翌日、奏が怪我を負った件は6年生の間では話題になった。その原因は当事者以外わかる者はおらず、唯一知っている本人も頑なに言おうとはしなかった。
「奏、今日からしばらくの間、帰りはオレの家の使いが車で送り届けるよ」
「え・・・いいよ、そんなのしなくて」
「ダメだ。せめて包帯が取れるまでは車で帰るぞ」
「・・・私は征ちゃんといつもみたいに一緒に歩いて帰れないなら帰りたくない」
駄々をこねる彼女に、ヤレヤレと溜息を零した。
仕方なく家の使いに"迎えはいらない"と一報を入れるオレは、大概彼女に甘いと思う。
「でも左腕で良かった!右腕だったら不便すぎて大変だったよー」
そう苦笑する奏に、胸がチクリと痛む。
彼女はまだ知らないのだ。完治した後もバスケができない可能性があることを。
"お前じゃ彼女を守れない。僕ならこんな事態にはさせなかった"
・・・確かに、そうかもしれない。
15.理由
岸本さんの聞いた話によると、4組のクラスにいる志垣と中島という2人の女子生徒が絡んでいるのは確実だと言っていた。
掃除の時間を少し利用し、オレは奏が教室にいないことを確認し4組のクラスを尋ねていた。
「掃除中にすまない。志垣さんと中島さんはいるかい?」
たまたま近くにいた女子生徒に声をかけると、彼女は赤面しおどおどしながら「あ、あの子達です!」と教室の奥で掃除をしている2人組を指す。
「ありがとう」と一言返し、歩み寄るオレにいち早く気が付いた1人は顔色を変えた。
「えっ・・・あ、赤司くん!?」
「やあ、ちょっと今いいかな」
「・・・白鳥さんなら今週は校舎周りの掃除担当でいないけど」
「いや、用があるのは君達にだ」
「な、何・・・?」
「それは言わずとも君達が一番よくわかっているんじゃないか?」
「!」
そう返せばますます顔色が悪くなる2人に、岸本さんの心当たりは間違えではないようだ。
「白鳥を階段から突き落としたのは君達か?」
「ち、ちがう!」
「じゃあ誰だ?」
「・・・・・・、」
「わ、私達は関係ないです・・・!」
嘘をついているのは丸分かりだった。それでもそれを通そうとする彼女達に心底失望した。ジッと見つめるオレに対し、2人は怯えるように顔を逸らす。
「・・・あれ?征ちゃん?」
「!」
鈴の音のような声が聞こえ、振り向くとそこには訝しげな表情をした奏が立っていた。
「うちのクラスで何してるの?」
「いや、何でもないよ」
「音楽室で待っているね」そうすれ違いざまに奏に言うと、オレは4組の教室を後にした。
やはり主犯の2人組に問い詰めてもそう易易とは認めないか。恐らく2人の反応から見て突き落としたのは彼女達が直接したのではなく、第3者に依頼して犯行したのだろうと推測した。
「なぁ聞いたか?白鳥骨折したんだって」
廊下を歩いているとサイドで固まっていた数人の男子グループからそんな言葉が聞こえてきて足を止める。
「瀬口お前バレたらやべーんじゃね?」
「バレるわけねーじゃん、他に誰も知ってる奴いないんだし」
「でも白鳥がチクったらどうすんだよ」
「チクるわけねぇよ、大丈夫大丈夫」
ツイてると思った。
探す宛がなく困っていたところをこうして主犯を見つけることができ、探す手間が省けたのだから。そして何故、奏が頑なに突き落とした奴の名前を言わなかった理由を、瀬口と呼ばれた男子の顔を見て理解した。
瀬口はオレ達と同じバスケットクラブのメンバーだったからだ。
握った拳に力が入った。
◇
終礼が終わり、オレは音楽室には向かわず1組である瀬口のクラスが終わるのを待機していた。
そう、下校で瀬口が下りの階段に向かう機会を窺うために。
「またなー瀬口」
「おーまた明日」
「背後に気を付けろよー!白鳥が仕返しに来るかもしれねーぞー」
「はあ?バカかありえねーだろ」
1組から出てきた瀬口は1人で下り階段へと向かう。その後ろに歩み寄り、階段へ足を踏み出そうとした瞬間の彼の肩を掴んだ。
「瀬口」
「・・・!なんだよビビらせんなよ・・・マジで白鳥かと思った・・・てかお前確か白鳥とよくいる・・・、」
驚いたように振り向いた瀬口は、僕を見るなり苦虫を噛むような表情をした。
「ボンボンで有名な赤司じゃん、あーそうかあんたも同じバスケクラブだったっけ」
「奏に怪我をさせたのは、お前だな」
「は・・・?知らねーし、何を根拠、」
瀬口の言葉が途切れる。
僕が彼の肩を掴んでいた手を左腕へと移し力強く握ったからだ。
「っ・・・、てめえ何する気だ」
「奏は左腕を折られたんだ。お前も同じ目に遭うといい。いやそれでも足りないぐらいだが・・・」
「ふ、ふざけんな!離せっ・・・!」
「僕を見下ろすな。跪け」
幾分か自分より背の高い瀬口の肩を空いた手で軽く押さえると、ストンっと彼は跪いた。そのまま肩に置いた手を前へ押すと瀬口の身体が下り階段の方へ少し仰け反る。
「や、やめてくれ!頼まれたんだ!俺は悪くない!!」
「頼まれただけで何故あそこまで惨いことができるのか理解に苦しむな」
「な、なぜって・・・あいつが・・・白鳥が気に食わなかったからだよ、女のクセに男の俺達よりバスケも上手いし何もキツいことや辛いことも経験したことが無さそうにいつも呑気にヘラヘラしてるあいつがムカついたんだよ!」
それを聞いて僕の中で何かがプツンと音を立てて切れた。
何も、キツいことや辛いことも経験したことが無さそうな奴だと?
「・・・赤司くんはもう知ってると思うけど、実は白鳥さん少し前からうちのクラスで嫌がらせされてて・・・」
「私いらない子だから」
「あるよ・・・私だって征ちゃんに言いたくないことだってあるよ!」
「征ちゃんには、関係ないでしょ」
いらない子だと言われ、クラスでは嫌がらせに耐え、何も悪いことはしていないのにムカつくという理由で怪我を負わされ。
彼女のことなど何も知らないくせに。
もういい。
こいつは、左腕を折るだけじゃ足りない。
"やめるんだ、そんなことをしても奏は喜ばない。むしろ悲しむぞ"
うるさい。僕に命令するな。
グッと瀬口の肩を押し傾く彼から手を離し突き落とそうとした瞬間。
僕と瀬口の間に、良く知る香りがふわりと鼻腔を擽った。
「やめて、征ちゃん」
息を切らしながら言う奏の声に、我に返った。
瀬口の肩から自分の手を離させ、優しく握ってきた彼女の温もりにオレは冷静を取り戻した。
「征ちゃんはこんなことしたらダメだよ。この人と一緒になっちゃう」
そう悲しそうに笑う奏に、オレは項垂れた。
危なかった。
あのままオレがオレじゃなくて、彼女が来てくれなかったら。想像しただけで恐ろしくなる。
そんなオレから放心状態の瀬口へ視線を移すと、奏は笑いながら続けた。
「瀬口くん、ごめんね。私いつもヘラヘラしてるけど、実は両親とも昔事故で死んじゃって家族はもういないんだ。今は仲良くもない親戚の家にいるけど、いっつも厄介者扱いされててほんとキツいけど・・・でも学校は楽しいし征ちゃんがいるし。だから笑ってられるんだよ。バスケも・・・あるし。でも、きっともうできないかもしれないけどね」
彼女の言葉を聞いていたオレと瀬口は、彼女から目を逸らせなかった。瀬口はもちろん、ずっと一緒にいたオレですら奏の家庭のことを知らなかったのだから。
いらない子、とはそういうことだったのか。
母さんがまだ生きていたとき、まるで自分の母親のように大切に扱ってくれていたことやオレが家まで送ることを嫌がっていたこと、暗くなってもなかなか家に帰りたがらない理由が今ようやく全て理解した。
「・・・だからもう充分でしょ。私はこれからも瀬口くんのしたことは先生にも誰にも言うつもりないから、だからもう私と征ちゃんに二度と関わらないで」
母さんを亡くして弱りきっていた自分よりも辛い思いをしているのに。
彼女の強さに、甚く惹かれた。