世界を知らないまま生きると思った
邪魔にならないようにと端を歩いていたのに、気づけば穴に落ちていた。これはたぶん、四年生の穴堀小僧こと綾部くんのターコちゃんだ。まさかこんな端っこにまで仕掛けてるなんて。さすがというべきか迷惑というべきか。
「…でも意外と落ち着くかも」
穴は体がすっぽりちょうど収まる大きさ。広くはないが窮屈でもない。なんかこう、眠気の誘われる感じ。
「おやまぁ」
「…あ、喜八郎くん」
「何してるんですか先輩。こんなところで」
それは、なんでこんな端っこの穴に落ちるんだ、と言う意味だろうか。まあ保健委員でも普通はこんなとこ通らないもんね。
「このターコちゃん、結構お気に入りだったんですけどね」
「ええっと…ごめん?」
ターコちゃんの好みとかあるんだ。私は全部同じに見えるんだけどな。そんなこと本人に言ったら、怒られそうだから言わないけど。
「出ないんですか?」
「あー…出られないんだよね」
足が悪くて。その答えが意外だったのか、喜八郎くんのくりこな目がさらに丸くなった。うーん、かわいいなあ。
「足、悪いんですか?」
「生活に支障はないんだけどね」
忍びにはなれないの。くの一としては使い物にならないんだ。続く言葉に彼の目は丸いまま。
「…でも、授業受けてるじゃないですか」
「実技以外は、ね。忍の知識っていろいろ役立ちそうだからって学園長先生にお願いして」
もちろん初めからそのつもりだったわけじゃない。入学したときは足は悪くなかった。むしろ柔軟でしなやかね、とシナ先生に誉められたくらいだ。しかし3年生のとき、学園に来る途中で戦に巻き込まれて脊髄が損傷してしまった。
「まあでもなんとか歩けるようにはなったんだ」
「…じゃあ、」
顔をあげる。喜八郎くんの目はもう丸くなくて、いつも通りの無表情だった。そして飄々と言い放った。
「先輩が卒業したらお嫁にもらってあげます」
「え、喜八郎くん私のこと好きなの?」
「わりと」
…なんて子だ。前から個性的なのは知ってたけど。そんなんで生涯の伴侶決めちゃだめじゃないだろうか。
「喜八郎くん、そういうことはもうちょっとこう…慎重にしないと」
「僕が先輩の足になって、もっといろんなところに連れて行ってあげますよ」
笑って、まるで当たり前のように言うものだから、視界はだんだんぼやけていく。
くのたまの先輩が自分を快く思っていないのは知っている。だからだろうか、こんなにも彼の優しさに涙するのは。
「…喜八郎くん」
「はい」
「ありがとう」
俯いて出た小さな言葉に、彼はどういたしまして、と言った。
(とりあえず出ましょうか)
(あ、うん…あれ、滝夜叉丸くん?)
(あほはちろおぉぉおぉ!)