送り犬


さほど険しいわけでもない山道。そこを下ってゆく青年が一人大きな荷物を背負って歩いていた。青年は薄暗くなる山道を少しばかり速足に歩みを進めていた。青年の数メートル後ろには赤茶色のような色をした獣が一匹その距離を保ちながら獰猛な目を光らせている。

「なんて運が悪い…」

青年はぼそりと呟く。いつのまにか駆け足になっていた。それでも獣は付かず離れず後を追ってくる。青年は頭の中で考えていた。あれはただの獣ではない。送り犬。本来ならばあることをしなければ無害な妖怪だ。しかしあれは違う。あれは獲物を狩る目をしていた。

「うっ、わっ!」

青年が茂みへ倒れ込んだ。獣はその隙を逃さない。一気に青年との距離を縮めその首へ牙を向けた。前足で青年を押さえつければ小柄なその体は抵抗できるはずがない。恐怖に駆られているだろう、そう思うと獣は笑みを隠せはしなかった。だが、青年は意に反し下らない、とでも言いたげな顔をしていた。

「犬っころ風情が。」

青年は自由のきく左手を大きく振り獣の顔を殴った。ギャンッ、と獣が声を上げる。青年は地面にへたりこむ獣の首根っこを掴み黒い首輪をつけた。ただそれだけなのに獣は青年を振り払う力すら出なくなる。憎らしげに青年を睨むと青年は綺麗な笑みを浮かべた。

「貴方、僕の犬になりなさい。」

有無を言わさない言葉に獣はヴゥ、と不満げな声を上げるだけだった。

青年の名前は時雨といった。代々妖怪を退治する家系であるが、時雨は旅医者をしていた。獣はというと時雨の傍を不満げに歩いている。最初こそ時雨を食おうとしていたがそれをするには時雨は一枚も二枚も上手だった。

時雨が獣を使役した数日後の事だ。多少の寝苦しさと自分の身に掛かる重さに目が覚めた。薄ぼんやりと見える視界には鮮やかな赤色が映る。それが見たことがない男だと気づくが、驚く暇もなく男は時雨の首に手を掛けた。

「っ、…っあ…、なたは…っ…」

男がグッと力を入れる。ひどく嬉しげに笑みを浮かべて男は時雨の首筋に顔を埋め舌を這わせた。不快な感覚に時雨がビクリと反応を見せる。と、ふと目に留まる黒い首輪。途端に時雨は理解し、言葉とも取れぬ声をだした。すると男はまるであの獣なようにその場にへたり込んだ。乱れた服を直し、時雨は男を見下した。

「全く…犬は犬でも駄犬だったか。それで?人型になってまでしたかった事はなんなんですか?」

「…ちっ、厄介な首輪だな。いいか!俺様は犬でも駄犬でもねぇ!!紅季って名前があんだよ!!獣の時じゃ文句の一つも言えねぇからな。」

ふんっ、て鼻をならし紅季はぶつくさと文句を呟いた。茫然としていた時雨だが呆れたようなタメ息をだした。紅季の前にしゃがみこみ、顔を向かい合わせる。

「そんな事のために。貴方は本当に駄犬ですね。バカもここまでくると愛着すら沸いてきますよ。…言っておきますけれど、紅季。貴方が僕を食べるなんて到底無理な話ですよ。」

獣の時のように時雨は紅季の頭を撫で、くすくすと楽しげに笑った。紅季はすぐにその手を払いのけ、いつか食ってやる。とだけ言い残しまだ明けきらない外へと出ていった。

それからというもの紅季は時雨の寝首を襲ってやるつもりだが実行に移せないでいた。町や村に入れば人型になり時雨の手伝いをし、道中は獣となり用心棒のような事をしている。その生活に慣れてしまっている自分に紅季は焦りのようなものを感じていた。だが同時に感じたことのない安心感が紅季の中で生まれていた。

「紅季、ちょっと診察に行ってきますけど、貴方はどうしますか?」

「は?あのガキんとこ?…忠告じゃねーけど、あの家はいけ好かねぇ臭いがするんだよ。」

「それを人は忠告というんですよ。とりあえず行ってきますから。」

妙な胸騒ぎを感じていた。紅季にとって時雨がどうなろうと知ったことではないはずだ。それでもあの家の主人の何かを企んだ醜悪な顔が頭に過っていた。ちっ、と舌打ちをし、紅季は駆け出していた。らしくないとは感じている。時雨がそうそうに死ぬような玉ではないこともわかっている。だが、走り出した足は止まらなかった。

「時雨っ!!」

忠告は当たっていたし、胸騒ぎも思い過ごしではなかった。扉を開ければ時雨は床の上で倒れていた。金銭が目的か、あるいは医者の薬か、目的は定かではないが倒れたまま動かない時雨の姿に紅季は腸が煮え変えるような怒りを感じた。時雨を抱き上げ、スンと覚えている臭いを追った。

そう遠くはない。食い殺してやろう。紅季はそう思っていた。だが、抱き上げていた手にドロリとした感触がし、足を止めた。なんだ、これは。紅季は恐る恐る視線を下げる。ぐったりとする時雨の脇腹から血が流れ出ていた。願ってもみなかったことじゃないか。殺す手間が省けたんだ。そう思うのに恐いくらい足の震えは止まらなかった。ぽっかりと穴が開いたようだった。

「は、ははっ、何やってんだよ、なぁ、こんなとこで寝てんなよ。俺様が食ってやるんだから、なぁ、時雨、勝手に、死ぬんじゃねぇッ!!」

つけられた首輪がボロボロと崩れていった。自由じゃないか、ずっと、これを望んだじゃないか。紅季は首輪をつけられていたあたりに手を伸ばした。何もない、ふいに涙が溢れ出していた。冷たくなる時雨を抱き締めた。知らない感情。人はこれをなんて呼んでいただろうか。

「もう…食うなんて言わねぇから……目開けろよ、時雨ぇ…」




(その感情を教えてくれる人はもういない)

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