ハァハァと息を切らしながらひたすら歩みを進める。
 杏寿郎の鎹鴉が誘う方向へ炭治郎は向かっていた。体調が最悪でありながらも、一刻も早く託された遺言を伝えたく炭治郎は煉獄家を目指していた。

 お父上と千寿郎さんと、彼の継子に。

 だが炭治郎がやっとの思いで辿り着いた煉獄家は、想像していたのものとは掛け離れた状況であった。杏寿郎の父は息子の千寿郎に手を上げ、そして息子の死を侮辱するようなどうしようもない糞爺だし、千寿郎はいても杏寿郎の継子の姿は何処にも見当たらないのだ。


「あ、あの・・・煉獄さんの継子である奏さんはいらっしゃらないのですか」


 煉獄家の中へお邪魔し、千寿郎から茶を頂いた炭治郎はそれに手をつけないまま気がかりであったことを目前に佇む千寿郎に尋ねてみる。彼はその問いに眉を落とし、小さく俯いた。


「・・・奏さんは、もうここにはいません」
「・・・もう?何かあったのですか」
「兄の訃報を聞いた直後から自暴自棄になってしまい・・・鎮静剤でしばらく意識を失い蝶屋敷で隔離されていました。それから少し落ち着き家に戻ってきてくれたのですが・・・奏さんの意識が戻らないうちに兄の葬式は取り行われてしまって・・・きちんとお別れをできなかったことをとても悔いていました。そんな奏さんを見た父が・・・」






「もう杏寿郎はここにはいないんだ、お前にはここに居場所はない。うちの敷居を跨ぐな!何の才能もない杏寿郎の継子であるお前も大した剣士になれるはずがない」
「・・・・・・」
「杏寿郎のように死にたくないなら今すぐ刀を捨てて何処かへ行ってしまえ!どうせ杏寿郎と同じくだらん死に方しかしないんだ」
「・・・師範を・・・るな・・・」
「何だ?聞こえないぞ!」
「師範を侮辱するなこの糞爺!!」
「あっ・・・奏さん待って!」


 酒瓶が割れる音が部屋に響き渡る。
 父に飛びつく奏とそれに容赦なく殴りかかる父の二人の取っ組み合いに、千寿郎の入る隙などなくただあわあわと見守ることしかできなかった。

 それからしばらくし、奏は煉獄家を出て行きそれ以降帰ってくることはなかった。







「・・・そんなことが・・・」
「すみません・・・兄から奏さんへの遺言があるのですよね?もしかしたらまたここへ戻ってくるかもしれませんし、よければ私が申し伝えましょうか」


 その提案に炭治郎は一瞬その方が良いだろうと首を縦に振ろうとする。が、杏寿郎の言葉を思い出し固まった。煉獄さんは俺に伝えて欲しいと頼んだのだ。そして託された奏さんへのその言葉は、とても大切な言葉だ。俺がきちんと奏さんに会って直接伝えなければならない。


「・・・いえ、煉獄さんから俺が頼まれたことなので、きちんとご本人に会って伝えたいと思います」
「そうですか・・・わかりました」
「必ず伝えます。奏さんを探し出して。煉獄さんの彼女への想いを必ず・・・」
「はい・・・お願いします。奏さんも喜ぶと思います。兄からの言葉ですから・・・」
「はい。ところで継子ということは、煉獄さんの後継は奏さんになるんでしょうか?」
「本来はそうなのですが・・・奏さんはまだ正式に炎柱になってはいません。行方もわからないので・・・」
「なるほど・・・そうですよね。でも必ず俺が見つけ出すので、安心してください」
「ありがとうございます・・・!」


 何処にいるかもわからないが、炭治郎はそう千寿郎に約束し奏を探しに向かった。





灯火 第十三話:夢の残り火





 奏から接吻され、彼女の唇があまりにも柔らかいことを知ってしまい思考回路が停止しそれを受け入れてしまった。接吻とはこんなにも気持ちの良いものなのか。それは相手が彼女だからだろうか。そんなことを杏寿郎はぼんやりと考えていた。
 長い接吻が終わり名残惜しそうに離れていく彼女の唇。その際視線が交わった彼女の瞳は欲に濡れていて、その表情にまたゾクリとする。堪らず杏寿郎は奏の背中に腕を回し力強く抱き締めた。それに彼女もしがみつくように抱き返してくれる。


「師範・・・好きです」
「・・・奏、」
「この好きは師として慕っている好きとは違います。やっと理解できました。私は師範のこと心から恋慕っています」
「・・・・・・」
「宇髄さんから聞きました。先日供に遊郭へ行かれたこと。師範が途中で思い留まったことも。それは何故ですか?」


 耳元で響く澄んだ奏の声が心地良い。そしてやけにその声が杏寿郎の頭をぼうっとさせた。
 宇髄の奴め。自分が遊郭に行き途中で帰ると思い留まったのは、他でもない奏のことを想っていたからだ。


「それは、俺にはああいう場所が合わないと感じたからだ」
「宇髄さんは、師範に親しい女がいるからだとおっしゃっていました」
「(宇髄・・・・・・)」
「いるんですか・・・親しい女」


 ここでいると嘘でも言ってしまえば。彼女は俺のことを諦めてくれただろうか。だが、彼女の気持ちが他の男へ向いてしまうことを考えた瞬間。腹の底から怒りに似た感情が沸々と沸き上がってくる。


「いるわけないだろう!誤解するんじゃない」


 体を離し、至近距離にある奏の顔がパァっと明るくなる。その顔を見て、思わず口元が緩んでしまう。わかっているのだ。自分も彼女をのことを好いていることを。愛しくて堪らなく誰にも渡したくないのだと。できることなら自分がこの手で幸せにしてやりたいとさえ思っている。
 熱を帯びた瞳で杏寿郎を見つめながら、奏は口を開いた。


「師範は、私のことをどう思っておられるのですか」


 その問いに杏寿郎は口を噤む。
 葛藤が生まれる。


「・・・お前は大切な、継子だ」
「・・・・・・」


 悲しそうに眉を落とす奏に胸がちくりと痛む。
 ああ、そんな顔をしないで欲しい。そう思うもそうさせてしまっているのは他でもない自分自身なのだ。


「・・・では何故、抵抗しないんですか」
「・・・・・・」
「・・・私のこと、からかっているんですか?」
「違う、からかってなどいない」


 その悲しそうな声色に首を振る。

 もう、いいか。自分の気持ちに正直になっても。

 寄せた眉の力を抜いて、言葉を続けようと口を開いた時。俺の襦袢に手をかけ脱がし始めた奏にぎょっとし慌ててその手を掴んで制止させた。


「こら、何のつもりだ奏」
「夜這いの続きをしようと思って」
「駄目だ。宇髄の意見を鵜呑みにするんじゃない」
「では・・・どうすれば師範をちょちょいのちょいできるんですか・・・」
「・・・?」


 ちょちょいのちょい?よくわからんその言葉と問いに杏寿郎は何と返せばいいのか悩む。まったく宇髄には困ったものだ。もうなるべく、いや絶対奏と二人きりにさせるまいと心に誓った。

 乱れた襦袢を整え、杏寿郎は奏の両肩に手を置いて真っすぐ見つめる。


「奏、よく聞くんだ。俺は本当はお前に前線に立ち死と隣合わせの日々を送って欲しくないと思っている。お前には才能も剣技の腕もあり、自慢の継子だ!だが刀を置いて隊士をやめ幸せになって欲しいと俺は思うようになってしまった」
「・・・何故そう思うようになったんですか」
「・・・お前が何よりも大切だからだ」
「・・・・・・」
「誰よりも一番に想っている。俺もお前と同じ気持ちだ」
「・・・!」


 その言葉を聞いて、奏の涙腺が緩む。師範が同じ気持ちだと、そう言ってくれたのだ。欲しかったその言葉。掴んでいた彼の襦袢の襟を更に強く掴む。


「・・・師範は、勘違いしてますよ」
「・・・勘違い?」
「私の幸せは、他の何処にもありません。あなたの隣にしかないです」
「!」
「私に幸せになって欲しいと本当に思うなら、あなたの隣にいさせてください。それ以外のことは私にとっては幸せでも何でもありません。ただの地獄です」
「・・・・・・」
「それで危険な目に合い命を落としてしまったとしても、本望です」


 俺を見つめるその澄んだ瞳には、揺るぎがなかった。
 彼女の心からの本心なのだ。そしてそこまで言われてしまっては、俺がこれ以上お門違いなことを言ってしまったら、本心をぶつけてきている彼女に失礼なだけである。

 「隣に、いさせてもらえますか」そう弱々しく続けた奏を、杏寿郎はもう一度力強く抱き締め胸中に収めた。


「もちろんだ。死が俺達を分かつその日まで、俺の隣はお前だけのものだ!」
「・・・ありがとうございます、師範」
「俺の方こそ、ありがとう」


 お互いの想いが通じ合ったその夜。一枚の布団で抱き締め合ったまま、朝を迎えた。
 朝に強い兄がいつまでも起きてこないので、兄の部屋へ起こしに向かった千寿郎は二人仲良く寄り添って眠る光景を目の当たりにしてしまい、慌てて開けた襖を閉めるのだった。


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