あれから数日後。
瀬口くんがバスケクラブを辞めたという話を風の噂で知った。
私はまだ左腕の包帯が取れないため、クラブの時間はみんなが楽しそうにバスケをする姿を体育館の端で傍観するしかない。たまに転がってきたボールを拾って渡すことしか仕事が無かった。
「ナイスシュート赤司!」
征ちゃんがシュートを決める。
練習着で汗を拭いながら仲間達とハイタッチを交わす征ちゃんを羨ましく思った。
私は、また征ちゃんとバスケができるんだろうか。
そればかりが私の中で不安の渦を作った。
ただ見てるだけ。
私はここにいる必要があるのかな。
16.ジュ・トゥ・ヴー
明日は日曜日で、征ちゃんのピアノコンクールの日であった。
「奏、明日のコンクールは来れそうかい?」
「うん、もちろん行くよ!すごく楽しみ」
「怪我もあるし危ないから、会場にはオレと一緒に行こう。明日迎えに行くよ」
「わざわざごめんね、ありがとう」
帰る前。
音楽室でピアノを弾く征ちゃんの音色を、私は窓際で校庭を眺めながら聴いていた。校庭ではサッカー部が元気よく走り回っている。
急に止まる音色に不思議に思い、征ちゃんへと視線を移すと彼は私をジッと見つめていた。
「どうかした?」
「・・・奏は、クラブを辞めようと考えているだろう」
突如言われたその言葉にギクリと肩を揺らしてしまう。
そう、その通り私はバスケットクラブを辞めようか考えていたのだ。つくづく征ちゃんは何でもお見通しで苦笑する。
「ほんと征ちゃんはお見通しだね」
「もし辞めるなら、オレも一緒に辞めるよ」
「!」
まさかそんなことを言ってくるとは思わなかった。
「なんで、征ちゃんは辞める必要ないでしょ」
「オレは奏がいたから、クラブに入ったんだ。奏がいないなら意味ないし、それにバスケを辞めるわけじゃない。クラブがなくても続けられるし、左腕が治って奏がまたバスケができるようになったらオレもまた一緒に始めるよ」
私を気遣ってのその言葉はすごく嬉しかった。
征ちゃんがどこか責任を感じていることも、わかっていた。それでも、あんなに楽しそうにみんなとバスケをする征ちゃんを辞めさせていい訳がなく、そして続けさせるために私が取れる選択肢は1つしかない。
「大丈夫、私は辞めないよ。征ちゃんとまたバスケができるようにリハビリして頑張るから、その間は征ちゃんのバスケのサポートでもしよっかな!」
「・・・そうか」
笑って見せる私に征ちゃんは何処か安心したように微笑んだ。でもその表情が曇っていたことに私は気が付かなかった。
◇
ピアノコンクールの当日。
いつもの公園で征ちゃんが迎えに来てくれるのを待っていると、やがて大きな黒い車が入口前に停まってその中からネクタイに黒いベストを身にまとった、いつもより大人っぽさが増した征ちゃんが出てきた。そんな彼を見て自分ももう少しきちんとした格好で来ればよかったと後悔する。
「すまない、待たせてしまったね。中へどうぞ」
「は、はい!」
「ふふ、何を固くなっているんだ」
紳士に私の手を取り車の中へエスコートする征ちゃんに、声が裏返った。
一度病院に連れて行ってくれた時に乗ったことがあったが、その時は痛みでそれどころじゃなくあまり車内を見る余裕がなかった。
改めて中を見ると小部屋の1室のように広く、座る場所に戸惑う。
「なんかドラマの世界に来た気分」
「奏はいつも大袈裟だね」
「征ちゃんもいつもより、・・・」
すごくかっこいい。
その言葉が緊張で言えず喉まで来たが飲み込んだ。
「いつもより何だ?」
「・・・お、大人っぽい!いつもだけど・・・」
「そうか、ありがとう」
隣で征ちゃんは嬉しそうに瞳を伏せた。
その綺麗な横顔に見惚れる。
やり場のないふわふわした感情が歯痒かった。
◇
そしてコンクールは始まり、私は征ちゃんが確保してくれた最前列の席で色んな人のピアノを堪能していた。
やがて征ちゃんの出番がやってきて、たくさんの拍手に包まれながらピアノの前に立ち一礼する彼は6年生とは思えない程堂々としていた。
椅子に座り、鍵盤に触れると征ちゃんは一度私の方を向いてフッと微笑んで見せた。
その一瞬がとても絵になっていて、心臓を掴まれたような感覚になる。
「エリック・サティ作曲、ジュ・トゥ・ヴー」
司会の声が会場内に響き渡る。
その後に征ちゃんのピアノの音色がゆっくり流れ始めた。
その曲は、音楽室で弾いていた曲とは違って、優しく包み込んでくるような曲調と彼の弾き方に私の時間は止まったような錯覚に陥る。
瞳を伏せて、まるでピアノと一体化したように鍵盤に手を滑らせ音色を奏でる征ちゃんはとても美しかった。
この瞬間、やっと気付く。
ああ、そっか私はずっと、
征ちゃんに恋していたんだ。
あまりに夢中に聴き入ってしまい、征ちゃんの演奏が終わるのがすごく早く感じてしまった。
たくさんの拍手が会場を包み、演奏を終え再びピアノの前で一礼する征ちゃんに私も動かない左腕を使って精一杯の拍手を送った。
そして最後の審査結果発表。
「優秀賞、赤司征十郎」
征ちゃんは優秀賞を受賞した。
ステージ上でライトスポットを浴びながら、賞とトロフィーを受け取る征ちゃんがとても遠い存在に感じる。
征ちゃんは、すごい。
私なんか、どんなに頑張っても釣り合わない。
そう思った。
「征ちゃんおめでとう!演奏感動しちゃった!」
「ありがとう」
「音楽室で弾いてた曲とは違ったね」
「あぁ、今日弾いた曲は奏に贈りたくてオレが選曲したんだ」
「え、私に?」
「うん、気に入ってもらえたようで良かったよ」
征ちゃんは満足そうに微笑んだ。
私はその時、征ちゃんが選曲して弾いた曲にどういう意味があるのかわかるはずもなかった。