歌舞伎蝶辞めます | ナノ
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12


「ただいまアル」

ガラガラと玄関から引き戸が開けられた音と、聞き慣れた神楽の声がする。そのままこちらに向かって来ると神楽は俺を見下ろしながらオイと声をかけた。第一声がオイってどーだよ、オイ。


「…ンだよ」
「そこでお嬢に会ったヨ」
「そーかよ」

なおも見下ろし続ける神楽の目はまるでゴミでも見ているようだ。ゴミって俺か?

「泣いてたアル」

先ほどと同じようにそーかよと返せば、その返事が気に入らなかったのか神楽の眉間に皺が寄った。


「喧嘩でもしたアルか。泣いてたアル」

またも泣いてたという言葉になんて返すか考えてたら、俺を見下ろしながら神楽が眉を顰めた。俺になんて言わせてぇんだよ。俺が泣かしたって言いたいのか。そうだよ、俺が泣かしたんだよ。解ってるそんなことぐらい。

「お嬢がかわいいそうアル」

かわいそう、何がかわいそうだってンだ。あいつの何がかわいそうだってんだ。


「こんなクソ天パが旦那だなんて、お嬢がかわいそうネ」
「テメェ人が黙って聞いてりゃ好き放題言いやがって」
「大事にしろヨ」

ここでふんぞり反ってる場合じゃねーぞ、そう言っているようなひどく冷めた目をした神楽に言葉が何も出てこない。大事にだ?何でだよ、子供のためか?何のために?

「お嬢のこと泣かす奴はここにいらないアル」
「は?ちょ、おま、何すんだコノヤロー離、」

お前にここにいる資格なんてないネ出てくヨロシ。首根っこをつかむとそのままゴミでも捨てるように玄関へと放り投げられる。え、ちょ、ここ俺ン家だよね?ひどくない?は?わけわかんねぇんだけど。
何で俺があいつ泣かしただけで追い出されんだよ意味わかんねえだろ。なにこれ。ふざけやがってありえねえ。
ぴしゃりと閉められた玄関を開ける気にもなれず、ふらふらと立ち上がる。

「ったく、なんだってんだ」

忌々しそうに舌打ちをした。暗い、そう思って上を見れば俺と同じように不機嫌そうな色をした空。もう一度意味もなく舌打ちしては、心のどこかで誰かが泣かした泣かしたと責め立てる声がする。
最後に見たお嬢の顔が浮かんで罪悪感が沸いてくる。とりあえずあいつをなんとかしねーと家にも入れねぇってわけか。ったく、とんだ人たらしを拾っちまったもんだ。




=====



これ以上あの天パを視界に入れたくなくて、というか同じ空間にいるのも同じ空気吸うのも嫌になって思わず飛び出してしまった。行く当てもなく歩いていたらどこか見覚えのある道に出ていた。
この先の角を曲がると以前来たことあるあの道だと思い出して、ふらふらと足を進める。
角を曲がれば思った通り、恒道館道場とかかれた看板が見えた。
来てしまってから、来てどうするつもりなんだと足を進めたことを少し後悔した。
引き返すか、いやでもここまで来て来た道を戻るのもなんか嫌だ。どうしようか悩んで、結局足を前に進めることにした。そのまま道場を横切ってしまえばいいのだ。なにも寄ろうと思っていたわけじゃない、たまたま気づいたらこの道に来ていたんだから。

「あら、お嬢ちゃんじゃない」

目の前からスーパーの袋をひっさげたお妙ちゃんがこちらに向かって歩いてきた。見たとおり買い物の帰りのようだ。

「こんな所で会うなんてね、何か用事だった?」

にこっと以前と変わらず笑いかけてくれるお妙ちゃん。


「別に用事があった訳じゃないんだけど、」

言葉を濁せばお妙ちゃんはハッとしたような顔をした後に「ごめんなさい」と謝ってきた。
お妙ちゃんが謝る理由が解らず間抜けにも「え?」と聞き返してしまった。

「友達が会いにくるのに理由なんていらないわよね」

私ったら野暮なこと聞いちゃった、なんて悪戯っぽく言いながら私を道場の中へ通すお妙ちゃん。これまた間抜けというか情けなくも「あ、ちょ、ちょっと、」なんて否定もせず何か答えるわけでもなくされるがままになってしまった。

そんなわけで何故か部屋の中へ通されてしまい、申し訳ないことにバーゲンダッシュとお茶まで出されてしまった。
出されたアイスが溶けてしまったら勿体ないと思いアイスを口に運んでいれば「で?」とお妙ちゃんが私を見ながら首を傾げた。

「で、といいますと?」
「銀さんと何かあった?」

ぶ、とアイスを吹き出しそうになった。のを必死で押さえ込む。変な所に唾液が入り込んでむせた。苦しくて死ぬかと思った。こんな醜態を晒して恥ずかしさで死ねそう。そんな柔でもないけど。


「何かって、何も、」
「嘘。じゃなかったらそんなに赤い目をしてここまで来てないわよ」

にこにこしていたお妙ちゃんからすっと笑みが消え、急に真面目な顔を向けられる。お妙ちゃんてば鋭いなぁなんて茶化そうにも、それが許される空気ではなさそうだ。お妙ちゃんの真顔超こわいもん。怒ったらもっとこわいけど。
言うか言うまいか悩んでいれば「私、気はそんなに長くないわよ」と急かされる。後ろに鬼が見えた気がした。
彼女だけは怒らせてはいけないと学習している私は、観念して 先ほど土方さん達と会ったこと、銀さんが不機嫌になってしまったことや私が土方さんとも寝てると思われたことが不満だったことなど事のあらましを説明していく。


「それで、つい出てきちゃ、て……」

ずっと俯いて話していたが、話の終盤にさしかかり顔を上げれば、目の前のお妙ちゃんの様子の変わりように後半の言葉が尻窄みになってしまった。
いつの間にか着物の袂が背中へ回って たすき掛けされ、その手には薙刀まで握られている。
額には鉢巻きが巻かれ、見間違いでなければ“殺 坂田銀時”と書かれていた。その姿は、私の全身を戦慄させるには充分すぎた。


「お、お妙ちゃん?…何して、」
「解ってるわ。奴を殺せばいいのね?」
「こっ!?そ、そんなこと言ってないよ!」
「あら、じゃあどうしてほしい?」
「え…気持ちが落ち着くまでここにいさせて貰えたら、それで充分…」
「私が殺したいだけだから何も気にしなくていいのよ」
「あれ?お妙ちゃんと言葉のキャッチボール出来てない?」


この人、銀さんのこと殺す気満々だよ!!!???



「行きましょうか、あの腐れ天パの所へ」


ダンッ、薙刀の尻を床に叩き付けてお妙ちゃんは私に微笑みかけた。「は、はいッ!」、つい迫力に負けて声が裏返ってしまった。この人は一睨みで人を殺せるかもしれない。

こ、こんなつもりじゃなかったのに…!