Syringa vulgaris | ナノ
×




Osmanthus


私の勝手な押し付けだというのは解ってた。調子に乗っていたのかもしれない。少しだけ私を見る目が優しくなったと、望みがあるかもって思ってしまっていた。何があっても何を言われても傷つかない、そう自分に決めていたのに。好きでいる代わりに傷つかないそれで絶対に諦めない。何があったって受け入れるそう決めてたのに私は嘘つきだ。
泣くから!なんて黄瀬君を脅すように言っても本当に泣くつもりなんてなかったのに。いつもみたいに笑ってじゃあ来年はお返し用意させてみせるなんて黄瀬君に表明してやろうって思ってたんだ。だって黄瀬君が女の子へのお返しは基本的にしないって言ったから。きっとお返しは貰えないって期待して傷つくのが怖かったから期待しないように言い聞かせてあったのに。らしくないらしくない。壁に思い切り額を叩きつけたい。
傷つかないなんて嘘。人を好きになって傷つかない人なんていない。傷つきたくないなんてそんなの逃げてるのと一緒だ。

言ってることもやってることもめちゃくちゃだ。黄瀬君の気の引き方が解らない。だから私なりに突っ走ってるつもりなのにうまくいかない。自分を押し付けすぎているのがダメなんだろうけど、黄瀬君への気持ちを押さえ込むのが自分でも出来ない。じわりじわりと涙が視界を滲ませてゆく。
黄瀬君の前で泣き顔をさらすわけにもいかず、思わず逃げてしまった足で友達を探す。トイレの前を通りかかったらちょうど手を拭きながら出てきたのでそのまま飛びつく。
「え、ちょ、痴漢?!ちかーん!」と叫ばれますます悲しくなってしまった。
ぎゅうう、友人の背に回した腕に力をこめれば、脇腹をくすぐられいとも簡単に引っペがされてしまった。

「あれ、ちょっとあんた何泣いてんの」

泣いてると気付いた友人は、トイレで洗った手を拭いたばかりのハンカチを私の目元に押し付けた。
事情を話し終えると彼女は渇いた笑いを漏らした後に名前ってほんとアホよね、とそれはもう菩薩のような優しい笑顔を私に向けて吐き出した。また涙が滲み出す。こらえるために下唇を力いっぱい噛む。それを見た友人は変な顔と言って吹き出すもんだからこらえきれなかった涙が頬を伝ってしまった。ひ、ひどすぎる…!
これでも真剣に悲しんでいるんだよ私は。じとりと目の前でポッキーを食べている友人を睨めば彼女は「ごめんね」と言いながらポッキーを私の口に3本同時に突っ込んできた。あなた悪いと思ってらっしゃいます?

「黄瀬君を好きでいる代わりに、なんだっけ?」
「絶対傷つかないし諦めないし見返りは求めない」
「最後めちゃくちゃ嘘じゃんか!」
「も、目標だよ。あんまり求めない!…ように心がけてる」
「心がけての結果がこれなの…」

正論すぎて言い返す言葉が見つからない。言葉に詰まって彼女から視線を下に下げた。上から小さい溜息の音、それから「まあいいや」の切り替えの声が降りてきた。

「傷つかないし諦めないんでしょ」
「うん…」
「諦めない、はいいとして。傷つかないなんて黄瀬君を好きな時点でありえない」
「…うん…」
「傷ついても諦めないって思ってる?」
「思ってる」
「じゃあまた頑張りなさい。いつまでも凹まない。自分を磨きなさい」

さっきから出ている私の涙で濡れてしまったハンカチがまた目元を拭う。濡れてすっかり冷たくなってしまったハンカチなのに、何故か暖かく思えた。

「これが黄瀬君だったらいいのに」
「…………まあ、そんなこと言える内は大丈夫でしょうね」

すっかり呆れ返った友人はため息を吐いた後、思い出したようにそうだと呟き私の方を向いた。

「なに?」
「あんたちゃんと黄瀬君に謝るんだよ」
「えっ?!」
「毎日毎日お返し散々ねだってもらえなかったからって泣きっ面見せて逃げてきたんでしょ?」

グサリグサリと友人の今の発言に対して何度言葉のナイフが心に突き刺さったことか。言われて思い出したが私ってばなんて面倒くさい女を黄瀬君にアピールしてきてしまったんだ。面倒くさいのは今に始まったことではないと自分でいうのもなんだが自覚しているけど、今回ばかりはいつも以上に一方的だった。深く反省してますまた明日から黄瀬君好きアピールしていきます、と自分の中で完結させたわけだけど。よく考えると何故そんな流れになる馬鹿か!とツッコミせざるを得ない。私が謝るのは何も今回のことだけではない気がする。今まで所構わず黄瀬君を見かければ好きだと叫んだり、今までのストーカー行為の数々を詫びなければいけないのではなかろうか。いやそもそもこれからもラブハンターとしてユーをストーキングしてオーケー?って黄瀬君に許可を得なければいけないのでは?
そんな申し出が受理されるとは思えないけど。オーケーなわけないじゃないっスか、むしろ俺の前から消えてほしいくらいなんだけど。なんて笑顔で言われかねない…!言われたところで結局ストーカーしちゃうだろうから許可とるとかそんなのぶっちゃけ關係ないよね。

「あんた黙ってるけど、解ってんの?」
「解ってるこれからちゃんと今までの無断行為について謝罪したのちこれからもストーカーしていいか許可申請する」
「全然解ってないじゃん!何の謝罪だよ!ストーカーって…もう恋する乙女の域超えてもはやただの変態じゃん」
「変態でも黄瀬君を思う気持ちは純粋そのものだから!」
「いや意味わかんないし」
「てか一人で考えてたら思考がズレてきちゃった」
「だろうな」
「でもさ、でもさ、謝って黄瀬君許してくれるかな?」
「さあ。でも今回の件でもしかしたらさらに黄瀬君に嫌われたかもしれんね」
「へえええええええ!!?」
「まっ謝ったところで一緒かもしれないけど。謝らないよりはいいんでないの」
「え、ちょ何立ち上がってんのまだ昼休み終わらないよ?」
「名前との話しは終わったの」
「え?嘘でしょ、終わってないよ?何も解決してなくね?」
「黄瀬君見つけて土下座でもしてきなさい。私これから職員室行かなきゃだから」
「何それ聞いてないけど」
「じゃあそういうことだから、頑張んなさい」

え、ちょ、まじで?嘘だろ?マイアドバイザー兼ツッコミ役が消えたら私の思考回路はどんどん間違った道へ進んでしまうんだよ?
てか今私結構真面目に傷心中なわけで人肌恋しいっていうか誰かにそばにいて欲しいときなんだよ。そんな私を残して消えてくとかおま…黄瀬君に謝りに行かなきゃなって私も思ったよ、もうちょっと勇気づけてほしかったななんて思ってたのよ。いやでも奴のことだ笑顔で甘えんなこのクズがとか言ってデコピンしてきたかもしれない。でもでも今はそのデコピンが欲しいんだよ。
さみしさからか乾いたはずの涙の粒がじわりと浮かんできてしまった。私もうホントダメダメだ。

「苗字さん!」
「……えっ」

途方にくれ始めたとき、背後で私を呼ぶ声。この声は今は会いたいようで会いたくないような黄瀬君だ。いや黄瀬君大好きな私にとって会いたくない黄瀬君なんて存在しているはずないじゃないか。
後ろを中々振り返らない私を不思議に思ったのか黄瀬君は再度私を呼んだ。今度は呼び止めるときのような声でなくて、どうしたと問うような疑問符が付けられた。声をかけられ、いつもなら犬のように黄瀬君に飛びつく勢いで近寄っていくのに、今は金縛りにかける呪文のようだ。まばたきせずにいたら目に溜まった涙が流れてしまった。そんな私の前に中々動かない私にしびれをきらしたのか黄瀬君がしゃがんだ。

「まだ泣いてんスか?」

困った顔をした黄瀬君に胸がきゅうと締め付けられた。困らせたいわけじゃなかったんだけど。それにもう泣いてないよ。この涙は私を孤独に追いやった友人への悲しみの涙であり、瞬きをしなかったが故に流れてしまっただけのこと…なんて真実は言えるはずもなく、あくびが出ただけだなんて誤魔化してみたけど黄瀬君はそれを信じてはくれなかったようで、そっすかと適当に頷いた。

「で、どうしたら泣き止んでくれる?」
「別に泣いてないもん」
「さっきは泣いてたでしょ」
「…ごめんなさい」
「へっ?」
「あまりに自分勝手というか自己中心的で黄瀬君に迷惑をかけて…。お返しとか本当は貰えないって思ってたけど毎日せがんでる内にいつの間にか期待しちゃって…」
「なんつーか」
「謝って黄瀬君が私を好きになってくれるなんて思ってないけど、嫌われたくない…」
「すっげぇ今更ッスね」
「…うっ…」
「そんな今更なこと謝られたって余計困るだけだ」
「ゆ、許してくれる?」
「許す許さないでいえば許さないけど」
「ぐ…!で、でも、好きでいてもいいですかっこれからも黄瀬君に好きって言ってもいいですか」
「(俺が許す許さない関係なくね?)…そんな泣きながら言われて断れる程俺強くないんスけど」
「黄瀬君、好き…」
「うん、解ったから泣くのやめてくんないスか?」

これあげるから、そう言って強引に手を掴まれ何かが乗せられる。握らせるように黄瀬君に包まれた手がすごく熱い。一瞬にして手のひらが汗をかく。黄瀬君が掴んだ手を離す。黄瀬君の手によってグーにされた拳を見つめる。
何かが私の拳の中にあるのは確かなのだが、中々手のひらを開くことが出来ない。まさか黄瀬君私の手のひらに瞬間接着剤を塗りたくったのではないだろうか?これあげるからって二度と手を開かせなくさせる呪いですか?

「本当に大したモンじゃないけど、あんたにはこれで充分でしょ」
「………っ……」
「泣いてる子に弱いんスよねぇ」

黄瀬君が困ったように笑った。ゆっくりゆっくりと握られていた手を開いていく。小さな輪っかが私の手のひらの中で銀色が光っている。見つめること数秒。今度はゆっくり黄瀬君に目を向ける。正しくは私から見て右の方の耳たぶ。
いつもそこにある物が、今私の手の中にある。黄瀬君がいつもつけてる物が私の手の中にある。もう一度自分の手のひらを見つめる。それは紛れもなく黄瀬君が普段左耳につけているピアスだ。そう理解した途端手から力が抜け、プルプルと震えだした。ぎゅうと目をつぶる。黄瀬君がまーた泣くんスか?と息を吐き出すように笑った声が降ってきた。

「これは、嬉し泣きってやつ…!」
「苗字さんてほんっとに頑固だし我侭だし、負けるッス」
「わ、私のこと好きになった?!」
「そこは負けねーよ」

ですよねー、と笑いながら両手を握り締めた。一生の宝物にしよう。


「なんか、お天気雨みたいな顔っスね」