普段は隊服ばかりで着物は着慣れておらずなんとも走りにくい。それでも手を引く目の前の彼は、それをも考慮して無理ない程度に走ってくれていた。

 やがて人気がない道まで出ると、義勇はぴたりと足を止め奏もそれに続く。
 背を向けたまま、それでも掴んだ手首を離さず微動だにしない義勇に奏は痺れを切らし口を開いた。


「・・・冨岡さん、どうしてここにいるんですか」
「・・・・・・」
「黙られても困ります」


 くるりと体を奏の方へ向ける。目の前の彼女は戸惑いの色で自分を見つめていた。
 義勇はその問いになんと返すのが正解か悩む。本当は自分の鎹鴉の寛三郎が突如ヨロヨロと自分の元へやってきて何かと耳を傾ければ、

「雪柱小鳥遊奏ガ十二鬼月ト交戦中ジャ・・・加勢ニ向カウンジャ・・・」

 と言うものだから。義勇は慌てて刀を手に寛三郎の案内する方角へ走ったというのに。

 実際見つけた奏は至って無事で、鬼すら近くにはいなかったわけで。それを目にした時は一瞬寛三郎のボケ具合を恨んだが奏が見知らぬ男と供にいたことを知った途端、恨んだ感情が裏返り感謝に変わった。




空蝉 第七話:どこにもどこかにもいない人





「・・・たまたま通りかかった」
「・・・あの狭い路地にどうたまたま通りかかるんですか」
「・・・・・・」
「はぁ・・・・・・」


 溜息をつく奏を改めて見やる。
 いつもと違う雰囲気。この間食事をした時とは違う綺麗な着物に身を包んでいて、淡く施してある化粧。最初は簪をつけていたが、この時それが無くなっていることに義勇は気づいた。きっと自分が無理矢理走らせた時に外れてしまったのだろうと罪悪感が湧く。

 同時に男と逢瀬をするために、その綺麗に着飾った彼女の姿に腹の底から沸々と何かが沸き上がってくる。


「・・・俺は怒ってる」
「・・・何でですか」
「他に男は作るなと言ったはずだ」
「なん、」


 ぐいっと急に掴まれていた手首を引かれ、奏と義勇の距離が一気に縮む。すっと近づいてきた彼の顔に、奏は咄嗟に胸板を押して顔を背けたことで接吻が未遂で終わる。


「・・・本気になってもいいかもと言ったのは冗談か」
「!」


 その悲しい声色に顔を上げた。
 目前には眉を僅かに落とす義勇が自分を真っすぐ見つめていて、その表情が奏の胸を締め付ける。


「・・・言葉が足りないと思います」
「そうか・・・」
「・・・そうですよ。冨岡さんはどうしたいんですか?私のこと好きなんですか?」
「・・・わからない」


 その彼の一言にずるっと体を傾けたくなる。
 俯いたまま義勇は続けた。


「好き、という感情がわからない。俺は今までそういう色恋の感情を抱いたことがない」
「そう、ですか」
「・・・だが、お前が他の男といるのは見たくない。いて欲しくない」


 いつの間にか手首を掴んでいた彼の手が、自分の手の平を握っていることに気付く。
 奏自身も、その気持ちが何となく理解できていた。自分も今まで恋仲になった男は何人もいるが所詮は自分の欲求を満たすためだけの関係。好きだと思う者は一人もいなかった。義勇が自身の感情に戸惑う気持ちは、少なからず理解できていたのだ。


「・・・じゃぁ私はどうしたらいいんですか」
「・・・何が」
「私だって、どうしようもなく寂しくて人肌恋しくなる時くらいあります。冨岡さんにはないかもしれませんけど・・・心の隙間を埋めてくれる時間が必要な時があるんですよ」
「・・・・・・」
「冨岡さんに他の男と会うなと言われる権利もないし、それに従う義務も私にはありません」
「ならどうすればその権利を得られる」
「え?」


 真剣な眼差しにたじろぐ。
 そんなの一つしかない。


「小鳥遊と俺が恋仲になれば、その権利は俺に与えられるのか」
「・・・それは、そうかもしれないですけどそんなの生き地獄じゃないですか」
「・・・何故」
「その権利を得るためだけに恋仲になったって、私はどうすればいいんですか?空いた隙間はどう埋めればいいんですか」
「・・・俺が埋める」
「!」
「俺が小鳥遊の気が済むまで傍にいて、その空いた隙間を埋める」


 義勇の言葉が胸に沁み込んで、それだけで満たされていくのが自分でもわかっていた。
 この時から既に、気持ちが彼に向いていたのだと思う。それを自覚した瞬間、不思議と彼のいる世界が華やいで見える。彼の全てが自分の充足へと繋がる。


「・・・信用できないです。この前会ってからどれだけ間が空いたと思ってるんですか。任務も被らないし、鴉で連絡を取り合うわけでもないし・・・」
「・・・・・・」
「あなたはいつもそう、お見舞いの時も一度も顔を見せてくれなかった。家にお邪魔した時も居留守を使っていた。私に会いたくないんじゃないんですか」
「・・・それは、違う」
「・・・何が違うんですか」
「・・・面と向かうと何を言えばいいかわからなくなる。見舞いの時は眠っている間、時間の許す限り傍らにいた。家の時は急にお前が来て戸惑ってどうすればいいか悩んで・・・居留守を使うつもりはなかった」
「・・・・・・」
「すまない」


 伏せられた長い睫毛。
 思わず笑ってしまった。そんな奏に何故笑われたのか心外と思う義勇は怪訝そうな顔を向けてくる。何だか涙が溢れてきた。


「あはは、何か自分が馬鹿みたい」
「・・・何故泣く」
「すいません、なんかホッとしたら気が抜けちゃったみたいで」


 すっと手を伸ばされ自分の羽織の袖で涙を拭ってくれる義勇。それも化粧がなるべく落ちないようにそっと優しく拭ってくれるのだ。その何気ない気遣いも、奏の中では気持ちを昂らせるきっかけに充分過ぎるものであった。


「・・・冨岡さん」
「何だ」
「抱き締めて欲しいです」


 臙脂色の羽織の裾を掴んで、そう彼に懇願すればすぐに両腕が背中に回り抱き締められる。隊服の上から見ただけではわからなかったが、そのがっちりとした胸板と筋肉質にどきりと鼓動が速まった。今まで触れてきた男達とは全く違う。それだけで彼がどれだけ鍛錬し鍛え抜いて柱まで上り詰めたのかがわかってしまう。

 ふいに片手が髪に触れてきて優しく撫でるその手つきに、奏は胸がいっぱいになった。すっと少し体を離し、背伸びをして義勇の唇に自分のそれを重ねる。最初は触れるだけの接吻。自分を見つめる彼の瞳が熱を帯びていて堪らずもう一度重ねた唇は、次第に深さを増していき、二人夢中で口づけを交わした。

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