20日、夜。
私は携帯を片手に、征ちゃんちの近くにあった公園のベンチに座って連絡が来るのを待っていた。無駄に何度もパカパカと開く携帯には何も通知が来ないままである。確認する度に溜息を零す私の隣には、先日黄瀬くんと買った征ちゃんへの誕生日プレゼントであるバッシュが入った紙袋が置いてある。
時刻はもう22時を過ぎていた。
もう一度携帯を開き、慣れない手つきで征ちゃんとのメールのページを開き「征ちゃんー待ちくたびれたぁ」と一言送ってしばらく待ってみるも、返事が来る気配はなかった。
あと2時間で征ちゃんの誕生日が終わってしまう。日付が変わる前にプレゼントをどうしても渡してビックリさせたかった。毎年いらないと釘を打たれていたが、きっと征ちゃんはビックリして嬉しそうに微笑んでくれるに違いない。そんな彼の表情を想像するだけで口元が緩んだ。早く渡したいな。
ふと「にゃー」と猫の鳴き声が足元から聞こえ、見下ろしてみると黒猫が一匹私の足首にスリスリしていた。
「ごめんね。何も食べ物持ってなくてあげれる物ないの」
そう頭を撫でてやると黒猫は人懐っこそうに目を細める。そして身体をくるりと反転させてくてくと公園の出口へ向かって行く黒猫の後を暇を持て余していた私は何となくついて行くことにした。
そして車の多い交差点に差し掛かった時、私は少し先に向かい合うようにして立っている二人に気付いた瞬間足を止めた。
「・・・征ちゃん」
学校や部活の時とは違い、少し髪を整えてスーツを着ている彼は遠くから見ても目を惹くオーラが漂っている。そんな征ちゃんの向かい側に立っている女の子は、私なんかとタイプが違って見るからに上品で綺麗な女の子であった。
二人で談笑している姿を見てしまい、その場に立ち尽くす。
そっか、あの人と一緒にいるから携帯見れてないんだ。
寧ろ、話に夢中になって忘れているのかもしれない。
私なんかよりもお似合いな二人に呼吸が困難になる。
征ちゃんには、ああいう上品で綺麗な人がお似合いだと思った。
今まで当たり前のように一緒にいたけど、これから先はそれが叶わなくなってしまうような予感がした。
「・・・・・・」
踵を返し、その場を立ち去る。
頭の中がさっきの光景で埋め尽くされて、周りの環境音がどんどん遠くに感じる。
そのせいで赤信号になっていることにも気づけなかった。
車のクラクションとブレーキを掛ける音が鳴り響いた瞬間ようやく状況に気が付くも既に遅く。身体に衝撃が走り手に持っていた紙袋が宙に舞った。咄嗟に手を伸ばすも届くはずもなくそれは無残に地面に落ちた。
ああ、征ちゃんのバッシュが。
あと2時間しかないのに。
周りの悲鳴がだんだんリアルに聞こえてきて、朦朧とする意識を私はそこで手放した。
36.黒猫
食事会を終え、奏に連絡をしようと携帯を開くオレに父さんは声をかけた。
「征十郎。せっかくなんだ、九条さんと二人で少し散歩でもしながら話してきたらどうだ」
「・・・すみません、この後少し予定が、」
「それは急ぎの予定なのか?」
「・・・いえ」
急ぎ、ではなかった。奏にはオレから終わり次第連絡を入れると伝えてあるし、それまでは家で待ってくれているだろうと思っていた。
少しくらい、大丈夫か。父さんの押しにも断ることもできず、オレは仕方なくその提案を承諾するのだった。
時刻はもうすぐ21時になろうとしている。
「征十郎さんは、何か部活には入られてるんですか」
自宅を出て、九条と二人肩を並べて近所の道を歩く。
何を、どれくらいの時間話せば父さんは満足してくれるだろうかと一人悶々と考えていると、彼女からそう口を開いてきて耳を傾けた。
「バスケ部に所属しています」
「バスケ部!素敵ですね、やっぱり男の子は運動部に限りますよね」
そう何処か安心したように、嬉しそうに返す九条。
何だその理屈は。オレが将棋部に入っていると答えていたら、彼女はきっとさぞガッカリしていたことだろうと想像する。
「毎日部活があるんですか?」
「そうですね、ほぼ毎日」
「大変ですね、でも1年生なら試合とかはまだない分気が楽ですね」
「いえ、一応副主将でスタメンでもあるので、試合に向けて毎日練習漬けですよ」
「え・・・征十郎さん1年生でもう副主将なんですか?」
「ええ、一応」
その瞬間、九条のオレを見る目が変わった。
それに気づいてしまい、副主将であると言ったことが余計だったと後悔する。
そして彼女が親しくする異性に求めている理想像が普通ではなく、何か突発したものがないと納得しないのだろうと察した。例えばオレであるなら、1年生なのに既に副主将であるという、普通では考えられないステータスのようなものが。
だから尚更副主将であると言ってしまったことに後悔した。
「すごい!征十郎さんはとてもバスケがお上手でリーダーシップのある方なんですね」
「それ程でもありませんよ」
「その控えめなところも、素敵ですね」
「・・・・・・」
随分と褒め上手であるなと思った。
尊敬の眼差しを送ってくる彼女に、小さく笑んで見せる。
九条は更に続けた。
「よければ征十郎さんが出られる試合、観に行ってもいいですか」
「・・・いいですが、あなたが期待するほど大それたものではありませんよ」
「そんなことありません。征十郎さんが出られるなら私には観に行く価値があります」
「・・・そうですか、機会があれば是非」
「はい、とても楽しみにしています」
オレが出ない試合には観に行く価値がない、ということか。
彼女はバスケに興味があって観に来るのではなく、オレ目当てで観に来るのかと考えると当然なのだが何となく気が滅入った。
そして絶対に九条と奏を鉢合わせたくない。奏に余計な不安を抱いてほしくないと思った。
「なんだか私ばっかり、征十郎さんのこと聞いてて寂しいです。征十郎さんからも私のことを何か聞いてほしいです」
残念ながら正直オレからは特に尋ねたいことはなかった。
だがそう言えるはずもなく、仕方なく無難な質問を口にする。
「・・・ご趣味は何ですか?」
「ピアノとヴァイオリン、あと将棋などのボードゲームをします」
その自分と同じ共通点に思わず嬉しく思ってしまい、足を止めてしまった。それに彼女も足を止めて首を傾げる。
「どうかされました?」
「いえ、オレと同じだなと思いまして」
「本当ですか?嬉しいです。気が合いますね私達」
「そうですね」
「よく家で棋譜並べやネットで対戦などして過ごしています」
「棋譜並べるんですか、意外と渋いところがあるんですね」
「ふふ、女子中学生のすることではないかもしれません」
「いいと思いますよ」
笑い合う。
九条は笑う時、右手を口元に持って行き上品に笑う女性だなと思った。
「・・・もし征十郎さんの時間がある時、よければボードゲームをご一緒にしませんか」
「・・・そうですね・・・・・・」
その誘いに、言葉が詰まる。
時間がある時はなるべく奏と一緒に過ごしたい。ただでさえここ最近は一緒にいる時間が少ない気がする。それに交際している相手がいる中、思わせぶりな態度や発言、二人で共に過ごすなど自分の中では当然許容範囲外であった。
「すみませんが・・・オレには、」
お付き合いしてる人がいるので、そう言いかけた言葉が横を通り抜けた救急車の音で掻き消される。気づけば周囲の人達がざわつきながら同じ方向へ走っていく姿を見かけ事故か何かがあったのだろうと察した。
「何かあったんでしょうか」
「事故ですかね、もう遅いですしそろそろ帰りましょうか」
「はい、征十郎さんとお話できて楽しかったです」
「それは何よりです」
「あとお誕生日おめでとうございます」
「・・・ありがとうございます」
そしてオレ達は帰路を歩いた。
丁度事故現場の横を通り、たくさんの野次馬で溢れていて担架に乗せられたケガ人が救急車の中に運ばれていくところだった。それを見て気の毒にと思う。その付近には紙袋が落ちていて事故にあった人のものだろうかと一瞬考えるも、そのまま家へと足を進めた。
九条と別れた後、すぐに携帯を取り出し開くと奏からのメールが一件届いた。開くと「征ちゃんー待ちくたびれたぁ」と一言書いてある。その何でもない文にすら口元が緩んでしまう。メールを閉じ、彼女の連絡先を開いて電話を掛けるもコールだけが虚しく鳴り響き、出る気配がなかった。
時刻は、もうすぐオレの誕生日が終わろうとしていた。
寝てしまったのかもしれない。そう思いながら気長に彼女からの連絡を待つも、結局その日返ってくることはなかった。