30.定説の殻



 体育館が整備で使えなく午後練がない日曜日。

 オレは決してやましい考えで奏を家に誘ったわけではなかった。ただ滅多にこない午後練のない日曜の昼を彼女と過ごしたかっただけに過ぎない。

 なのに、どうしてこういう状況になってしまったのか。

 中学に入ってから、制服や部活着の彼女に見慣れてしまっていたせいで今日は清楚なワンピースを身にまとっている彼女に、オレの欲が掻き立てられる。ベッドに押し倒した反動で、捲れた裾から覗く白い太腿を目にしてゴクリと生唾を飲み込んだ。

 大人しく組み敷かれる彼女は、欲情し火照った顔でオレを真っすぐ見つめてくる。その表情にオレの中の理性がどんどん失せていくのがわかった。

「征ちゃん・・・したい」

 奏が一言、そうオレを畳みかけてくる。
 オレは盛大な溜息と共に、ぐしゃりと自分の前髪を掻き乱した。





 30.定説の殻




 数時間前。

 部活が終わり、一度着替えに帰った奏を公園で待っていると普段見慣れない大人びた私服でやってきた彼女を見てオレは少しドキリとした。

「あ、あの、今日はよろしくお願いします!」
「・・・何をそんなに改まって緊張しているんだ」
「そ、それはだって・・・やっぱり征ちゃんちに行くってことはそういうわけで・・・わ、私は準備万端だから!」
「・・・・・・」

 一体何の?
 妙にソワソワする奏に、オレは眉を寄せる。
 初めてオレの家に行くわけでもあるまいに。

 だが、後程オレはその理由を嫌と言うほど知ることになるのだった。




 彼女を車に乗せ、辿り着いた我が家の大きさと広さに、奏は以前と同じように呆気に取られて見上げていた。

「お、お邪魔します」
「どうぞ」

 出迎えてくれた執事達に早急にオレの部屋へ飲み物を持ってくるように伝え、オレは奏を連れて自室へと足を運んだ。
 オレの部屋に入るなり、懐かしむように中を見回した彼女が口を開く。

「小6の時以来だー!全然変わってないね」
「ほとんど部活ばかりで忙しいからね」
「征ちゃんの匂いがする」
「ふふ、それはどんな匂いなんだ?」
「うーん、高級な柔軟剤と太陽みたいなふわふわした匂いかな!」

 よくわからなかった。

「今日は何をしようか、奏のやりたいことはあるかい?」

 そう尋ねたオレの言い方が悪かった。
 日差しがあまり差し込まないようにカーテンを閉めるオレに、奏は動揺したように返す。

「えっ、わ、私のやりたいことって・・・わかってるくせに征ちゃんあえて聞いてるの?そ、そんな今来たばかりなのに、早速?」
「・・・何か勘違いしていないか?」
「だって・・・こんなおいしい状況だし・・・」
「・・・・・・」

 確かに。

 いや、確かにじゃない。

 首を小さく横に振って、邪念を振り払った。
 やはり自室で2人きりというこの状況もあって、いつも以上に頭の中がお花畑である彼女に自身も調子が狂いそうになる。

 とりあえず彼女をソファに座らせて、テレビの横にある棚からディスクを何枚か取り出した。

「DVDでも観るかい?面白い映画があるんだが、」
「D、DVDって・・・征ちゃんちにまさかそういうDVDがあったなんて・・・い、一緒に見るってそういうこと?」
「・・・・・・」

 ・・・今、映画と言っただろう。

 ダメだ。今の奏の頭の中にはソレしかないことにオレは諦めた。
 溜息をつくと、適当に最新映画のディスクを出してデッキに読み込みオレも彼女の横に腰を下ろした。

「何のDVDなの?」
「残念だが奏の期待しているような内容ではないよ」
「わ、わかってるよ!さっきのは冗談で言っただけ!」
「・・・さっきからお前の反応に全く冗談には見えないんだが」
「仕方ないじゃない、征ちゃんの部屋でこんな2人きりだとドキドキしちゃうし、気持ちも舞い上がっちゃうもん。小6のお泊りの時とは違って、私達もう付き合ってるんだし」
「・・・そうだね」
「征ちゃんは違うの?ドキドキしてるの私だけ・・・?」

 奏の声色が変わり、それに気づいたオレは彼女の方へ向く。
 そこには不安そうな表情をした彼女がいた。

「・・・灰崎くんに言われたんだけど・・・」
「また灰崎か・・・」
「!」
 
 その名前を彼女の口から聞いただけで、自分の中がモヤモヤする。
 溜息をついたオレに一瞬顔を強張らせたが、奏は続けた。

「付き合ってるのに、そういうことしないのは意味ないって。征ちゃんが何もしてこないのは私に魅力がないからだって・・・」
「・・・・・・」
「他の友達も、部活ばっかで一緒に帰ってるだけの私達にそれは本当に付き合ってるのかって・・・だっていつもキスする時は私がしたいって言った時だけだし、征ちゃんからしてくれたのはこの前学食で灰崎くんとのいざこざがあって怒った時だけだし・・・」

 それを聞いて、俯く。
 あれは、もう一人の自分の意思だった。

 それを除いたら、オレ自ら彼女に進んで求めたことはなかった。

 気持ちはいつだってある。彼女と恋人になる前から、ずっと。


 沈黙するオレ達の間に、再生した映画のシリアスなシーンと効果音が虚しく響く。
 どう返すべきかと考えるオレに、この空気に耐えれなくなったのか奏は立ち上がった。

「ごめん、嫌な空気にさせちゃって!ちょっとお手洗い借りるね」

 そう慌てて部屋を出ていく彼女に、なかなか言葉が出てこなかった自分を嫌悪した。
 彼女は灰崎や他の奴の意見に影響されすぎていると思った。自分達のペースで歩んでいけばいいと前に話したはずなのに、彼女はどうやら違うらしい。
 とりあえず彼女が戻ってきたらきちんと話し合おうと決心するも、肝心な彼女がなかなか戻ってこない。
 まさか迷っているわけでもあるまい。重い腰を上げて自室を後にしトイレへ向かうと鍵が掛かっていて、中にまだいるようだった。
 耳を澄ますと中から啜り泣く声が聞こえる。

 「・・・奏」そう扉越しに呼ぶと、ピタリと嗚咽も止まった。

「早く出ておいで」
「・・・・・・」
「部屋で話そう、オレが悪かった」

 するとガチャリと開く扉から、目を赤くした彼女が出てくる。
 泣かせたいわけではなかったのに、そうさせてしまったのは紛れもなく自分で胸が痛くなった。部屋へ戻ろうとするオレに「征ちゃんは、」と口を開いた彼女に足を止めた。

「部活ではもう副主将で、成績は学年トップで、生徒会の次期副会長で・・・それに比べたら私なんか普通で何の取り柄もない女だし・・・誰が見たって釣り合わないってそう思うと思う」
「・・・奏、」
「こんな思いするなら・・・昔のままの方がよかったよね、きっと。ごめんね、私から付き合いたいって言ったのに・・・ごめんなさい」

 そう頭を下げる彼女。
 オレは知らなかった、彼女がそこまで思い悩んでいたことに。


 "代われ。お前じゃ彼女を慰められないだろう。"

 そんな声が聞こえてきて、拳をギュッと握りしめた。


「来い」

 そう俯く彼女の手を取って、足早に自室へと戻る。
 彼女の手を握ったまま、オレは口を開いた。

「・・・奏は一つ勘違いしているよ。何も取り柄がないと言っていたが、オレはありのままのお前を好きになったんだ。普通の何が悪いんだい?奏は奏のままでいいんだよ」
「・・・・・・」
「お前に魅力があるから、小学校の時の瀬口や灰崎のような者が寄ってくるんだろう」
「・・・・・・」
「釣り合わないだなんて、くだらないことを考えるな。周りの意見などオレ達には関係ないだろう。オレはちゃんと奏のことを想っているし・・・いつも本当は触れたいと思っているよ」
「ほんと・・・?」
「本当だよ。寧ろ邪魔な奴らが寄ってこないように何処かに閉じ込めておきたいぐらいだ」
「!」

 既に涙は引いて頬を赤くする彼女に、握っていた手を引いて抱き寄せる。
 そして顎を軽く持ち上げて口を塞いだ。始めから深くするそれに、彼女の身体が強張るのがわかった。

「ん、んっ・・・」
「・・・・・・はっ、」

 唇を合わせたまま、彼女の身体を引きずるようにしてベッドへ押し倒す。唇を離し手をついて見下ろすと、彼女は顔を真っ赤にしてオレを見つめていた。
 その欲情した表情に、オレの理性もどんどん失せていく。

「征ちゃん・・・したい」

 こうして今の状況に至るのであった。
 ここまできて、もう後戻りはできない。
 盛大な溜息をついて、前髪をぐしゃりと掻き乱す。

「・・・いいのかい、奏」
「うん・・・」

 ちらりと自室の扉へ視線を移し、鍵が掛かっていることを確認する。
 そして彼女に向き直ると、再び唇を重ねた。
 こうしてオレ達は、早くも定説の殻に火を付けるのであった。





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