38.果たされない約束



 喉が渇いたと言った奏っちのために自動販売機にやってきたオレは、ミネラルウォーターのボタンを押す。ガコンッと音を立てて出てきたそれをしばらく見つめたまま彼女の言った一言を思い出していた。



 "私家族、いないから。"

 

 日頃の彼女を見ていて、とてもそんな背景を想像することはできなかった。いつも明るく愛想の良い彼女はきっと暖かい家庭で育ったのだろうと勝手に思い込んでいた。そんな自分がとても恥ずかしい。

 しかも家族がいないといっても、一緒に暮らしている親戚の一人や二人、見舞いに来るのが普通ではないか。だが彼女を心配して見舞いに来た者は一人もいなかった。

 両親共にいて姉もいる自分がどれ程家族の支えが大切で必要不可欠なのか、理解しているからこそそれが無である彼女の心境がわからないし、自分がその立場ならあんな明るく育ってはいないだろうと思った。

 じゃあ、そんな彼女を支えているものは何なのだろうか。
 オレはとても気になった。


 ミネラルウォーターを片手に病室へ戻ると、暗い表情をして俯いていた奏っちが僅かにオレの方へ顔を上げる。

「どうしたんスか、そんな暗い顔して。はい、水!」
「ありがとう黄瀬くん。まぁちょっとね・・・」
「オレに言えないこと?」
「大したことじゃないから」

 そう無理に笑う彼女に、大したことなのだろうと察する。
 まだ僅かに感じる彼女との距離感に、少し寂しく感じる自分がいた。

「あ!そういえば、」

 ふと事故現場に落ちていた紙袋の存在を思い出し、ベッドの脇に置いていたそれを持ち上げて奏っちに差し出す。

「それ・・・」
「そうそう、これオレと一緒に彼氏サンへ買ったプレゼントっスよね?幸い中身は無事だからちゃんと渡さないと!」
「・・・もう、いらない」
「え?」

 その一言に持ち上げた紙袋を下げた。


「黄瀬くんにあげる」
「え、でもこれ・・・」
「来年バスケ部に入るって言ってたでしょ?それならそのバッシュ使って!」

 そう言い切った彼女の様子を見て、これは何を言っても無駄だろうと早々に諦めた。仕方なく紙袋を再度ベッドの脇に置き戻す。あんなに嬉しそうにこのバッシュを選んで買っていたのに、彼氏サンと何かあったのだろうか。

 するとヴーヴーッとポケットの携帯が振動し、画面を確認すると家からの着信であった。そういえば今日は年末ということもあり、親戚内で集まる予定が入っていたことを今思い出す。

「あ・・・しまった。オレ今日用事があるからそろそろ帰らないといけないんスよね・・・ごめん、奏っち一人にさせちゃって」
「全然大丈夫だよ。むしろここまで付き添ってくれて本当にありがとう、黄瀬くん」
「いや全然!オレは奏っちといたくて一緒にいるんだし、ほんとはもっと・・・」

 一緒にいたい。
 って何言っているんだオレは。
 我に返り言葉を切るオレに、奏っちは小首を傾げて見せた。その様子を見て、彼女は鈍感な娘なのだろうと思った。


 奏っちと別れ、病室を後にし紙袋を片手にロビーへと出る。すると受付の前の椅子に座っている赤髪に目が止まった。
 練習着っぽい服装に部活生なのだろうと察する。この時間帯にこの病院に部活生が来るということは、もしかしたら帝光中バスケ部の可能性が高い。ということは奏っちのお見舞いに来てくれたのかもしれない。もしそうであるなら面会謝絶にしてしまったことに少し罪悪感を覚えた。

「あのー、もしかしてバスケ部の人っスか?」

 面会謝絶が下りるのを待っているのだとしたら気の毒だと思ったオレは赤髪に声をかけると、下げた顔をゆっくり上げてオレを見た赤い瞳と視線が交わう。

「・・・そうだが」
「!やっぱり!ってことは奏っちのお見舞いに来たんスよね?」
「・・・キミは?」
「えーっと、オレは・・・」

 奏っちの親戚、そうバスケ部の人に答えていいものなのか。だがそう答えないと自分が彼女といた理由が他にない。

「オレはぁ・・・・・・奏っちの親戚なんスよ!」
「キミが?」
「そう!今身内以外面会謝絶なんで、今日は奏っちに会うのは難しいと思うっスよ」

 そう答えた途端、オレを見る赤い瞳がとても鋭い眼差しに変わった。

「・・・本当に彼女の親戚かい?」
「え・・・ま、まぁ・・・」

 そのオレを射貫くような眼差しが嘘を見抜かれているような気がしてならなかった。何か話を逸らせるものはないかと鈍い頭を動かすと、持っていた紙袋の存在を思い出し咄嗟にそれを赤髪の彼の前へ突き出した。

「そういえばこれ!奏っちの彼氏サンがバスケ部にいるみたいなんスけど、渡してもらえないっスか!?同じ部ならわかるかなぁって思って・・・」
「・・・・・・」
「奏っちは渡さないつもりでいるみたいなんスけど、一生懸命選んで買ったのを知ってるから・・・だからやっぱり本人の手にちゃんと渡ってほしいんスよ」
「・・・そうか」

 赤髪の彼は紙袋を見つめたまま静かにオレからそれを受け取った。先程の威圧感はすっかりなくなり、柔らかい雰囲気が漂っている。

「じゃあ頼んだっス!オレはこれで!」

 彼から逃げるようにしてオレはそのまま病院を後にする。
 何も知らないまま、オレは無事彼女のプレゼントが彼氏サンに渡ることを祈りながら、帰路を辿った。





 38.果たされない約束





 声をかけてきた金髪の彼は、あの日ショッピングモールで見かけた彼であった。
 親戚であると答えた彼に、すぐ嘘だとわかっていた。そして手渡された紙袋は、昨日事故現場を通った際見かけたものと同じものであった。あれは奏がオレへ買った誕生日プレゼントだったのだ。恐る恐る中を確認すると少し潰れた箱が入っていてその中身はバッシュであった。一緒に入っていたメッセージカードには"征ちゃん誕生日おめでとう!"と記してあり、それを見た瞬間胸を抉られるような痛みが走った。

 オレが彼女からの連絡にもっと早く気づいていれば。
 九条とすぐ別れて迎えに行けたのに。いや、初めから父さんに用事があるからとしっかり断りを入れていればよかったのだ。そうすれば彼女は事故に遭うこともなく、このプレゼントも彼女から直接受け取ることができたのに。

 過ぎたこと後悔しても仕方ないが、後悔ばかりが頭を支配した。
 
 面会謝絶は未だに下りていないが、無意味とわかっていながらもオレは奏の病室の前まで行き扉越しに名前を呼んだ。

「奏」

 当然返事はないが、代わりに驚いたのか中から何かを落とす音が聞こえてきて彼女に届いているのだとわかり続ける。

「きちんと面と向かって謝りたいんだ。開けてくれないか」
「・・・・・・」
「奏が開けてくれるまで、オレはここで待つよ」
「帰って」

 そんなか細い声が返ってきた。

「帰らない」
「私征ちゃんに会いたくない」
「オレは今奏に会いたい」
「・・・・・・」
「プレゼントも受け取ったよ。ありがとう」
「それは、私からのじゃないよ」
「入っていたメッセージカードは奏の字だった」
「私の字じゃない」
「奏の字だよ。ずっと見てきたのだから見間違えない」
「・・・・・・」


 それから返事が返ってくることはなくなり、仕方なくオレは病室の前で待とうと壁に背を預けると「・・・開いてるよ」そう小さく彼女の声が聞こえ、オレは扉を開く。
 広い病室内はとても殺風景で、ベッドの上で上半身を起こした痛々しい姿の奏がそこにはいた。何と声をかけていいのか、一瞬戸惑う自分に奏が先に口を開く。

「部活はどうしたの?」
「途中で抜けてきたよ。虹村さんに許可は貰っている」
「こんなことで抜けてきたらダメだよ。征ちゃんはもう副主将なんだから」
「こんなこと?本気で言っているのか?」

 その発言に少し苛立ちを覚えた。
 一番親しい人が事故に遭い怪我をして入院までしているというのに。
 奏はオレがどれだけ内心焦って心配しているのか、少しも理解していないのだ。

「・・・別に、死ぬわけじゃないんだから」
「・・・・・・」
「征ちゃんが心配してくれなくても、私そんなにヤワじゃないし一人じゃ・・・ないし」
「・・・・・・」
「・・・寂しくないし」

 一人じゃない。
 その一言に先ほどの金髪の彼の存在が脳裏にチラつく。

「・・・そうだな、奏にあんな歳の近い親戚がいたとは知らなかった」
「!」
「とても親しいようだね」
「別に征ちゃんには関係ないでしょ」
「彼が親戚というのは嘘だろう。どういう関係なんだい?」
「征ちゃんに話さなきゃダメなの?」

 そう訴えてきた彼女はオレを睨むように見つめた。その初めて向けられる表情に一瞬怯む。

「・・・オレに知る権利くらい、あるだろう」
「何で?」
「奏の、恋人だから」

 その一言に奏は眉間の皺を緩めた。
 だがすぐに表情を戻し目線を斜め下へ落とす。

「征ちゃんだって・・・私に話してないことあるじゃん」

 彼女の指すその話がすぐに理解できたオレは返そうと口を開きかける。
 そうだ、今はあの金髪の彼の話よりも先に彼女に謝らなければならない話だろう。

「その話だが、」
「私、昨日ずっと待ってたよ」

 オレの言葉を遮り静かに涙を流す奏を目前にして、オレは言葉を失った。
 またオレは彼女を泣かせてしまったのだ。もう泣かせたくないと思っていたのに、自分の不注意が原因で泣かせてしまった。

 あの時、父さんの申し出を断ってすぐに奏の元へ行っていれば。
 改めて悔やんだ。

「・・・すまない奏。オレが全て悪かった。本当にすまない」
「・・・征ちゃんはあの子が好きなの?」

 か細い声でそんなことを尋ねてくる彼女の髪を優しく撫でる。

「違うに決まっているだろう。オレが好きなのは奏だけだよ」
「昨日の子は誰なの?」
「父さんが紹介したいと連れてきた資本家の娘だ。それだけだよ。彼女とは何もないから安心してほしい」
「本当に?」
「本当だよ。奏が心配することは何もない」

 頬を伝う涙を指で拭ってやる。
 しばらく見つめ合った後、奏は口を開いた。

「・・・わかった、信じてあげる」
「ありがとう、奏」

 頬に触れていた手を肩に回してそっと抱き締めてやる。彼女の香りがふわりと鼻腔を擽って心から安堵した。「征ちゃんお誕生日おめでとう」そうオレの肩口に顔を寄せた奏が小さく呟く。それを聞いてオレは抱き締める力を強くした。

「来年は一緒にお祝いしようね」
「あぁ、約束だ」

 その約束は果たされないことを知らずに、オレ達は静かな病室の中抱き合った。






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