「・・・行くな」
放課後の教室。
同じクラスであり日直当番が一緒だった赤司くんにそう一言と右手を掴まれ、図書室で待ち合わせしている緑間くんのところへ行こうとする私を阻んだ。
握られた右手の平が妙に熱く感じた。
「え・・・赤司くん?」
「緑間のところへ行かないでくれ」
そう真っすぐ見つめてくる彼は、いつも私が見てきた部活で見る副主将の顔ではなく初めて恋を知ったような切なげな眼差しをしていて、そんな彼の知らない一面を知ってしまった私の心臓が加速するのがわかった。
片手は赤色、片手は緑色
帝光中に入学し、男子バスケットボール部のマネージャーになった日から私は赤司くんに一目惚れした。容姿端麗、性格も優しく温厚、人望も厚くて惹かれない女子はいないと思う。周りの女子からは赤司様という愛称で慕われている上、一年で既に副主将になった彼は私にはとても遠い存在であった。
声をかけたくても、スポドリやタオルを渡しに行きたくても恥ずかしくてなかなかできない毎日。それでも遠くから眺めているだけで満足していた。
だが、そんな私にも突如赤司くんにお近づきになれるチャンスが訪れるのである。
ある日の練習後。今日はさつきちゃんが私情で早めに部活を上がらないといけないため、練習後に先輩マネから任されたタオルの洗濯と明日の分のスポドリ準備、部室内の清掃を一人で黙々とこなしている中。
「・・・苗字?」
監督と虹村主将とのミーティングで居残っていた赤司くんが偶然部室に忘れ物をしたらしく取りに戻ってきたのだ。部室に入ってくるなり、私の働きっぷりを見た彼は「頑張っているね」と感心したように声をかけてきてくれた。
「それを一人で全てやるのかい?大変だろう、オレも手伝うよ」
「ううん、平気!赤司くん練習後でミーティングもあって疲れてるでしょ。早く帰って休んだ方がいいよ」
「知ってしまったからには苗字一人にこの量の仕事を任せて帰るわけにはいかないよ。それに二人でやった方が早く終わるだろう」
「・・・ごめん、ありがとう赤司くん」
「どういたしまして。苗字がいつもチームのために懸命にマネージャーの仕事をしてくれているのを見ているよ。感謝している」
そう微笑む赤司くんは大袈裟に例えると白馬の王子様のようだった。
まさか部室で二人きりになれる日が来るだなんて夢にも思ってなく、居残ってマネの仕事をしていてよかったと嬉々する私はとても単純である。それに私のことをきちんと見てくれていることに思わず感激してしまい、胸中がときめきでいっぱいになる。
その影響で浮かれてしまい気持ちが溢れて先走ってしまった自分に酷く後悔することになるのだった。
「あの、赤司くん・・・!」
「?何だ苗字」
「私・・・入部した日に赤司くんに一目惚れして、ずっと好きだったの。赤司くんが毎日バスケやってる姿を近くで見れるからこうやってマネの仕事も頑張れるんだよ!だから、その・・・」
「・・・・・・」
言葉が上手く出てこない。
別に私は告白したいわけではなかったのだ。ただ、自分の気持ちを素直に伝えて赤司くんのお陰で毎日頑張れることとこれからもチームを支えていけるように頑張ると、それだけを伝えれば十分だったのだ。
「悪いが・・・」そう言葉に詰まる私に、口を開いた赤司くんの声を聞いて私は肩をビクリと揺らした。
「苗字の気持ちには応えられない。気持ちは嬉しいが・・・オレのこの行動に期待させてしまったのなら謝る。すまない」
「・・・え・・・・・・」
ショックだった。
告白するような言い方と雰囲気にさせてしまったのは自分だが、まだ言い切ってない話の途中で赤司くんから断りの言葉を受け私は胸を抉られるような痛みを覚える。
沈黙が広がる二人の間に、私は必死になって何か言わないとと頭をフル回転させた。
「あ・・・うん・・・、ごめん私なんか・・・・・・ごめんなさい・・・」
「いや苗字が謝る必要はないだろう。これからもバスケ部の仲間としてお互い支え合って行けるとオレは嬉しいよ」
「・・・うん・・・・・・」
付き合って、などと言っていないのに。結果私は赤司くんにフラれてしまった。それからというもの、私は赤司くんに対し気まずくなってしまい挨拶もろくにできず目も合わせられなくなってしまうのだった。
◇
監督と虹村主将とミーティングをしている赤司が終わるのを体育館でシュート練習をしながらオレは待っていた。
ダラダラと流れる汗をシャツで拭い、最後の一本を収めた後「緑間」そうタイミングを見計らったように赤司の呼び声が背後からし、振り向く。
「待たせたね」
「練習ついでに待っていただけなのだよ。着替えてくる」
「あぁ、片付けはオレがしておくからその汗も流してくるといい」
「悪いな赤司」
そう赤司と入れ違いで体育館を後にする。
部室へ寄ろうと水道場の横を通りかかった時、黒い影がそこにうずくまるようにして微かに嗚咽を漏らしているものだから思わずギョッとして足を止めた。
暗くて誰だか判別がつかず、恐る恐る近づいてみるとそれはマネージャーの苗字だった。どうやら泣いているらしい。
「・・・何をしているのだよ」
「っ!!」
余程驚いたのだろう、オレが声をかけたことによって体制を崩した苗字は、ゆっくりと真っ赤な目をオレに向けた。
「緑間くん・・・」
「・・・もう遅い。そんなところでうずくまっていないで早く帰るのだよ」
「・・・・・・」
だが苗字はオレから顔を背けると再びうずくまった。
思わず溜息が零れる。
「はぁ・・・オレと赤司は今から帰るから途中まで送ってやる」
そう言った途端、彼女は勢いよく首を横に振った。
「やだ、私はいい。大丈夫!一人で帰れるから!」
「・・・何故そこまで拒むのだよ」
「・・・何もないけど一人で帰るっ・・・」
「・・・まさか赤司か?」
「!」
その名前を出した瞬間あからさまに表情を強張らせる苗字に、オレは泣いていた理由をなんとなく察した。
赤司も赤司である。アイツは誰に対しても優しく接するせいで、相手に無駄に期待を持たせてしまいその上自分が思わせぶりな態度を取ってしまっていることに自覚していない。恐らく苗字もそれに巻き込まれた一人なのだろうと推測した。
再び啜り泣く彼女に手に持っていたタオルを差し出そうとするも、自分の汗で濡れたそれを渡すわけにもいかず眉を寄せる。
「・・・悪いが今は貸せるタオルを持っていないのだよ。いい加減泣き止め。今日はオレが家まで送ってやるから少しそこで待っていろ」
「え・・・?でも赤司くんと帰るんじゃ・・・」
「虹村主将もまだいる、二人で帰ってもらう」
きょとんとした顔でオレを見上げてくる苗字の頭を軽くポンポンと撫でてやる。なんだか妹のように感じた。最初は。
だがこれを機に苗字はオレによく声をかけてくるようになり、彼女を拒む理由を持たないオレは共に過ごす時間が以前より増え次第に仲良くなっていった。気がづけばよく彼女を目で追っていて、好意を抱くようになった。
苗字は周りの女子とは違う。気さくでありマネージャーの仕事は懸命にこなし、恋愛目的で仕事をしている先輩マネージャーとは違い、選手を平等に見て接していた。学校内でも積極的に委員会に取り組み、勉学にも励んでいて笑顔も絶えず周りに好かれるタイプの奴であった。
赤司は恐らくこんな彼女の姿を知らないのだろう。そしてどうか知らないままでいてくれと心の何処かで思う自分がいた。
◇
「私・・・入部した日に赤司くんに一目惚れして、ずっと好きだったの。赤司くんが毎日バスケやってる姿を近くで見れるからこうやってマネの仕事も頑張れるんだよ!だから、その・・・」
ある日、そう部室の清掃をしていたマネージャーの苗字の手伝いをしていた時。そう彼女の口から言われ内心困惑していた。
理由は、オレ自身恋愛をしている余裕などなくまず色恋沙汰にも興味がないこと。そしてオレはもちろんバスケ部である以上マネージャーである彼女の存在を知ってはいたが、彼女自身のことをよく知らなかったことである。彼女とは一緒の部活であると同時に同じクラスであった。だがあまり話をしたことがなく、存在を認知していただけで特に気にしたこともなかったのだ。なので彼女から突然そう言われ、部室の清掃を手伝ったことでオレは彼女に期待をさせてしまったのだと思いきっぱりと断りの言葉を送った。
だがそれからというもの、苗字とは気まずい。
オレは今まで通り接したいのだが、彼女はオレを見るなり表情を強張らせる。今まで「赤司くんおはよう!」と元気に挨拶してくれていたのに最近ではそれもない。何かの反動で目が合った時はすぐに逸らされる。困ったもんだと思った。
特にこの状況に部活やクラス内で支障があるかと言えば、ないのだが自分としては心地よくはない。なんとか和解できるチャンスはないだろうかと、それからのオレは彼女をよく目で追うようになる。すると日に日に彼女の知らなかった一面を発見することになり、そんな顔もするのかと興味を持ち始めてしまう。部活でのマネージャーの苗字しか知らなかったが、クラス内の彼女も常に笑顔で誰に対しても平等に接してオレとは少し違う人望の厚さがあった。自分は周囲の警戒心を解くためのツールとして意図的に笑顔を作っているが、彼女は違う。偽りなく何の損得も考えず自然な笑顔なのだ。
それがオレには羨ましく思うと同時に魅力的に映った。
「緑間、昼休みに一局どうだい?」
久々に時間のできた昼休みを緑間と将棋でも嗜もうと声をかけるが、メガネのブリッジを押し上げた彼にオレはフラれてしまう。
「悪いが先約がある。また今度やろう」
「あぁ、そうか。それは仕方がないな」
そう言って立ち上がり緑間の向かった先がなんとなく気になったので、少し離れたところで様子を伺っていると彼はオレのクラスに足を運んだ。そして苗字を連れ出すと仲睦まじそうに会話を交わしながら肩を並べて廊下を歩いて何処かへ行ってしまったのだ。
ここ最近緑間と苗字が部活の時も話している姿を見かけていた。
いつの間に、仲良くなったのだろうか。思えばそれからオレに対してたどたどしかった苗字の態度も以前のように戻り、その様子は何処か吹っ切れたようにも感じた。
そんな彼女を見て、オレは察する。きっとオレへ向いていた気持ちが今は緑間にあるのだろうと。そう知った途端、自分の中で焦燥感が生まれた。
そこで初めて、オレは自分の気持ちの変化に気付くことになる。
◇
赤司くんにフラれてからというもの、私は緑間くんとの時間のお陰でどんどん傷が癒えていった。気が付けば緑間くんのことが気になり始めていて、緑間くんもなんだかんだ私に色々と付き合ってくれている。なんとなくだけど、彼も私を気にかけてくれているように感じるのは自惚れすぎだろうか。このまま上手く事が進めばいいな、と思うも心の何処かにまだ赤司くんがいることに私は気づいていなかった。
放課後。
テスト期間になり、部活もその間は練習が休みであるため緑間くんと一緒にテスト勉強をしようと約束していた。、終礼が終わりこの日赤司くんと日直であったが以前の気まずさもすっかりなくなっていた私は何も思うことなく共に日直の仕事を終わらせることができた。「赤司くんまたね」そう一言言って書き終えた日誌を職員室に持って行ってから緑間くんと待ち合わせしている図書室へ向かおうとしていた時だった。
「・・・行くな」
そう赤司くんに右手を掴まれ、それを阻まれる。
予想だにしていなかった彼の行動に私は酷く困惑した。
「え・・・赤司くん?」
「緑間のところへ行かないでくれ」
私を真っすぐ見つめる赤司くんの瞳は、今まで向けられたことがない熱を帯びた眼差しをしていて、逸らすことができなかった。薄れていた彼への想いが沸々と込み上げてくる。やっと諦めきれると思ったのに。
「・・・赤司くん離して」
「嫌だ、と言ったら?」
「な、何で?赤司くんはあの日・・・私の気持ちには応えられないって言ってたじゃない。なんで急にこんなことするの?」
「それは・・・過去の話だろう。今は、違う」
「え・・・ちょっと意味がわからない・・・」
「・・・苗字、オレは、」
「苗字?」
赤司くんの言葉の途中で背後から凛とした呼び声が聞こえハッと我に返る。
振り向くと教室の扉の前に立って訝しげな表情でこちらを見ている緑間くんの姿があった。私と赤司くんの繋がっている手を見て、彼はメガネのブリッジを上げる。
「・・・赤司、何をしているのだよ」
「緑間か、いいところへ来たね」
「何?」
「オレは今、お前のところへ行こうとしていた苗字を行くなと止めていたところだ」
「・・・何故そんなことをする必要がある」
「彼女が好きだからだ」
「え!?」
「・・・・・・」
赤司くんのその一言に思わず声が上ずる。
未だに私の右手をギュッと握ったままの赤司くんの手から伝わる温もりが熱くて、心臓がどんどん加速していくのがわかった。
どういう心境の変化なのか。戸惑う私に今度は背後から両腕が伸びてきてそのまま大きな身体に包まれ、思わずビクリと身体を揺らした。その腕は他の誰でもない緑間くんのもので、背中に押し付けられる筋肉質の胸板に更に私の心臓が速くなる。
「え・・・み、緑間くん?」
「バカを言うな、赤司。お前に苗字は渡さん。何故ならオレも彼女が好きだからだ」
「!?」
「・・・・・・」
右手は赤司くんに握られ、後ろから緑間くんに抱きしめられ、二人の間にいる形になっている私はどんどん冷や汗が溢れ動けずにいた。
何だろうかこの状況は。睨み合う二人に何と口を出せばいいのか。
困惑していると赤司くんがふっと笑って止まっていた時間が動き出す。
「・・・緑間、オレに勝てると思っているのか?将棋でもオレに勝ったことがあったかい」
「将棋は関係ないだろう。オレは負けないのだよ。もちろん将棋でもいつか必ずお前に勝つつもりだ」
「いや、そのいつかはお前には訪れない。オレは負けたことがないからね。もちろん苗字もお前には渡さない」
「望むところなのだよ」
人を間に挟んだまま火花を散らし合う二人。
この日を境に、赤司くんと緑間くんは校内と部活でも何かしら競い合うようになり、私はいつまでもどっちつかずの気持ちのまま板挟みされてしまう日々を送ることになるのだった。
2020/07/26 Fin
<あとがき>
まずリクエストしてくださったまー様ありがとうございました!
メッセもくださって本当に励まされています。ありがとうございます。
リクエストお題が赤司と緑間の三角関係と三者三様の気持ちの変化ということでしたので、
気持ちの変化をどう書こうかすごく悩みましたが、少しでも出せていますでしょうか。
そしてどっち落ちにするかすごく悩んだ結果、どっちつかずのまま終わることを選んでしまいました。すみません(;_:)
連載にしてもいいくらい書きたいことがいっぱいだったので、1話にまとめて質素感じられるかもしれませんが楽しんで頂けたら幸いです。
リクエストありがとうございました!
これからもよろしくお願い致します。