体中に走る激痛と致死量の出血に脳の働きが鈍くなり意識が朦朧としていく。自分に死が近いことを実感すると、もう何をしても無駄だと心が折れそうになった。


「奏、立ちなさい」


 その時、倒れ伏せる私の横にこちらを見下ろすカナエの姿が現れた。死が近いから迎えにきたのだろうか。大して驚きもせず、私は首を僅かに横に振って見せる。


「意地でも生き延びると、私にそう言ったでしょう。あなたはまだ戦える」


 無理だよ、だって体が動かないもの。


「冨岡くんは、どうするの?あなたの帰りを今もずっと待っているのよ」


 その名を聞いた瞬間、混濁していた意識が徐々に鮮明に戻っていく。
 そうだ、私は義勇にまだ返事を返していない。

 夫婦になろうと言われ、任務から帰ったら承諾の返事をしようと桜の木の下で待ち合わせようと一報を送ったのだ。

 まだ、死ねない。






「あれ、あれー?まだ立つの?立っちゃうの?」


 とっくに体の限界は超えていた。
 本来なら、普通の人間ならば動くことはできないだろう。立ち上がる奏の姿に、童磨は同情するように続けた。


「痛いでしょ?苦しいんでしょ?もう君は助からないんだから頑張らなくていいんだよ。俺に勝てるはずもないんだし、もう楽になろうよ。大丈夫、君は綺麗だから君の首は俺の部屋に飾ってあげるからさ〜そうそう!この間丁度玉壺から壺をもらったからそれに生けてあげる!」
「・・・・・・」


 一人嬉々と語る童磨を余所に、奏は呼吸で止血を試みていた。
 だが呼吸で止血ができる程の浅い傷ではなく、無駄に体力を消耗するだけであった。雪の呼吸、氷雪の攻撃を使う自分に対し同じ氷雪の血鬼術を使う童磨とは最悪の相性であり、勝つことはまず無理だろうと思った。

 この場を切り抜く道は一つしかない。
 それは夜明けを待つことである。
 あと数時間ばかりで日が昇るはず。


「俺と君ってお似合いだと思うんだ。お互い氷雪を軸にした攻撃を扱うし、戦闘の相性は悪いけど・・・う〜ん、どうしよう。君食べちゃうの勿体ないなぁ。動けなくして俺の隣に置いとくのもいいなぁ」
「べらべらと・・・勝手に、決めるな変態・・・」
「変態!初めて言われたよ。でも仕方ないでしょ?俺も元々男だし、男は女が好きな生き物だしさ〜特に気に入った女が欲しいのは男の性なんだから」
「そう・・・残念ね、私には・・・一生を供にすると決めた、殿方が、いるから・・・」
「へえ、そうなんだ。可哀想に・・・もうその男と会えないんだねぇ・・・」
「・・・何言ってるの、会うに、決まってるでしょう」


 日輪刀を両手で握りしめ、深く息を吸う。

 以前、初めて義勇と食事を供にした時。彼は自分の過去を打ち明けてくれた。酒で酔ってながらも、その話はしっかりと記憶していた。姉を亡くし親友も亡くし、天涯孤独だと話していた。その時の悲しそうな横顔が、今でも忘れられず思い出すと胸が締め付けられる。


 "・・・俺から、離れないでくれ。"


 体を重ねた日。何かを察したようにそう懇願した義勇を思い出す。
 私が死んでしまったら、義勇はまた一人になってしまう。


 "あなたの帰りを今もずっと待っているのよ。"


 カナエはそう言っていた。
 きっとあの桜の木の下で自分の帰りを待っているに違いない。

 刀を構え、童磨に向かって駆け出した。





空蝉 第十五話:花片と落丁




 奏の鎹鴉が義勇の元へやってきたのは日が沈む僅か前のことであった。
 鴉が咥えている紙を受け取り開くと、"あの桜の木の下で待っている"と記してあった。その手紙を見て、任務は無事終えたのだろうと内心胸を撫で下ろす。いつ来るかわからない彼女を待たせてはいけないと、義勇は早めに桜の木の下に足を運び奏が来るのを待つことにした。


 だが、彼女はいつまで経っても来なかった。


 すっかり辺りが暗くなり月の光だけで照らされた桜を一人見上げる。恐らく深夜を回っている頃だろう。少し肌寒い風が義勇の黒髪を撫でる。気が変わってしまいもしかしたら彼女はここへは来ないかもしれない。気まぐれなところがあるから。そう何処かで考えるも義勇はこのまま奏を待ち続けることにした。

 そしてとうとう夜明けを迎えてしまう。
 小鳥の囀りに重い腰を上げる。きっと任務を終えた後疲れ果てて家に帰って眠ってしまっているのかもしれない。そう思い彼女の家へ向かうことにした。

 だが、家に奏の姿はなかった。

 まだ帰還していないのだろうか。何かあったのだろうか。徐々に嫌な予感が胸中に広がる。小鳥遊邸の戸を閉め、立ち去ろうとした時。奏の鎹鴉が慌てた様子で義勇の元へ飛んできて、その報せを耳にした瞬間義勇は息を呑んだ。


「奏ノ命ガ危ナイ!助ケテクレ!」


 そう言った鎹鴉の誘う方角へ全速力で義勇は向かった。
 そしてようやく辿り着いたその場を見て、義勇は固まる。きっと、彼女が倒れていたのだろう地面には夥しい量の血が広がっておりその傍らに彼女の日輪刀が落ちている。だがいくら辺りを探しても奏の姿は何処にも見当たらなかった。


「・・・っ・・・」


 膝を付いて大量の血で染まった地面に触れる。まだ乾いてなく生暖かいそこは、つい先程まで彼女がいたことを物語っていた。

 自分が、もう少し早くに駆け付ければ。
 間に合わなかったのだ。


「・・・奏・・・・・・」


 恐らくこの出血の量では、彼女は無事ではないだろう。

 鬼は、俺から、奏も奪っていくのか。

 ぐっと奥歯を噛みしめて、義勇はその場に泣き崩れた。






 それから、奏の訃報は柱達に知れ渡った。
 遺体は結局見つける事ができず、誰もが鬼に食われたのだろうと解釈した。義勇を含め。

 鬼殺隊墓地に作られた奏の墓の前で、義勇は立ち尽くす。
 任務の時以外、義勇はこの場所へ訪れては何をするわけでもなく墓石の前に立ち尽くしたままただぼうっと彼女の名が刻まれた石を見つめていた。墓前には奏の日輪刀についていた雪の結晶を模った鍔が供えられている。

 もう、彼女に二度と会うことはできないのかと思うと世界が色褪せて見えた。日中だというのに暗闇にいるかのように思えてしまう。
 結局また、死なせてしまった。大切な人を。遺体すら、ない。
 蔦子姉さんも錆兎も、奏もみんな。

 思い出すと涙が止めどなく頬を伝った。

 いつだって彼女のことを想っていたいのに。思い出していたいのに。
 姉さんと錆兎の時と同じ、思い出すと涙が止まらなくなる。悲しすぎて何もできなくなってしまう。


 奏。

 奏。

 奏。


 供にいることが当然のようになってしまっていた何てことない日々は、もう戻ってはこない。一生。

 彼女のために、彼女の分も自分ができることと言えば、鬼を滅殺することしかないと思った。
 その日までは、もう奏との思い出はここへ置いて行こう。鬼がいなくなったその時を迎えたら、またここへ来て奏のことを最期まで想おう。

 それまでは、彼女との思い出とも別れを告げよう。


「・・・ありがとう」


 そう墓石に向かって一言呟く。
 この日から義勇は姉と錆兎と同様、奏のことも心の奥底にしまい蓋をし前を向くのだった。
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