※義勇出番なし。
義勇と逢瀬を終えたその日の夜。
奏は北の雪山へ任務に発った。何でも数か月前からマタギが鬼によって喰われているという話であった。だが何人の隊士を送っても結局何の情報も得られず鬼の存在も確認できないまま今に至るらしい。そこで柱である自分が情報収集兼鬼の討伐を担うこととなった。
北はとても寒く吹雪であった。
温かい恰好をしてきてはいるが寒く足取りも遅い。ましては日が沈んだ夜の山だ。薄暗くいつ鬼が出てきても可笑しくない状況下、奏は細心の注意を払っていた。何とか深夜前には宿場に辿り着きたいところである。ザクザクと音を立てながら無心に前へ進んだ。
今頃、冨岡さんはどうしているだろうか。
そんな考えてもどうしようもないことをふと思う。今朝一緒にいたばかりなのに、既に彼の顔を拝みたいと思っている自分がいた。今までの男達にはそんな感情は全く皆無であったのに。
「・・・奏」そう初めて彼から名を呼ばれた今朝のことがフラッシュバックする。柄にもなく照れてしまった。思い出しただけで顔が火照る。吹雪の中だというのに。
なんとか雪山を越え、奏は宿場まで辿り着くことができた。
何処か良い宿屋はないだろうかと人の少ない街中を歩いてる時。少し離れたところで一人の少女がこちらをじっと見つめている視線に気づき、足を止める。少女は背中に銃を担いでいた。マタギだろうか。
情報が何か得られるかもしれないと、奏は自ら少女に歩み寄った。
「こんばんは、あなたマタギ?」
「・・・・・・」
尋ねるもぼーっと自分を眺めたまま微動だにしない少女に困ったと眉を寄せる。「おーい」そう顔を近づければ、ようやく我に返った少女は慌てた様子で口を開いた。
「あっ、あ・・・ごめん!あんまりにもあんたが綺麗だったから・・・・・・」
「あ・・・それはどうもありがとう。もう一度尋ねるんだけど、あなたはマタギ?ここの里に住んでるの?」
「うん、あたしはマタギの八重っていうの。里には買い出しによく降りるだけで、住んでるのは向こうの山の中にある民家」
「そうなんだ。八重ちゃんちょっと聞きたいことがるんだけど、」
「ていうかあんたの腰のやつは刀か?あんた警察の人?」
「・・・まぁそんなところ。聞きたいことなんだけど、この付近で数か月前からマタギが襲われてるっていう話を聞きつけて来たんだけど何か心当たりはない?」
「うーん、ねぇなぁ・・・おっ父なら何か知ってるかもしれない。マタギ仲間がいっぱいいるから」
「お父さんは何処にいるの?」
「うちにいる。あんたも一緒に行く?」
「お願いします」
「もう夜遅いしそのままうちに泊まっていけばいいよ!あんたなら大歓迎!」
どうやら気に入られたらしい。
奏の手を引き山の中の民家へと誘う八重に、引きずられるようにして後をついていった。行き道の雪山とは違い、高度の低い山の中に八重の住む民家はあった。なるべく腰の刀が目立たないように羽織で隠しながら、招かれた家の中へとお邪魔する。
「おっ父、この人がマタギが襲われてるって話聞いて遥々来たみたいなんだ。何か知らねぇか?」
「・・・確かに数か月前からマタギの仲間が襲われることがあった。だがそれは熊相手だ。警察の出る幕じゃねぇ。仇は俺らマタギが毎日探し回ってるところだ」
「なるほど・・・熊ですか。本当にそれは熊が相手なのですか」
「そうだ、他に何がいるんだってんだ。里には人を殺める輩はいねぇ」
「そうですか・・・」
熊ではなく鬼なのでは。そう思ったが一般人相手にそんなことを聞いても通じる訳がなく奏は口を閉ざした。だが万が一もあるため、ここ二・三日は雪山の中に張り付いて鬼が出ないか警備する必要がありそうだ。
八重の気遣いに甘え、今日は又造の家でお世話になることにした。用意された空き部屋に移動し羽を伸ばしている中。バサバサと音を立てて窓縁に鎹鴉が止まり、何かと見やれば口に紙を加えていた。手紙だ。一体誰から。受け取りそれを広げてみると。
"無事を祈る"。
中身はそう一言だけ書いてあった。
他でもない義勇からである。滅多に彼からは文通が届くことはない。思わずその手紙を見た奏の表情は綻ぶ。そしてなんとも汚い字だ。
返事を書こうと懐から紙を取り出した時。こちらを見る視線に気づき背後を振り向けば、そこには八重が立っていた。
「それ手紙?」
「うん、そう」
「あんたの恋人からか?」
「えっ・・・う、うん、まぁそうね・・・」
その問いに思わず声が上ずる。確かに義勇とはそういう関係にはなったが、改めて考えると恥ずかしくなる。そこらの恋仲とは少し違う。私達は好き合っているわけではないのだ。少なくとも彼はそうだろう。前に好きなのかと尋ねた時、わからないと答えていたのだから。
「あんたみたいな綺麗な人を恋人に置く男はどんな奴だろうなぁ、会ってみたいなぁ」
「そうだねぇ・・・すごく無愛想で無口でちょっと変わった人だよ」
「えぇ・・・そんな男が恋人なのか」
「でもすごく優しくて温かくて、素敵な人でもあるんだよ」
それを聞いた八重は思った。ああ、この人はその恋人がとても好きなのだろうなと。一体どんな顔をした男なのか、とても興味が湧いた。
「・・・あんた、その人のことすごく好きなんだな」
「・・・え?」
「いいな、なんかそういうの羨ましい」
その八重の言葉に、自分自身に問いかけてみる。義勇のことが、自分は好きなのかと。そこで気づかない振りをしてきた感情がハッキリしてしまい、もう目を瞑ることができなくなってしまった。
ああ、そうか。私は冨岡さんのことこんなにも好きになっていたんだと。
「・・・そうね、世界一大切な人だからね」
「そっかぁ・・・いいなぁ」
「八重ちゃんにもいつかそういう人現れるよ」
「そ、そうかなぁ」
「うん、絶対。だって私が出会えたんだから」
義勇に対しての気持ちが明確になってしまった途端、どうしようもなく彼に会いたくなる。奏は手にしていた紙に筆ペンを滑らす。
"無事です。冨岡さん字が汚いですね"。
そう書いて鎹鴉に渡し彼の元へ発たせた。
以降この一言が原因でショックを受けた義勇から文通が届くことが一切なくなることは、当然奏はまだ知らない。
空蝉 第九話:毎秒一幅の心情
北の宿場に来て早三日目。
山の警備に入り浸って、狩った雑魚鬼の討伐数はたったの三体であった。鬼の存在が確認できた時点で、やはり熊の仕業ではなかったのだとわかり奏はこれで里がひとまず安全になるだろうと思い込んでいた。
「・・・もう帰っちゃうのか?」
「うん、もう用は済んだからね。色々とありがとうね八重ちゃん。又造さんにもよろしく伝えておいてね」
「・・・また会えるか?あんたに」
「会えるよ。生きていればきっとまた」
そう八重の頭をぽんぽんと撫でる。決して気休めの言葉ではなかった。きっとまた会えると思っていたから。八重はそれを聞いて嬉しそうに目を細める。そして私達は別れた。
だが、以後奏と八重が再会する日はやってこない。代わりに二年後、義勇が北の宿場へと任務へ赴き八重と出会う日がやってくるのである。
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「へっくしゅ!」
帰りの雪山の中。
くしゃみがやたら出ては悪寒が奏を襲った。顔も熱っぽく頭がぼうっとする。ほぼ三日間雪山に籠っていた影響でどうやら風邪をこじらせてしまったようだ。
本部までの道のりは、まだ大分ある。一刻も早く帰りたい。何より、彼に早く会いたかった。
なんとか全集中を保ち、雪道を進むも限界が訪れてしまい奏の体が前のめりに倒れ雪の中に埋まってしまう。こんな人気もない山の中で意識を手放してしまったら、一発で終わりだ。だが体力が限界を超えていて体が動かず、朦朧とする意識の中刹那に義勇のことを想った。
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ふと体を抱き上げられる感覚に、閉じた瞼をゆっくり開く。視界にはぼんやりと臙脂色の羽織りと黒髪が映った。
「・・・とみ、おかさん・・・?」
何故ここにいるのか、これは現実なのか夢なのか。そんなことはどうでもよかった。ただ会いたかった人に会えた喜びが胸を支配して、その腕の中に安心感を覚えた奏はそのまま意識を手放した。