征ちゃんとキスを交わしてからというもの、私の脳内の半分以上はそのことで占めていた。
「・・・奏」
「なぁに征ちゃん」
「その緩みきった表情を何とかしてくれないかい」
「え?緩んでないよ、征ちゃんの気のせいじゃない?」
28. どこか狂った桜色
今日は月に1回あるかないか、征ちゃんの気分で訪れる学食を一緒に食す日であった。
向かい側の席に座って鯖の味噌煮定食を口に運ぶ征ちゃんは、私の顔を見て溜息を零す。
征ちゃんと一緒に学食が食べれることも幸せだが、更に先日の征ちゃんとのキスシーンを思い返すとどうも顔がニヤけて仕方ないのだ。
「征ちゃん、あーんってしてあげてもいいよ?」
「いや、遠慮しておくよ」
「え、何で」
「何でも。周りに人がいるだろう」
「じゃぁ誰もいなかったら私があーんってしたの食べてくれるの?」
「・・・・・・」
征ちゃんは最近、返答に困った時無言で流すという技を覚えてしまい、私はその度に不貞腐れていた。「ちぇっ」っと大人しく自分の注文したハヤシライスを口に運ぶ私に、征ちゃんはじっと視線を注いでくる。
「?征ちゃんどうかした?」
「口端についているよ」
「うそ!征ちゃんとってー」
「自分で取れ。はい布巾」
「・・・前は私の鼻血を拭ってくれてたのに」
しゅん、とする私を見て征ちゃんはヤレヤレと今日何度目かの溜息をついた。
「・・・誰も見ていなかったら拭ってやるが、ここではダメだ」
「はぁい」
渡された布巾を受け取り、大人しく口端を拭う。すると「赤ちんと白鳥ちんだー」と間延びした声が上からして、見上げると学食のトレーを手にした紫原くんと緑間くんと青峰くんの3人がいた。
「お前ら仲良いな」
「隣座っていー?」
「あぁ、構わないよ」
「ちょっと待って!征ちゃんの隣は私が座るっ」
ぞろぞろと当たり前のように私と征ちゃんの周りを囲むように座ろうとする大男3人に、私は慌てて立ち上がり征ちゃんの隣へと移動した。
するとポカンと口を開いて唖然として私を見る3人に、首を傾げる。
「え?何どうかした?」
「お前"征ちゃん"って・・・やべーだろ」
「赤ちんのこと"征ちゃん"って呼んでんのー?ウケる―」
「酷い呼び方なのだよ」
げらげらと笑う青峰くんと笑いを堪える紫原くん、ドン引きしている緑間くんの反応に、私は少なからずショックを受けた。ずっと親しんできた私だけの呼び名なのに。でももう中学生だし、ちゃん付けじゃもしかしたら征ちゃんも恥ずかしいって思っているのかもしれない。
悶々とする私に気づいた征ちゃんは、箸を止めるといつもより低めの声色で口を開いた。
「そんなに可笑しいかい?青峰、紫原」
「いや・・・悪かったよ赤司、そんな怒んなって」
「オレ別に笑ってねーしー」
「緑間も、酷い呼び方とは失礼だぞ」
「・・・そうだな、気を悪くさせたのなら謝るのだよ」
そうフォローしてくれた征ちゃんに、私は抱き着きたくなる衝動をなんとか抑える。代わりに少し空いた征ちゃんとのスペースを椅子ごと持ち上げてピッタリとくっつけた。
そんな私の行動に征ちゃんは眉を寄せる。
「・・・そんなにくっつかれたら食べづらいぞ奏」
「気のせい気のせい」
「・・・・・・」
「そういえば征ちゃんの定食セット、湯豆腐付いてるんだね」
「あぁ、だからこの定食を選んだんだ」
「じゃぁ湯豆腐と私どっちが好き?」
征ちゃんの耳にそっと口元を近づけてそう悪戯に囁けば、彼はもっと眉を寄せて私の頭を軽く叩いた。その力は優しいものだが、征ちゃんに叩かれたのはこれで2回目だ。
そんな私達のやり取りを傍観していた紫原くんと青峰くんが口を開く。
「仲良いねー2人ともー」
「てか赤司のデレが見れるかと思って期待してんのによ、白鳥のデレばっかじゃねぇか。つまんねぇな」
これ以上は征ちゃんがもう一緒に学食で食べてくれなくなりそうなので、大人しくハヤシライスを食べることにした。
するといつかの日のように、掴まれるように頭の上に突如手が乗せられ誰かと見上げた私は、その手の主を見た瞬間固まった。
「何だよみんな揃って楽しそうじゃねーか。オレも混ぜろよ」
何故ならそれは灰崎くんだったから。
「はあー?崎ちん何度言えばわかんのー?白鳥ちんに近づくの禁止っつったじゃんー」
「うるせぇな敦、お前の言うこと何でほいほい聞かなきゃいけねぇんだよ」
「んだよ、灰崎と白鳥なんかあんのかよ」
「峰ちんには関係ねーし」
「それよりも灰崎、食べるなら座って食べるのだよ。行儀が悪いぞ」
「へいへい」
立ちながらつまみ食いをしていた灰崎くんは、当たり前のように私の隣に腰を下ろし学食のトレーを机の上に乱雑に置いた。緑間くんの隣も青峰くんの隣も空いてるのに、あえて私の隣に座ってきた彼は紫原くんが言っていたように本当に私を狙っているのだろうか。警戒する私に灰崎くんは気にも止めず肩に腕を回してくる。
「おっ、白鳥のハヤシライスうまそーじゃん、一口よこせよ」
「あっ、ちょっと!」
そう言って半ば強引にスプーンを持っていた私の手を掴みハヤシライスを一掬いすると、灰崎くんはそのままそれを自分の口へと含んだ。その行動に私はギョッとする。これでは間接キスではないか。まるで征ちゃんの目の前で見せつけるように、狙ってやっているように感じる。
すると「灰崎」と隣にいた征ちゃんの今日一番低い声が灰崎くんの動きを止めた。
「やめろ」
「あ?何怒ってんだよ赤司、別にお前の女取ろーとか考えてねぇよ」
「そうか。だが例えお前がそう考えていたとしても、オレは心配などしていないよ。お前に取られることなど絶対にありえない」
「んだと赤司・・・」
「肩に乗せたその腕を早くどけろ」
そう言った征ちゃんの声色は氷のように冷たく感じた。別人のようだった。いつかの小学校の時の瀬口くんを階段に突き落とそうとしていた時と同じ感じであった。
言われた通り灰崎くんが私の肩から腕を退けると、征ちゃんは私の手首を掴んで無理矢理立たせる。そして「来い奏」とそれだけ言うと、歩き出す征ちゃんに私は引きずられるようにして後に続いた。
「・・・灰崎、お前バカじゃねーの?赤司のもんに手出そうとか身の程知らずにも程があんだろ」
「うるせーな大輝、だっておもしれぇだろ。それに人のモノってやたら欲しくなんじゃん」
舌で親指を舐める灰崎に、その場に残された3人は溜息を零すのだった。
◇
「征ちゃん・・・怒ってる?」
学食からそのまま無言で手を引いて歩き続ける征ちゃんの背中には怒ってますと書いてあった。私の声かけに何も返さず彼が辿り着いた場所は、人気のない階段下の物陰だった。私を強引に壁際に追いやり見下ろしてくる征ちゃんは、やはりいつもの征ちゃんと違った。
「灰崎には気をつけろと言っただろう」
「ご、ごめんなさい征ちゃ、んっ・・・!」
言い終える前に顎をぐいっと持ち上げられ、唇を塞いできた征ちゃんに頭が真っ白になった。この前のとは違い荒いそれは、何度も角度を変えて思わず口を開いてしまった私に何処で覚えたのか、征ちゃんの舌がぬるりと侵入してくる。
「んっ・・・はぁ、せいちゃ・・・っ」
酸素を上手く補給できず次第に足がガクガクと震えてくる。
息苦しくなり彼のブレザーをギュッと掴んで引っ張るも、征ちゃんはなかなか解放してくれなかった。
限界を迎え腰が沈む私を、征ちゃんが咄嗟に支えたことによりようやく唇が離れる。
「ハァ・・・すまない、奏。大丈夫か・・・」
「だ、だいじょぶ・・・」
気づけば目の前の征ちゃんはいつもの征ちゃんに戻っていた。乱れる呼吸を整える彼が妙に色っぽく見えてしまって、私はいつも以上にドキドキしていた。
ギュッと握りしめていた征ちゃんのブレザーが皺になっていることに気にも止めず、私は腰を支えてくれている目の前の征ちゃんの首に両腕を回し自ら彼の唇に吸い付いた。
「っ・・・!奏・・・待っ、」
「はぁ・・・んっ・・・ふ・・・」
抵抗する征ちゃんの首をがっしり両腕で固定して、今度は私が彼の口に舌をねじ込んだ。当然初めてでどうしていいかわからないまま、見様見真似で舌を動かすも上手く行くはずもなく、自分の前歯と征ちゃんの前歯がごっつんこし痛みが走る。
「痛っ・・・!」
「いったぁ・・・ごめん征ちゃん・・・」
お互い前歯の痛みで唇を離し口元を抑えた。
床に膝をつく征ちゃんの顔を伺えば、頬を赤くした彼がそこにはいて思わず面食らう。最近ちょくちょく見せてくるその表情が私の欲を掻き立てて仕方なかった。
「征ちゃん顔真っ赤・・・」
「・・・奏のせいだろう」
「なんか息を整える征ちゃんが色っぽくって我慢できなくなっちゃった・・・征ちゃんこそ人がいないからって学校でいきなり大胆すぎるよ!」
「さっきは・・・オレの意思じゃない・・・」
「え・・・?」
そう俯く征ちゃんの言っている意味が理解できなかった。
手の甲で口元を拭うと、征ちゃんは立ち上がる。
「・・・すまない、学校でこんなことをしてしまって。今後気を付けるよ」
それだけ言うと、征ちゃんは私をその場に置いて立ち去ってしまった。
一人残された私は、聞き返す時間も与えてもらえず呆然と小さくなる彼の背中を見つめるのだった。