15.たとえば破るための約束でも



 雫と過ごす最後の一週間のうち、早くも一日目が終わろうとする頃。

「橙星さん、オレに構わずベッド使ってください」

 いそいそとテレビの前にあるソファで寝ようとしている彼女に、そう一言声を掛ける。
 すると彼女はとんでもないというように勢いよく首を横に振った。

「いえ、大丈夫です。赤司さんが使ってください」
「オレがソファで寝ますから、気にされないでください」
「でも、」
「なら一緒に寝ますか?」

 このままでは拉致があかないので、そうオレが言えばきっと大人しくベッドで寝てくれるだろうと思いあえてそんな大胆なことを口にしたのに。それを耳にした雫は頬を赤く染めて俯き考えるものだから、内心考えるところではないだろうと突っ込む。

「じ、じゃあ・・・一緒に・・・」
「・・・・・・」

 自分で言って自分で後悔する。
 彼女と同じベッドで寝て、自制できる自信がないからだ。

 照明を消し先にベッドに入って横を向く雫に、オレもなるべく距離を空け端に寄り背中を向けて瞼を閉じる。なるべく彼女のことを考えず無心になって寝ることに努めるオレのことなどお構いなしに、「赤司さん」と彼女が背中越しにそう呼んできて仕方なく返事を返した。

「・・・眠れないんですか」
「はい、なんだか緊張しちゃって」
「そうですね、オレもです」
「・・・赤司さんの奥さんは、どんな方だったんですか?」

 本人から本人のことを尋ねられる。
 何とも変な感じであった。

「そうですね・・・太陽のような人でした」
「太陽?」
「オレの人生を明るく照らしてくれる存在で、いつも笑顔で明るく、オレのことを一番に考えてくれていて・・・そのせいでオレに大事なことを打ち明けてくれない人でした」
「大事なことってなんですか?」
「・・・・・・」

 その問いにオレは答えなかった。
 そんなオレに彼女もそれ以上尋ねてくることはなかった。
 少し間を空けて、雫は静かに続ける。

「奥さんは、とても素敵な方だったんですね」

 そんな優しい声色で呟いた雫に、オレは誘われるようにして身体を彼女の方へ向ける。すると彼女はすでにオレの方を向いていて視線が絡んだ。

「羨ましいです」
「・・・羨ましい?」
「奥さんはきっとすごく幸せ者だったんだろうなって」
「・・・何故、そう思うんですか」
「だって、赤司さんにそう想ってもらえて大切にされていて、幸せじゃないはずがないですよ」
「・・・・・・」
「きっと奥さんも、もっと赤司さんと一緒に居たかったと思います」

 そう微笑む彼女に、オレは胸が締め付けられた。
 ずっと疑問に思っていた事。彼女は本当に幸せだったのだろうかと。記憶がないにしろ本人からそう言われ、何処か救われる自分がいた。

「・・・手に、触れてもいいですか」
「え、手ですか?いいですけど・・・」

 スッと伸ばされる小さい手。
 それを自分の一回り大きい手で優しく包み込む。
 伝わる体温が何とも心地よく感じた。

「・・・よく、こうやって手を繋いで寝ていました」
「・・・そうなんですか」
「・・・今日はよく眠れそうな気がします」

 確かに目の前にはずっと恋焦がれ続けていた彼女がいて、オレを見つめる橙色の瞳も当時と変わらず優しい眼差しで、心の底から安堵する。その瞬間急に睡魔が襲ってきて、オレはゆっくり瞼を下ろした。





「征十郎」

 名前を呼ばれてハッと我に返る。
 声の主は当然彼女で俯いた顔を上げると庭の手すりに肘をついて空を仰いでいる雫がそこにはいた。
 ああ、これは夢の中なのだと状況を理解する。

「征十郎が京都に引っ越す前に、一緒に見に行ったラブロマンスの映画の内容覚えてる?」

 そう尋ねられ、瞬時に当時流行っていて自分はあまり心を打たれなかったラブロマンスの映画のことを思い出した。

「ああ、覚えているよ」
「そう」
「それがどうかしたのかい?」

 短く答えた彼女に尋ね返せば、空からオレへと視線を移した雫の表情は、何故か何処か寂し気に映った。

「もし、私が・・・・・・」
「うん」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・雫?」

 なかなか言葉を繋げない彼女に不思議と首を傾げる。すると雫は眉を八の字に下げて静かに涙を流し始めるものだから、何も知らない夢の中のオレはギョッとして慌ててそれを指で拭ってやる。

「・・・何故泣くんだ」
「私が・・・あの映画の女性みたいになっても、征十郎のことは忘れるはずないし、もし忘れても、自力で・・・思い出す自信あるから・・・・・・だからどうか悲しまないでほしい・・・」
「・・・急にどうしたんだい?オレ達には無縁の話だと言っただろう」

 それに対して雫は何も返さなかった。
 代わりに嗚咽を漏らす彼女を胸中に収めあやすように髪を撫でてやる。変わらない彼女の香りがふわりと鼻腔を擽った。

「パパがママなかせた」
「パパだめ!パパだめ!」

 そんなオレ達を家の中から見ていたもうすぐ2歳になろうとしていた蘭と蓮が騒ぎ始めるものだから、雫は慌てて「パパはそんな悪い人じゃないよー?」と言いながらオレから離れ双子の元へと駆け寄っていく。
 そこで目の前に広がっていた過去の構図が淡く消え去っていった。
 忘れていたこの何でもないワンシーンを、今のオレには彼女が何を伝えたかったのか痛い程理解できた。


 自力で思い出す自信があるなら、早く思い出してくれ。
 そんなことを夢の中で一人、思った。




 15.たとえば破るための約束でも




「真ちゃーん!」

 鈴の音のような呼び声に、本へ向けていた顔を上げる。
 少し離れたところからオレに手を振って駆け寄ってくる雫と会うのは高校を卒業して以来であった。少し大人びた彼女はとても幸せそうに映った。

「いい加減その呼び方を改めたらどうだ」
「え?今更?真ちゃんはずっと真ちゃんだよ」
「呼ばれる側のことも考えろ」
「実は嬉しいくせに」
「ちっとも嬉しくないのだよ」

 雫が病気になってから、数年は経過している。特に卒業した時と変わりなく元気そうなその様子に少しだけ安堵した。
 オレの前までやってきた彼女は、向かい席に腰を下ろし開いていた本を覗き込む。

「何の本読んでるの?」
「お前には関係ないのだよ」
「何でそんなに不機嫌なの?久しぶりに会うっていうのに」
「別に、機嫌など悪くない」
「真ちゃん元気かなって気になってたんだよ?大学何処に通ってるの?」

 そう尋ねられオレは口を閉ざす。
 高3の後半からしつこく何処へ進学するのかと彼女からは尋ねられていたが、結局オレは教えることなく卒業した。無言を貫くオレに対し、雫はムッとした表情でオレが手にしている本をひったくり慌てて取り返そうとするも既にペラペラと中身を見ていた彼女に手遅れだと諦めメガネのブリッジを押し上げた。

「・・・医科大学に進学したの?」
「・・・だったら何だ」
「何で?」
「・・・以前から医療に興味があったのだよ」
「ふーん・・・」

 咄嗟に嘘をつくオレに、何かを察した彼女はひったくった本をオレの前へ静かに戻した。

 本当は医療になんて、興味などなかった。
 だがそんなオレがその道を選んだのは、他でもなく雫の病気に少しでも力になれないかと考えた末決めたことだった。

「真ちゃんは、変わらないね」
「何の話だ」
「そんなんじゃいつまでも彼女できないよ?」
「余計なお世話なのだよ」
「私は真ちゃんの将来がとても心配です」
「うるさい。・・・そういうお前こそ赤司とは上手く行っているのか」
「うん。最近同棲始めたところ」

 同棲。その言葉を聞いて嫉妬心よりも先に病気のことがバレないのだろうかと心配するオレは、人が好過ぎるのかもしれない。

「・・・同棲して、大丈夫なのか」
「ん?んー・・・大丈夫じゃない、と思う」
「病気のこと、いい加減赤司に打ち明けたらどうなのだよ」
「打ち明けないよ」

 即答する彼女に眉を寄せる。
 頑なに赤司には隠し通すつもりらしい。だがそれも時間の問題だと思った。

 あの赤司が同棲を選んだのだ。
 きっと彼女との将来を真剣に考えているのだろう。
 そんな相手に最も重要なことを打ち明けないのは、いかがなものなのか。

「・・・いつまでも隠し通せるものではないのだよ」
「でも、もしかしたら・・・征十郎のことは覚えていられるかもしれないじゃない」
「・・・・・・」
「もしかしたら、このまま何十年経っても何もないかもしれないじゃない」
「・・・・・・そうだといいな」
「ね?そう思えば乗り越えられるんじゃないかって思えてこない?病は気からってよく言うし」

 本心で言ってるのか、誤魔化すために言っているのか。
 オレにはわからなかった。だが少しでも彼女と赤司が長く共にいられればいいと切実に思った。あの二人が幸せなら、オレはそれだけで十分なのだと言い聞かせるように。





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