閉じていた瞼を上げると俺は土砂降りの中一人立っていた。周囲を見回せば自分のいる場所はどうやら墓地で、土砂降りの中にいるというのに俺の体は濡れていない。そこでこれは夢の中なのだと理解した。

 ふと人の気配を察知し振り向けば、少し離れたところに奏がいた。この土砂降りの中傘も差さず全身ずぶ濡れで、長い髪が頬に張り付いてしまっている。そして微動だにせず向かいにある墓石だけを見つめていた。
 誰の墓だろうか。確認しようと目を凝らすもその部分だけ霞んでいて見えない。

 奏。そう呼ぶも声が出ず口だけが虚しく動いた。次第に嗚咽を漏らし始める彼女の姿に何とも胸がズキズキと痛む。

 泣かないでほしい。

 ゆっくり近づいて手を伸ばし、流れる彼女の涙を指で拭おうと頬に触れた瞬間。バッと驚いたようにこちらを振り向いた奏と目が合った。


「・・・・・・師範・・・?」


 一瞬目が合ったはずの奏の視線はすぐに空中を彷徨う。俺が見えていないようだ。もう一度触れようとした瞬間。ハッと現実世界に意識が戻り目を開く。長年見てきた自室の天井が視界を支配した。

 
 頭がやけに重い。
 そうだ、俺は昨夜宇髄と朝方まで酒を飲んでいたのだ。だんだん記憶が鮮明になり睡魔で意識を手放す最後、傍らに正座をして自分の寝顔を眺めていた奏の存在を思い出し横を向いて見ると、そこには畳の上で丸くなって眠っている彼女の姿があった。
 寒いだろうに。俺は起き上がり自分がさっきまで使っていた掛布団を彼女の体に掛けてやった。すーすーと寝息を立てているその寝顔を覗き込む。頬にかかる髪を退けてやると彼女の小さい口から「師範」そう声が漏れ起きていたのかと思い息を呑んだ。が、続く寝息にどうやら寝言だったらしい。内心胸を撫で下ろした。

 夢の中の奏は、泣いていた。
 何故泣いていたのかはわからないが、彼女にはいつでも笑っていて欲しいと思う。

 そっと前髪を撫でながらしばらく寝顔を見守っていると、ゆっくり彼女の瞼が動き開かれる。虚ろな奏の目が杏寿郎を捕らえ、状況を理解し驚いたのか彼女は目を大きく見開いた。


「し、師範・・・?すみません・・・師範の自室なのに眠ってしまいました・・・」
「構わん。ゆっくりしていい。稽古は昼餉の後にするとしよう。畳の上では体が冷えてしまう。俺の布団で眠るといい!」
「え・・・あ、」

 そう言って杏寿郎は奏の背中と膝下に腕を回し体を抱き上げた。所謂お姫様抱っこである。ぐっと近づく杏寿郎との距離に、奏の心拍数は限界を迎え体中熱を帯びた。


「し、師範下ろしてください!」
「む、軽いな!ちゃんと食べているのか!」
「食べてます。ち、近いです」


 布団の上に、と言ったのになかなか下ろしてくれない杏寿郎に戸惑う。すると師範は急に眉を寄せて真剣な眼差しで話し始めた。


「夢を見た」
「・・・はぁ」
「お前が泣いている夢だ。慰めたくとも何故か俺の声は届かなかった」
「・・・・・・」
「お前には泣いて欲しくない。どうか笑っていてくれ!」


 突拍子もないことを言われ呆気にとられたが、真っすぐそう訴えてくる杏寿郎に、奏は小さく笑んで見せた。


「・・・大丈夫です。師範がいてくれれば私は泣いたりしません。師範の傍にいられるのならいつでも笑顔でいれます」
「・・・・・・そうか!」
「この命尽きるまで、傍にいます」


 そう伝えれば師範は優しく微笑んでくれた。
 この時奏は思った。

 ああ、これが人を好きという気持ちなのかと。千寿郎が言っていた好きの意味なのだと。恋愛小説に幾つも出てきた愛しいという言葉。それがようやくわかった気がした。

 自分は、師範が愛しくて堪らないのだ。





灯火 第十話:彼方なる火をつけて




 後日。
 自分の気持ちに気付いてしまったが故に、任務先で奏が取った行動が杏寿郎を怒らせてしまうことになった。


「奏、何故あんな無茶をした」


 そう師範の静かな声色が部屋に響く。
 胡坐をかき腕を組む目前の師範は珍しく怒っている。そんな彼の前に正座をし睫毛を伏せながら私は答えた。


「・・・師範を、守りたかったからです」
「・・・・・・」


 その言葉に杏寿郎は眉を寄せながら瞼を下ろした。

 数時間前。
 杏寿郎と奏は共に任務へと赴き、警備担当地区に現れた鬼は元十二鬼月でとても手強かった。が、柱の敵ではなかった。だが鬼の数が多く、危ない隊士を庇った杏寿郎へ放たれた鬼の攻撃を見て、奏は咄嗟に杏寿郎の前に飛び出した。それが原因で負傷してしまったのだ。


「俺は柱だ。継子に守ってもらわねばならない程弱い人間ではない。あの攻撃も当然防ぐことができた」
「・・・・・・」
「だがお前は受け身を取れる体勢でなかったにも関わらず俺を庇い負傷した!」
「・・・・・・」
「当たり所が悪ければ致命傷になっていたかもしれん!命を落としてしまっていたかもしれないんだ!」
「でも・・・師範が、」
「俺はお前に守られる必要はない!」


 奏の言葉を遮りきっぱり答えた杏寿郎の言葉が、奏の心を深く貫いた。
 わかっているのだ。余計な行動だったと。柱は守られる立場ではなく、守る立場なのだと。それでも師範には小さな傷一つ追って欲しくなかったから。

 わかっているのに、自分を否定するような杏寿郎の言葉が奏の目に涙を浮かべた。


「・・・すみませんでした・・・っ」


 そう師に頭を下げる。すると畳が軋む音が微かに聞こえ、呆れた師範が立ち上がって何処かへ行かれるのだろうと瞼を閉じた。だが次の瞬間、ふわりと優しく自分の背中に腕が回され師範の温かい体温が私の体を包み込んだ。


「泣くな。俺は怒っているんじゃない。お前の身に何かあったら、俺は平常心を保てなくなってしまう」
「・・・っ・・・」
「俺を庇って死ぬなど許さん。そんなくだらない死に方を選ぶんじゃない」
「・・・・・・」
「死ぬなら自分の責務を全うし、立派に死になさい」
「はい・・・」


 泣くまいと何とか涙を堪え鼻を啜ると、背中に回された師範の腕の力が強くなった。継子になれば、師範を守れるとそう思っていた。だが師範はそれを望んではいない。

 それでも、あなたが大切で好きだと気づいてしまったから、命に代えても守りたいと思ってしまうのだ。

 伝わる体温も、大きくて優しいこの腕も、張りのある声も全部全部好きなのだ。


「・・・師範、」
「なんだ!」
「好きです・・・」
「!」


 ゆっくり離される体。
 師範の大きい目が私を真っすぐ見つめて射貫く。
 我に返り、私は今なんてことを口走ってしまったのだと後悔するも、既に手遅れであった。


「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -