"―――・・・奏。"


 聞いたことのない声色が聞こえ、飛びかけた意識を現実へ戻し重たい瞼をゆっくり上げた。ぬるぬるした感触が体中を支配していて、目前には散らばった肉片。大きな黒い化け物がそれらを頬張っていて、異様な音が部屋の中に響いている。次は私の番だ。その肉片を平らげたら私の命の灯火は消えることだろう。

 既に生を諦めているからか、不思議と恐怖は感じなかった。


 両親にも捨てられ売られ、道具のように扱われた何とも意味のない短い人生。
 生まれてきた意味は、あったのだろうか。
 来世はどうか幾分かマシな人生を送れる人間でありたいと刹那に祈った。

 そう少女が視界を閉ざそうとした時。

 暗闇の中、突如現れる炎の光。
 暖色の綺麗な渦が辺りを照らし上げ、あっという間に目前にいた化け物を塵と化した。


「無事か!もう大丈夫だ!」


 杏寿郎は刀を鞘に納め、血塗れで倒れ伏せっている少女の前に屈みこむ。ゆっくりこちらを見上げた少女ににっこりと笑んで手を差し伸べた。だが、少女はその手を取ろうとはしなかった。ようやくこの地獄のような人生に幕を下ろせると思っていたのに、突如現れた希望のような光を酷く恨んだからだ。
 そんなことを知るはずもない杏寿郎はむう、と口を曲げて手を退ける。


「ここは危ない。それにどうやら酷い怪我のようだな!治療を受けた方がいい、少し痛むかもしれんが我慢してくれ!」


 少し手荒ではあるが、そう言って少女の腕を掴むとそのまま上に引き上げる。そして自分の背中に担ぐとよいしょと負ぶった。その反動で傷口に痛みが走り、杏寿郎の背中で顔を歪ませる。抵抗したくとも手足が思うように動かなかった。


「・・・はなせ・・・」
「それは無理な頼みだ!一人でも多くの命を救うのが俺の責務でな!キミを見捨てるわけにはいかない」
「・・・・・・」
「名を聞いてもいいだろうか!俺は鬼殺隊甲、煉獄杏寿郎だ!」


 張りのある声量に耳を塞ぎたくなる。
 尋ねられようとも、少女には名前がなかった。生まれ落ちた時から道具のように扱われた彼女には名など皆無であったからだ。朦朧とする意識の中、杏寿郎が歩む微かな振動が何故か心地よく感じ、そのまま少女は意識を手放した。




灯火 2.一縷の閃光



 目が覚めるとそこは知らない場所であった。
 体を挟むように包んでいるふかふかした布のようなそれは、何とも心地よく目が覚めたというのにすぐに睡魔が襲い掛かってくる。


「目が覚めたか!」


 聞き覚えのある声に首を微かに動かし視線を辿ると、黄金色と燃えるような朱色のギョロリとした瞳が自分を捕らえた。


「無事で何よりだ。ここは鬼殺隊蟲柱である胡蝶殿のお屋敷だ!安全な場所だからそう警戒しなくても良い」
「・・・・・・」
「キミの名は?ご家族や身寄りの者がいるならば俺が責任を持って送り届けよう!」


 快くそう述べるも、ベッドの上の彼女は自分から顔を逸らしそっぽを向いてしまう。その様子を見て杏寿郎はむう、と腕を組んだ。ほぼ初対面である人間に警戒心があるのは仕方がないことだ。だが、名も何も明かしてもらえないとすると、こちらとしても何もしてあげることができないのだ。困ったものだと内心頭を抱える。

 同性である柱の胡蝶殿に任せた方がいいだろうか。
 甲である自分が柱に頼み込む権利は皆無だが。

 めげずに杏寿郎は続ける。


「鬼殺隊という組織を知っているだろうか!先日キミや周りの親しい人達を襲っていた化け物が鬼という我らの敵だ。鬼を滅殺するため、そして鬼から人々を守るために存在する組織それが鬼殺隊だ!」
「・・・・・・」
「俺もその隊士の一人、階級は甲だ。日々怠らず鍛錬に明け暮れているが鬼殺隊を支える中核をなす柱にはまだまだ遠く及ばん」
「・・・・・・」
「この後も任務へ発つ予定だ!」
「・・・早く消えて」


 そう短く帰ってきた彼女からの一言。
 ようやく聞けたそのか細い声に、杏寿郎はパァっと顔を明るくした。


「ようやく口を聞いてくれたな!」


 その嬉々とした声色に、彼女は振り向く。
 再び合ったその炎のような瞳はやがてにっこりと目を細めて見せた。

 何故、嬉しそうに笑うのか。
 この男がわからない。理解に苦しむ。

 ただその向けられた笑みはあどけなく、何の企みも含んでいない純粋なもので思わず毒気を抜かれていくのがわかる。


「キミの名は何というんだ!」
「・・・ない」
「ない?それが名か!珍しい名だな!」
「名前、ない」
「!なんと、名がないのか!よもやよもや!では今までご両親や周りには何と呼ばれていたんだ?」
「・・・呼ばれたことがないからわからない」
「・・・そうか!それは実に不便だな!うーん」


 名が無い。呼ばれたことがない。
 その言葉だけで彼女の生きた背景が壮絶なものだったのだろうと察する。
 両親に愛され育ち、当然のように名前のある自分とは生きた環境が違う。とても想像がつかなかった。

 名前、名前・・・
 杏寿郎は顎に手を添えて真剣に考えこんだ。今まで名前など付ける機会は当然なかったし、考えたこともない。ましてやいつ死ぬかもわからない自分の身で、将来の子供ができたならば、などと考えたこともないのだ。

 ならば、瑠火はどうだろう。母上の名を頂くか。
 いや、それは良くないな!母上に失礼極まりない!


 するとふわりと鎹鴉が窓辺に降り立ち、羽を休めると俺を見つめた。
 そろそろ任務へ発たなければならない時間のようだ。
 その瞬間、すっと俺の頭の中にとある名前が浮かび上がった。



「―――・・・よし!では俺は任務へ発つ!」
「・・・・・・」
「また会おう、奏!」


 そう言って杏寿郎は背を向けて去って行った。
 奏?そう自分に向けて放たれた名前のような単語に小首を傾げる。
 今では去ってしまった杏寿郎に聞き返すことは叶わず、まぁもう会う機会はないだろう、深く考える必要はないと大人しく布団を顔まで被って眠りについた。



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