「オレは今でも彼女を愛している」
嘘偽りなくそう微笑んで見せた友人の顔が脳裏に焼き付いていた。
雫が自ら命を絶ってから早3年の月日が流れている。ただでさえ名家の跡取りとなり多忙である中、まだ幼い双子の世話を焼きながらも孤独に打ちひしがれる赤司の姿に、オレは罪悪感でいっぱいであった。
本当にアイツは中学の頃から変わらない。
キツイことや苦しいこと辛いことがあっても、周囲には悟られないように決して表には出すことなく涼しい顔をしているのだ。いくらオレが手を貸そうとしても、奴は感謝の一言を述べるだけで決してそれに頼ろうとはしないだろう。
だから余計に、もしいつか赤司に限界が訪れた時のことを想像してしまうととても恐ろしかった。
本当にこのまままでいいのかと、彼女がいなくなってから今までの3年間、何度も自問してきた。だが結局決断できないまま時間ばかりが無駄に過ぎ去っていく。
ガチャリと開けた扉の先にいる人物を見つめて、オレは今日もまた決断ができずにいた。
「お前は本当に、これでいいのか?」
オレの問いに、その人物はふわりと笑った。
02. 砂礫、またたき、宝石
「真ちゃーん!待ってよー!」
幼い頃。
少し歩く距離が空いただけで、雫は半べそをかきオレの名を呼んではくっついて周っていた。
オレ達は親同士が昔からの付き合いであり、生まれて間もない頃から共に過ごしてきた。その影響もあり、彼女はオレのことを「真ちゃん」と呼び親しんでいる第一号である。
幼馴染みというよりは、兄妹に近い存在であったとオレは思う。
「将来の夢は、真ちゃんのお嫁さんになることです!」
将来の夢は何かと聞かれた時、彼女は決まってそう即答していた。
恥ずかしいと思いながらも、悪い気は全くなく、自然とこれからも中学と高校、大学も共に進んでオレ達が離れることはないのだろうと、そう考えていた。
だがそれは、中学に入ったことにより変わってしまう。
「真ちゃんはバスケ部に入るんでしょ?私もバスケ部のマネージャーしようかな!」
「勝手にするのだよ」
「うん、勝手にする!」
バスケ部に入部するオレの後をついてきてマネージャーを始めた雫と赤司が出会うのは、すぐのことであった。
二人が初めて関わり合ったところをオレはすぐ後ろで見ていたので、今でもよく覚えている。
「橙星さん、手伝おうか?」
重たそうなスポドリの入った箱を二段抱えのそのそと運んでいた雫に、赤司自ら声を掛けたのがきっかけであった。
「えーっと・・・赤司くん?」
「すまない、いきなり声をかけてしまって。とても重たそうだったから見てられなくてね」
「大丈夫だよ、これはマネの仕事だし。赤司くん練習で疲れてるでしょ」
「構わないさ。オレも今は手持ち無沙汰だから」
元々温厚な赤司の取ったこの行動に、一部始終を見ていたオレは特に何も感じなかった。だが今思い返せば、奴はこの時既に彼女に好意を寄せていたのだろうと思う。
オレ達が入部してから最初の全中は無事に優勝を果たし、一段落した頃。
「緑間、今週の日曜日暇かい?」
唐突に赤司から誘いを受ける。
その週の日曜日は体育館の整備が午後から予定していたため、午後練がない稀な一日であった。
「何かあるのか」
「あぁ、少し付き合ってほしい場所があるんだ」
「何処なのだよ」
「それは当日のお楽しみだ」
そう言った赤司が日曜日にオレを連れていった場所は、市民ホールで開催されるヴァイオリンコンクールであった。
少し後ろ側の席にあえて腰を下ろした赤司の隣にオレも座る。
「誰か知り合いでも出るのか?」
「あぁ、一人で来てもよかったんだが確かお前はピアノを弾いていただろう?音楽が好きならと思って誘ったんだ」
「・・・ピアノはやっているが、ヴァイオリンのことはさっぱりわからないのだよ」
「ふふ、わからなくても聴けばきっと心が安らぐぞ」
ヴァイオリンというキーワードに、今更ながらオレはハッとする。
何故すぐわからなかったのか。
『4番、橙星雫"サン=サーンス"、ヴァイオリン協奏曲第3番第3楽章』
そのアナウンスを聞いてやはりと予感は的中する。
ステージ上に現れた雫は純白のドレスワンピースに身を包み込み、普段より何倍も大人びて見えた。隣の赤司をちらりと見てみると、ヴァイオリンを弾く彼女に釘付けのようだった。
オレと雫はよく幼い頃から共に演奏してきていた。オレは伴奏で彼女がヴァイオリン。だがそれもオレがバスケットを始めたことで機会は減っていき今ではもう昔の話である。
まさか雫がコンクールに出る予定を赤司は知っていてオレは知らなかったことに、腑に落ちなかった。
「・・・赤司、橙星と親しいのか?」
「一応同じクラスでもあるからね。コンクールの話を聞いてオレが行きたいと彼女にせがんで招待してもらったんだ」
赤司自ら、珍しい。
普段周りに群がる女子生徒達には愛想を振りまいて軽くあしらっているくせに。
いつの間にそんな彼女と親しくなっていたのか。
そもそも赤司は、オレと雫が幼馴染みであることを知っているのだろうか。
「・・・お前にしては珍しいのだよ。自ら進んでクラスメイトのコンクールを見にわざわざ足を運ぶとは」
「そうかい?まぁせっかくの休みだし、それに彼女は特別だからね」
「特別?」
「あぁ、特別」
「お前、まさか・・・」
「あぁ、そうだ緑間。お前が思っている通りさ」
演奏を終えた彼女がステージで賞を受賞している姿を熱を帯びた眼差しで見守っている赤司に、オレは複雑な心境であった。
ああ、雫のことが好きなのか、と。
オレが小さい頃から大切にしてきたものを、赤司征十郎という完璧な男があっさりとかっさらって行くのを、オレは黙って見ていることしかできなかった。