365日だけの蜜月



 パシンッ!


 思わず叩いてしまった。
 ただ罪悪感は湧いてこなくて。目の前でただ無感情な真顔で私が叩いた頬を軽く押さえて見つめてくる赤司くんの姿が、どんどんぼやけて見えてきて溜まった涙が頬を伝った。

「・・・あなたは、私の好きな赤司くんじゃない・・・・・・」
「・・・それがお前の答えか。よくわかった」
「・・・・・・」
「なら好きにするといい。僕の考え方を受け入れられないのならそれまでだ」

 その手はもう私の涙を拭ってはくれない。
 赤司くんはそれだけ言うと、私の横を通り抜けて教室のドアへと向かって行く。そして去り際に一言、小さく言った。

「お前は・・・僕の理解者だと思っていたのに」

 それから、私達の間には距離ができてしまった。




 365日だけの蜜月



 帝光中バスケ部に入部したことで、オレと苗字は出会った。
 偶然クラスも同じであり、オレ達の仲が深くなるのにはそう時間はかからなかった。苗字は先輩マネージャーに比べて真面目に仕事をこなし、部活動が終わった後も人を選ばず体育館で居残り練習をしている部員にパスを出したり、ボール拾いをしたりと自分の時間を割いてまで付き合うマネージャーだった。オレも彼女に手伝ってもらったことがある一人である。

 そして今日も、珍しく人がいなかった第二体育館を利用して居残り練習をしているオレに苗字は声をかけてきては練習に付き合ってくれていた。

「苗字、帰りが遅くなると危ないから先に帰ってくれて構わないよ」
「ん、大丈夫!家遠くないし暇だから!」
「なら今日はオレが家まで送る」
「それはありがたいけど、別に私赤司くんに送ってもらうのが目的で居残り練習に付き合ってるわけじゃないよ?気にしなくていいのに」

 そうちょっと不貞腐れた表情で言う苗字に口元が思わず緩んだ。
 一息ついて水道場の横に腰を下ろし汗を拭うオレの隣に彼女も続く。そして「はい」と手渡してきたスポドリを受け取った。

「ありがとう」
「赤司くんってバスケ楽しそうにするよね。部員の中でも一番って言ってもいいくらい真面目に練習にも励んでるし」
「そうかな。オレはもちろん好きでバスケをやっているが、やるからには当然一番を目指したいしこの3年間はみんなと全中3連覇を目指すつもりだよ」
「そっか、赤司くんらしいね」

 受け取ったスポドリの蓋を開けて一口含みそれを喉に流し込む。冷たくて疲れた身体には心地よく沁み込んでいった。オレ達の間に生暖かい風が通り過ぎる。
 ちらりと隣の彼女の横顔を盗み見ると、何かを考え込むようにして顎に手を当てて小さく唸っていた。やがて「よし!」と何かを決したように声に出すとオレの方へ顔を向ける。

「決めた!私も赤司くんや他のみんなが全中3連覇できるように今以上に支えれるように頑張ることにする!」
「もう十分頑張っているだろう。桃井も情報収集などよくやってくれていると思うが、苗字以上に頑張っているマネージャーはいないとオレは思うよ」
「えーそんなことないよ。私がどれだけ頑張っても最終的には試合に出るみんなにかかってるんだし・・・私の頑張りなんかそれに比べたら気休めみたいなものだよ。手伝いくらいしかできることないし」
「だが、その支えがあるからこそメンバーそれぞれが集中して試合や練習に臨めるんだ。決して気休めなんかではないよ」

 自分もそうだが、年頃の女子なのだ。他にもやりたいことなどたくさんあるだろう。にも関わらずバスケ部に時間を費やし、学校生活も真面目に過ごして勉学にも励んでいてその上損得も考えず明るく振る舞う彼女にオレは少しずつ惹かれていた。
 苗字は一瞬面食らったようにオレを凝視していたが、嬉しそうに口を開く。

「ありがとう。赤司くんは本当優しいよね」
「苗字ほどではないよ」
「よし、じゃぁ全中3連覇っていう目標を追う赤司くんの少しでも支えになれるように今日から毎日部活後練習に付き合うことにする!あと今日から赤司くんの全中3連覇が私の夢!」

 そう笑顔で言った苗字に、オレの世界は急に輝き始めた。
 気付いたら本能で身体が動いていた。地面に片手を付けて彼女に顔を近づけては、瞼を閉じて唇を重ねた。触れるだけの初めてのキス。そっと離れるオレに目を見開いて顔を真っ赤にする彼女はとても可愛らしかった。

 そのオレからの勝手なキスによって、一気に距離が縮んだ苗字と恋人に進展するまでには、そう時間はかからなかった。

 恋人へ関係が変わってからのオレ達は、部活以外でも互いの時間が許す限り一緒に過ごした。極たまに訪れる休日は交差点で待ち合わせ、制服や練習着とは違い私服の彼女は大人びて見えてよくドキドキさせられた。
 たまに度が過ぎるくらい彼女の青峰や黄瀬との絡みに、機嫌を損ねたオレと言い合いになる時もあった。その都度機嫌を直そうと必死になる彼女が可愛くて、悪戯心が芽生えてわざとそういうフリをすることもあった。


「カップルが長続きするには、日頃から感謝の言葉を忘れずに使うことなんだって」

 ある日、帰り道苗字が突然そんなことを言った。

「親しき中にも礼儀あり、とも言うからね」
「そうそう!ごめん、よりもありがとうって言い合える仲になりたいね」
「そうだね」
「だから赤司くん、いつも私と一緒にいてくれてありがとうね!」

 そう立ち止まりオレの前に移動して笑顔を向けた彼女を見て、オレは改めてこの人が好きだとそう思った。そんな彼女の手を取り、自分の方へ引き寄せると優しく抱き締める。

「・・・こちらこそ、いつも一緒にいてくれてありがとう」

 離したくない、そう思った。






 私と赤司くんの関係は順調だった、そう思う。
 でも中2の半ば。全中を終えてしばらくした頃。チームに亀裂が入り、赤司くんは紫原くんとの1on1以降変わってしまった。

「紫原くんや黄瀬くんと緑間くんにも試合に出て勝てば、練習には参加しなくていいって言ったって本当?」
「あぁ、本当だ」
「何でそんなこと・・・。あんなに青峰くんが練習サボってた時は反対してたのに」
「もう必要ないからだ。勝てさえすれば文句はない。僕達にはチームプレイは必要ないんだ」
「何それ・・・・・・赤司くんなんか変だよ・・・」
「変?それもお前の好きな"赤司くん"の一つなのだから、反抗せずに受け入れたらどうだい」

 そう言って歩み寄ってきた赤司くんは私の顎を持ち上げて、無理矢理視線を合わせた。
 彼は眉を寄せ続ける。

「・・・大体以前から思っていたが、この口は他の男を悦ばせるようなことばかり言って八方美人にも程がある。そんなに僕以外の男にもよく見られたいのかい?一体次は誰を狙っているんだ。大輝か?涼太か?それとも真、」


 パシンッ!

 そうベラベラと信じられないことを口にする赤司くんの頬を気が付いたら私は引っ叩いていた。彼は叩かれた頬を無感情に抑えて、ただ私をじっと見つめた。先程言われた赤司くんからの言葉は私を傷つけるには十分すぎて、溢れた涙がポロポロと流れては落ちた。

「・・・あなたは、私の好きな赤司くんじゃない・・・・・・」
「・・・それがお前の答えか。よくわかった」
「・・・・・・」
「なら好きにするといい。僕の考え方を受け入れられないのならそれまでだ」

 前は私が泣けば「苗字は見た目に似合わず泣き虫だな」って涙を拭ってくれたのに。赤司くんは私の横を通り過ぎて最後に一言、冷たく言った。

「お前は・・・僕の理解者だと思っていたのに」

 それを聞いて更に涙が流れた。


 それから赤司くんとは連絡も途絶え、部活でも言葉を交わすことはなくなった。一軍の試合に同行する時は、桃井さんに頼んで代わってもらっていた。
 私は、赤司くんにフラれたんだろうか。それとも私がフッたんだろうか。そんなことも曖昧でわからず、ただいつも隣にいてくれた彼がいなくて私の心はどんどんすり減って行って泣きすぎたせいか涙はすっかり枯れてしまった。

 やがて完全に分裂してしまったチームに、黒子くんはバスケ部をやめてしまった。私もやめたかったがなんとか堪え頑張って部活に顔を出す毎日。
 なるべく一軍の体育館に行かなくていいように、赤司くんから逃げるようにして毎日を過ごしていた私はなんとも滑稽だっただろう。

「・・・苗字さん、大丈夫ですか?」

 部活を引退し、すっかり時間ができてしまった放課後。
 一人でぼーっと外を眺めて放心状態の私に、声をかけてきた黒子くんに顔を向ける。

「ん、あ、黒子くん・・・どうかした?」
「いえ、特に用はないですが・・・すっかり笑わなくなったなって思って」
「え・・・そうかな。そういう黒子くんこそ、笑わなくなったじゃない」
「そうですね、色々ありましたから」
「そうだね、色々あったよね・・・」
「・・・赤司君とはもう話していないんですか?」
「うん・・・もうずっと話してない」
「苗字さんは、それでいいんですか」

 そう聞いてきた黒子くんに私はすぐ反応できずにいた。

「・・・・・・」
「ボクは、決めました。またいつかみんなと笑ってバスケができる日を目標に、高校でもバスケを続けようって」

 前を向いてそう何処かわくわくしたように話す黒子くんに、私は少し救われた気がした。全中の試合で自分の親友に対しあんな酷い勝ち方をしたキセキの世代達に、また笑ってバスケをできる日を目標にして立ち上がる黒子くんを見習って、私も卒業する前に諦めずに赤司くんと向き合おうと、そう決心することができた。

 そして、その卒業式。
 私は赤司くんをいつもの待ち合わせ場所にしていた交差点に呼び出した。

「何か用かい」

 そう待ち合わせ場所に来てくれた赤司くんは、当然以前のように名前を呼んで微笑んではくれない。何の感情もこもっていない表情で、私の前に立つ彼に私は汗ばんだ拳を握りしめる。

「・・・私、信じてるから」
「・・・何を?」
「赤司くんが、前の赤司くんに戻ってまた私を迎えにきてくれるって信じて待ってるから」

 すると「はぁ・・・」と溜息を零す赤司くんに、思わず肩を揺らす。

「呼び出してまで何を言うのかと思えば・・・そんなことかい。僕はもう僕のままだ。もう一人の僕には二度と戻ることはない。迎えに行くも何も、勝手に離れていったのはお前だろう。進学先もお前は東京で、僕は京都だ。もう何も接点がないし、話す機会もないだろう」
「そ、それでも・・・・・・私待ってるから・・・!」

 本当に今の赤司くんは私に興味がないのだろうと、痛感した。
 それだけ絞り出すように言うと、私は赤司くんに背中を向けて走り出す。そんな私に赤司くんは呼び止めることもなく、追いかけてくることもなく、私達はこうして中学校生活を終えることとなった。

 それから私は誠凛高校に入学し、黒子くんと共にバスケ部にマネージャーとして入部することになる。
 帝光中の頃と同様、私は自分の許す限りの時間を使ってマネージャーの仕事に費やし過ごした。インターハイは青峰くんのいる桐皇学園に敗北してしまったものの、WCは順調に勝ち進むことができ、とうとう赤司くんのいる洛山高校との決勝戦まで辿り着いた。
 会場で久しぶりに顔を合わせた赤司くんは変わらず無感情な表情で、私の存在を知っていても視界に映すことはなかった。





「赤司くん、今日は絶対勝つから!」

 そうアップ中に大声で言ってきた名前に、僕は特に何も返すことなく再びアップを再開した。

「何なに赤司、あの子知り合い?」
「中学の頃のマネージャーだよ」
「へえ!めっちゃ可愛いじゃん!紹介して!」

 そう八重歯を出して目を輝かせながら訴えてきた小太郎に、僕は手を止めて睨んだ。そんな僕を見てやばいと察した小太郎は慌てて続ける。

「じょ、冗談だって!怒んなよ赤司!」
「・・・別に、怒っていない。くだらないことを言っていないでアップに集中しろ小太郎」
「ひぃー!もぉー赤司が女の子のことでこんな怒るなんて怖えぇ」

 小太郎は大袈裟に怯えるような仕草を見せると、その後は真面目にアップを再開させた。別に彼女のことなど、何とも思っていない。紹介してほしいと言うならこの試合に勝った後にしてやってもいいとさえ思っていた。だが、それとは裏腹に心の何処かで嫌だという気持ちもあって自分の中に矛盾した感情が芽生える。何とも邪魔な感情だった。

 そして誠凛との試合により僕はどんどん追い詰められ、結果もう一人の僕と再び入れ替わることになる。
 もう一人の僕は、入れ替わった中学2年の頃から今日までずっと彼女に会いたがっていた。ようやく戻ったことにより、試合中にも関わらず相手ベンチに座っている彼女の存在が気になってしまい何度も視線をチラつかせてしまう。



「赤司くんが、前の赤司くんに戻ってまた私を迎えにきてくれるって信じて待ってるから」



 そう彼女が卒業式に言ってきた言葉を思い出し、この試合に勝とうが負けようが終わった後彼女の元に行き空いてしまったこの距離を戻したいと思った。WCが終わる今日、オレは明日の朝もう京都へ戻らなければならない。だから試合が終わった後しかオレには時間がないのだ。

 結果、試合は誠凛に敗北しWCは幕を下ろした。
 周りの歓声と共に黒子と抱き合う彼女の姿を見て、汗を拭いながら考える。もしかしたらもうオレへの気持ちは変わってしまったかもしれないと。中学の最後も何かと黒子と一緒にいる姿を見かけていた。その彼女の隣がオレではなく、他の男が並ぶ光景はとても見ていられなかった。

 「・・・苗字」そう呼ぶと、ゆっくりとオレの方へ顔を向けた彼女と視線が絡む。その瞳を見た瞬間懐かしさが急に込み上げてきて、一緒に過ごしたたくさんの思い出が脳裏にフラッシュバックした。
 なかなか言葉が出てこないオレに対し、苗字は歩み寄ってくれてあの頃と変わらない笑顔を向けた。

「お帰りなさい、赤司くん」

 その一言を聞いた瞬間、彼女に対する感情が溢れオレは彼女の手を引いて抱き寄せた。騒ぐ周りの声など気にも止めず、力いっぱい抱き締める。

「痛い痛い、赤司くん」
「苗字・・・今まで、すまなかった」
「全然、大丈夫だよ。絶対赤司くんは戻ってきてくれるって信じてたから。だから謝る必要なんてないんだよ」
「すまない・・・本当に」
「あれ、赤司くんもしかして忘れちゃった?そういう時はごめんじゃなくってありがとうって言う仲になろうねって話」

 そう身体を離し、不貞腐れたように見上げてきた彼女にオレは一瞬面食らう。

「・・・そうだったね。待っていてくれてありがとう、苗字」
「こちらこそ戻ってきてくれてありがとう、赤司くん」
「苗字、もし気持ちが変わっていないなら、またオレの傍にいてほしい。京都と東京では遠いが・・・今度はもう二度と君を離さないと約束する」
「もちろん。私はあの頃からずっと変わってないよ。だからこれからはずっと一緒にいようね、赤司くん」

 涙で濡れる彼女の頬を親指で拭ってやる。
 そして額をコツンとくっつけて、あの頃のように二人で笑い合った。
 これから先オレの隣は彼女で、彼女の隣はオレであり続けれることを願って。





2020/08/03  Fin

<あとがき>

リクエストして頂きました白雪様、ありがとうございました。
お題の内容も細かく書いてあり、すごくありがたかったです。
なるべくfukiの365日の歌詞のキーワードを入れつつ、世界観に近づけれるように
色々と考えて書いたのですが・・・1話にまとめるのが思った以上に手ごわくて
思ったより時間がかかってしまいました。
そして個人的には不完全燃焼であります(;_:)
もうちょっとどうにかならなかったかなぁと思う部分もあります。
もしかしたら書き直す日がくるかもしれません。

こんな小説で満足して頂けるか不安ですが、読んでくださいますと嬉しいです。
リクエストありがとうございました!






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