もう会わないだろうと思っていた杏寿郎が再び自分の前に現れたのは数日後のことであった。

 「迎えに来たぞ!」そう変わらず張りのある声で言った杏寿郎は有無を言わせる暇も与えず自分を煉獄家へと連行するのだった。それを迎えた弟の千寿郎は酷く困惑した。
 兄上がそう年頃も変わらぬ女を突如連れ帰ってきたことに。


「あ、あの・・・兄上、そちらの女性はどなたでしょうか」
「うむ、今日からうちに住む新しい家族だ!」
「え・・・え?」
「奏には家族も身寄りもいない。だから俺が引き取ってきた!色々と面倒をかけてやってくれ千寿郎!」
「は、はあ・・・」


 杏寿郎と瓜二つの幼い少年は顔を引きつらせながら、兄の後ろに佇む見窄らしい彼女を見やる。何とも生気のない表情だ。斜め下をただ一点に見つめたままの彼女に、千寿郎は先行きが不安だと感じた。


「えっと・・・奏さん?初めまして、弟の千寿郎と申します」
「・・・・・・」
「よ、よろしくお願いします・・・」
「・・・・・・」


 反応がない。
 それ以前に自分を視界に映そうとさえしてくれない。自分の声が聞こえていないのではないかと思わせる様子だ。そんな様が更に千寿郎を不安にさせた。

 それを傍観していた杏寿郎は自分の後ろにいる奏に声を掛ける。


「奏、返事をしなさい」
「・・・・・・」
「初対面の相手には、挨拶を交わすものだ」


 杏寿郎の声に、一点を見つめたまま微動だにしなかった彼女が兄上を見上げた。その際、見えた彼女の瞳を見た時綺麗だと、千寿郎は刹那に感じた。乾いた唇をうっすら動かし、奏は声を発する。


「・・・奏ってなに」
「お前の名だ!」
「私に名前はない」
「それは聞いた!だから俺が名付けた!いい名だろう!」
「・・・・・・」


 杏寿郎から視線を逸らし、再び床へ落とす。
 初めて名前を貰い呼ばれている。それが自分の中で初めて込み上げて来る何とも言えない感情に酷く戸惑った。


「奏、千寿郎に挨拶をしなさい」
「・・・こ、こんばんわ」
「今は昼だ!"こんにちは"だろう!」
「こんにちわ」
「うむ!よくできたな!」


 そうポンポンっと頭を撫でられる。
 その優しい手つきに、奏は驚き目を丸くして杏寿郎を見上げた。それに対し彼はにっこりと笑みを返す。

 また、この笑顔だ。
 毒気を抜かれるあの笑顔。

 この時、奏はこの杏寿郎の見せる笑顔が苦手だと、そう感じた。


「さてと・・・まず風呂だな」


 奏を見てそう小さく呟いた杏寿郎は困ったように千寿郎へと視線を配る。その視線の意図を汲み取った弟は慌てて首を横に振って見せた。


「あ、兄上・・・俺は無理ですよ!男なのですから・・・!」
「むう、そうか」
「そうですよ、何を考えておられるのですか・・・丁度密璃さんが稽古にいらっしゃる日なので相談されてみてはいかがですか?」
「うむ!そうだな!甘露寺に頼むとしよう!」


 いい案だと言わんばかりに大きく頷く兄を前に、千寿郎はホッと胸を撫で下ろす。兄上は自分のことを男だと思ってくれてはいないのだろうか。そんな不安が今日新たに自分の中で生まれるのであった。




灯火 3.花愛づる瞼




 そして煉獄家へ稽古にやってきた甘露寺へ早速事の経緯を説明し相談したところ、彼女は快く引き受けてくれるのであった。


「奏ちゃんよろしくね!師範安心してください!私が責任を持って奏ちゃんを可愛く綺麗にしてみせますから!」
「うむ、頼んだぞ甘露寺!」


 密璃のはしゃぐ様子を見て大丈夫だろうかと不安を抱く千寿郎を余所に、杏寿郎は密璃と奏を煉獄家の浴場へと案内した。


「さあ奏ちゃん脱いで脱いで!」


 密璃に促されるまま、奏は大人しく身に纏っている全ての物を脱ぐ。自分とあまり変わらない年頃というのに、痩せこけたその体を目前にし何も知らない密璃は奏が乏しい生活を送ってきたのだと悟った。着物もボロボロ、髪も肌も汚れている。同じ女として、とても憐れに感じてしまう。


「痛いところがあったら遠慮なく言ってね!」


 そう言って彼女のバサバサの髪に触れる。
 それからは密璃の女子力効果で、髪も肌も綺麗さっぱりに仕上がり、着物も杏寿郎が母の瑠火が昔着ていたものだと用意してくれた物を身に纏い見窄らしかった姿が嘘のように思わされる程、奏は綺麗になった。


「お待たせしましたー!」
「甘露寺!すまない助かった!ありがとう」
「いえいえ!師範の頼み事であればお安い御用です!奏ちゃんとっても可愛い女の子になったわぁ」
「母上の着物もとても似合っているな!」


 嬉しそうに見下ろしてくる二人を前に、奏は居心地の悪さを感じていた。頼んでもいないのにどうしてここまで赤の他人である自分に善くしてくれるのだろうか。そしてこういう時、相手に対し何と言葉を返すのがいいのだろうか。
 奏にはわからなかった。


「奏、こういう時は"ありがとう"と相手に感謝の気持ちを伝えると良い」


 だが杏寿郎はそんな彼女の様子に気が付いていた。

 この男は心の中が読めるのだろうか。奏は訝しげな表情で彼を見上げる。すると優しく微笑まれその顔を見ると何故か心が温まった。


 「・・・ありがとう」そう小さくとも密璃に向かって述べる。それをしっかり聞き拾った密璃はパァっと表情を明るくしにっこり笑った。


「いいのよ!これからは女同士何でも頼ってくれていいんだからね奏ちゃん!」
「うむ、そうしてくれるとありがたい。男の俺と千寿郎では女心はわからないことが多いからな!」


 そんな兄の言葉を耳にした千寿郎は内心ホッと安心していた。ちゃんと兄上は自分を男として認識してくれていたのだと。


「さて甘露寺!稽古を始めようか!」
「はぁい、準備して参ります!」


 竹刀を取りにその場を後にした密璃を見送って、杏寿郎も練習用の袴に着替えようと別室へ向かおうと足を動かした瞬間。くいっと裾を掴まれ、その視線を辿ると奏が眉を寄せて自分を見上げていた。


「ん?どうした奏」
「・・・・・・」
「ゆっくりでいいぞ」


 杏寿郎は何かを言おうとしている彼女に気が付き、体を向けて優しく見守ってやる。すると間を空けた後、彼女の小さい口から「ありがとう」そう言葉を与えられ、心の底から嬉しさが込み上げた。


「うむ!安心しろ、俺も甘露寺も千寿郎もお前の味方だ!これから遠慮なく頼りなさい」


 それから杏寿郎の存在が、奏の心を少しずつ温め変わっていくのだった。

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