくような気がした。大きく息を吸い込み気持ちを落ち着かせるよう努める。私一人でも育てていく覚悟はいつでも持っておかなくてはと思っていたのに、一緒に生活していく内に絆されてしまっていたのかもしれない。
私の次の言葉が出てくる前に銀さんの口が動いた。

「ちげぇよ」

がしがしと乱暴に頭を掻きそのまま俯いた銀さんが静かに口を開く。小さな声がやけに大きく耳に響いた。

「そりゃ…突然ガキができて、こんな俺が父親になるのかって思ったら怖ぇけど。それが嫌だなんて思ってねーよ」

そこまで無責任になれっか‥‥小さく呟いてから覗くように私に目線を寄越した銀さんはそのまま、自分の横に来るよう手招きした。それに素直に従えば銀さんの手が私の頭を優しく撫でた。え、何だ急にどうしたこわい。

「逃げてばっかで悪かった」
「え、」
「今更だけどちゃんとしねーとな」

ぽんぽんと最後に優しく頭を叩かれる。疑問符を飛ばす私をよそに銀さんは何か決めたように迷いなく立ち上がるとそのまま部屋の奥へ引っ込んでしまった。
一人残された私にどうしろっていうのか。結局今までの銀さんの態度はなんだったのか。はてなマークをいくつか頭上に浮かべながら銀さんが消えた方を見つめる。何一つとして解決したものがない。




暫くしてさっき銀さんが消えていった部屋の扉が勢いよく開いた。あまりの勢いに驚いていると、扉を開けた張本人が「待たせたな」と扇子片手に仁王立ちしていた。
普段の着崩した恰好ではなく、袴姿で正装に身を包んだ銀さんに開いた口が塞がらない。ビシッと決めてらっしゃるけど、いかがされたのかしらこの殿方は…。結婚式にでも出席する気ですか?‥‥ん? 結婚式?

「え、まさか式挙げる気!?」
「は?そんな金あるわけねーだろ」
「‥で、ですよねー」

それじゃあ、そんな一張羅引っ張り出してどういうつもりだという気持ちを込めて視線を送り続けていたら彼はうんと一つ大きく頷いた。いやわけが解らない。うん、じゃない うんじゃ。

「今更アレだけどよ、お前の親に挨拶しねーとな」

いきなりオメー、こんな報告行って俺生きて帰れるかな…なんて言いながら顔に冷や汗を浮かばせて自分の身を案じている銀さんの先ほどの言葉を反芻してみる。
そりゃそうだ。結婚というのは何も私たち当人だけの問題じゃない。一つの家族を作るというのはそう容易なことではないのだ。順番がいくつも逆になってしまってるとつくづく思う。