「ねぇ聞いてる奏?」


 快晴の空の下。茶屋の椅子に腰かけぼーっと空を仰ぐ。
 奏の頭の中には一人の男で独占されていた。

 「もしもし奏さーん?」そう頬をつんつんと突かれて奏はようやく我に返る。隣を見れば、怪訝そうな顔をしてこちらを見つめるカナエの姿があった。
 そう、奏とカナエは一緒に茶屋にきて談笑を嗜んでいたのだ。


「あ・・・ごめん、聞いてなかった」
「ふふ、恋煩いかしら」
「え!?」
「奏は本当にわかりやすいわねー」


 恋煩い。自分が?誰に?
 横に置いていた湯飲みを手にし、一口含む。
 カナエは楽しそうに続けた。


「そういえば、最近冨岡くんとはどう?」
「ブッ!」
「あらあら・・・・・・」

 
 その名に口に含んだばかりの茶を盛大に噴き出す。汚い。濡れた口周りをカナエがやれやれと手ぬぐいで拭ってくれた。

 冨岡くん。
 その名を聞いて、つい昨日のやり取りを思い出す。それは義勇と食事を楽しみ、すっかり酒に酔った自分が彼の家に連れ帰られた朝のこと。






 「もう他に男は作るな」。そう言われ義勇から接吻された。

 彼の伏せられた長い睫毛がとても綺麗でしばらく見惚れてしまった。掴まれた右手が熱い。だが瞬時に自分が彼に接吻されているという状況を理解し、抵抗した。

 空いた左手で義勇の胸をトンっと一度叩くと、彼は力で押し通そうとはせずゆっくり体を解放してくれた。見下ろし奏を見つめる義勇の瞳は、とても切なげな色を帯びていて。その目と視線が交わった奏の心境は今まで感じたことのないざわめきを覚えた。


「・・・・・・帰ります」
「・・・・・・」


 そう言えば名残惜しそうに離してくれる右手。
 くるりと彼に背を向けて羽織りを纏い戸の方へ歩く中。「・・・すまない・・・」そう小さい罪悪感を帯びた声色が聞こえ一瞬足を止めたが、奏は振り向かずそのまま冨岡邸を後にしたのだった。







 そう思うなら、もう他に男は作るな。
 義勇の言葉を再度胸の中で繰り返す。確かに、本気になってもいいかもと先に言ったのは自分だった。でもまさか接吻されるとは思っていなかった。どういう意図なのか。そのまま考えれば、義勇が自分に好意を寄せているように思えるが果たしてそんな単純なものなのか。そもそも義勇に醜態を晒し迷惑をかけた身だというのに惚れられるようなところが自分には全くない。

 隣で美味しそうに団子を口に含むカナエを見やる。


「カナエは・・・」
「んー?」
「・・・・・・」
「奏?どうかしたの?」


 何を聞けばいいのかわからない。
 口ごもる奏に、カナエは団子を置いて再び向き合い言葉を待ってくれた。このときめくような熱い感情を言葉に何と現わせばいいのか奏にはとても難しかった。

 だが、勘が鋭いカナエは何かを察したのか代わりに口を開く。


「そういえばね、奏」
「うん・・・」
「昨日昼間、偶然冨岡くんを見かけたから声を掛けてみたのよ」


 それを聞いて心臓がどきりと跳ねる。


「彼あまり会話が得意ではないじゃない?世間話をしていてもぼーっとした顔で相打ちするくらいだったんだけど、奏の名前を出すとね、僅かに眉が上がるのよ」
「・・・・・・」
「ふふ、わかりやすいのね。冨岡くんも・・・あなたも」
「・・・・・・」
「素直になってもいいんじゃないかしら」


 優しくそう背中を押してくれるカナエの言葉に、奏はようやく口を開く。


「・・・でも、私怖いんだ」
「んー?何がー?」
「冨岡さんはとても優しいし何度も助けてもらって、素敵な人だと思う。その存在が自分の中で大きくなればなるほど、私は刀を振るうのを臆しそうで怖いの。柱としてあってはならない感情が込み上げてきそうで」
「・・・・・・」
「・・・もうあまり関わらないほうがいいのかもしれない。彼もきっと私と同じことを思ってるはずなの。お互い良くないって」


 そもそも滅多に柱同士顔を合わせることはない。柱合会議か、任務が供になるか。
 または奏とカナエのように、会う約束を取り付けなければ会う機会はないのだ。

 奏から空へ顔を向けたカナエは静かに口を開く。


「・・・そうね、奏の言いたいことはよくわかるけど、少し深く考えすぎじゃないかしら。私達は立場が立場だから戦いの場に余計な私情を挟むのは良くないことよ。でも私は思うの。奏にはもう少し自分の命を大切にして欲しいって。あなたはきっと、失うのが怖くて大切なものを作ることに臆しているけれど、同時に自分の命も無下にしてない?」
「・・・!」
「今の奏に必要なのは大切なものを作ることなんじゃないかって思うのよ。人ってそれがあるかないかで強さが変わるから。それは剣技の強さじゃないわ、心の強さよ」
「・・・・・・」
「あなたにはそれが今ないから、いざという時諦めるの。何がなんでも生きたいって意思がないから。心が強くなると、生きたいって意思があると、人は必然的に強くなれるものなのよ。奏には、必要だと思う、大切だと思う何かが」


 「それが冨岡くんなら、素敵ね」そう付け加えて微笑むカナエの言葉に、奏は圧倒されていた。彼女の言う通りだった。自分は失うのが怖くて大切なものを作らないと決めていた。過去に全て失って後悔したからだ。大切なものがない方が、戦いに置いて一番良いと勝手に思い込んでいた。だがその一方死ぬことに対して恐れが無かった。生きたいという意思もなかった。いつ死んでもいいとさえ思っているのだ。それではいくら柱という強い立場であっても、本当の強さには届かないとカナエは言いたいのだ。


 その大切なものというのが、彼ならば。
 熱くなる胸にそっと手を添えた。


「・・・ありがとうカナエ」
「いえいえ、奏はもう少し贅沢してもいいのよ」
「そうなのかな・・・」
「そうよ。決して長い人生ではないのだからその一つ一つを大切に過ごさなきゃ駄目よ」
「うん・・・」


 「私はいつだって奏の味方だからね」そう優しく肩を叩いてくれるカナエに、奏は微笑んだ。大切なもの。彼女ももうその一人だとその時思った。





空蝉 第六話:残留思念に花の鎖






 だがしらばく義勇と奏が顔を合わせる機会は巡ってこなかった。
 任務もあれ以来供になることはなかった。当然街中でばったり遭遇なんてこともない。
何もないまま日が過ぎていくだけであった。

 そして寂しいという定期的にやってくる感情。心に空く隙間。
 もう他に男は作るな。そんな彼の言葉も奏の中では薄く小さくなっていた。

 非番の夜。
 自宅の鏡の前で、柱ではなく一人の女になり口紅を薄っすら唇に乗せる。髪を櫛でとかし、簪を横に挿す。隊服から着物へと身を包む。
 「よく似合ってる」そう義勇から言われた着物を手に取ったが、それは選ばずそっと箪笥の中へしまった。

 電灯で明るく照らされた夜の街中。時間帯も時間帯なだけあり男女の組み合わせが多い人通り。奏は待ち合わせていた男と逢瀬を楽しんでいた。

 鴉もいない、柱ではなく女として楽しむ僅かなこの一時。この時間が奏を充足される唯一の時間であった。

 人通りの少ない脇道に入って、体を求めて抱き締めてくる目前の男の背中に手を回す。人と人が触れ合う時のその体温が、相手がいくら好意のない男だったとしても温かい。自分の空いた隙間を埋めてくれるのだ。

 そっと瞼を下ろし身を委ねようとした時。


「痛ッ!」


 そうバッと体が放され何が起きたのかと目を開けば。
 男が苦痛の表情を浮かべていて、背後の者に腕を捻られていた。まさか鬼かと身構えるも今は刀を持ってきていない。だが、背後に佇む男を見た瞬間。消えかけていたときめきが胸に蘇った。


「・・・冨岡さん・・・・・・?」
「・・・行くぞ」


 ガッと腕を掴まれ、走り出す義勇に奏は半ば引きずられるようにしてついていく。その際髪に挿していた簪がぽとりと地面に落ちてしまうがとても拾える状況ではなく諦めた。いきなり現れたかと思えば、いきなり腕を掴み人の逢瀬を邪魔するこの人は、一体何を考えているのだろうか。


「ちょっ・・・冨岡さん、待ってください!」
「待たない。黙って走れ」
「イヤ、嫌です!離してください!」
「駄目だ。離さない」
「っ・・・」


 今日の彼は優しく離してはくれなかった。
 怒っている。その前を走る彼の後ろ姿が物語っていた。きっと自分が他の男といたからだろう。だが義勇にそれを責める権利はないはず。
 だが掴まれた手首はとても熱く、奏の胸は彼に会えたという喜びが広がっていた。
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