彼女は退屈な式を終え、足早に学校を去る。途中、他の生徒に捕まりそうになりながらも、保護者として来ていた姉と祖父の姿を見かけても、彼女はただ一つを目指していた。
電車で最寄り駅まで行き、改札を抜ければ街中に桜などの花を模した商品がちらほら見える。しかし、模したものはそれ相応で、本物の花には敵わない。彼女は少し、花屋の前で足を止めた。
視界に入ったのはプリムラの花。彼女の家にもいくつか咲いていたものだ。彼女が好きだった庭の花。彼女が愛しい人と共に見た花。
「花言葉は青春の美しさ……」
花屋の店員にそう言われ、「ああ、そうなのか」と彼女は少し納得する。そう、彼女がもし彼に渡すのであれば、それではない。
「あの人にこの花は、似合わないから」
そこから目的地まではすぐだった。日曜日なのにも関わらず、店はクローズのプレートを下げているが、彼女は気にしないで扉を開く。ドアベルが鳴り、それに気付いた男の目が彼女を捉えた。
どくん、と途端に心臓が跳ねる。逸る気持ちを抑えながら彼に近付けば、男はどうしたんだと口を開きかけて、閉じた。彼女が男の眼前に卒業証書を突き出していたから。
「なんだ、急に」
「卒業したの」
ばくばくと心臓が忙しない。絞り出すように出した声は、彼女自身も情けないと思えてしまう程にか細く、弱々しい。
「そうか」
ただそれだけ言う男に、がっかりする気持ちを抱きつつも、彼女は話を続けなければならない。
彼女は決めていた。何があっても、どうなっても、今日この日に伝えるのだと。
目の前の、長く綺麗な髪を持ち、決して良いとは言えない目付きの男を前にして、これ程緊張したことは無いだろう。決断するまでの彼女は、その感情を育てながら隠していたのだから。こんな、一世一代の告白をしようと思ったのだって、高校に上がってからだ。今までと同じように接していられるか分からない。ここからも卒業する彼女だが、確かではないものの繋がりが消えるわけではないのだ。顔を合わせることもある。しかし、男の返答次第では、今まで通りではいられないなんてことも、この先の未来にはあり得るのだ。
「それで? おめでとうとでも言ってほしいのか?」
話はそれだけか、と言わんばかりの男の言葉に、彼女は首を横に振る。祝いの言葉の彼女には不要だった。卒業したことを祝ってほしいわけではない。ただ、今ここで彼女がするべきはたった一つで、男に求めるのもたった一つだ。
彼女の様子を見て、男は彼女を真剣に見つめる。幼い頃から知っている彼女と男の年齢は、一回り程の差があるが、男にとって彼女は対等に近しい存在だった。妹として、見ていたい存在だったのだ。
意を決した彼女が口を開く。
「ペタ、好きよ」
穏やかだった。彼女の声も、表情も。何かを決意し、そして諦めたような、そんな意味合いが含まれていた。彼女の心臓は忙しない。不安で仕方ない。しかし、どう足掻いても、男はこの後返事をする。だから彼女はそれを受け入れなければならないのだ。
「……そうか」
「うん……」
「やっと、言う気になったのか」
「……へ?」
思わず間抜けな声が出る。彼女は目を丸くした。
「お前は隠しているつもりだっただろうが、分かりやすかったぞ」
「え……えっ」
「そうか。お前はもう、物事の分別もついて、判断も出来るのだな」
「いや、え、なっ……!?」
男は口角を上げる。逃げられないように彼女の手を取って、その大きな手で包み込む。指先が少し冷たい彼女の手は徐々に熱を持ち、同時に彼女の頬も熱を持った。
「私はもう、お前以外が作る菓子や料理に興味が持てない。この責任を取ってもらおうか」
「あの、ペタ……?」
「これでは伝わらないか? では……」
「いや……ちょっと、あの……?」
「アオイが好きだ。と言えば、お前は満足するか?」
これ以上ない程に、彼女は驚きに満ちた表情を浮かべた。真っ赤な顔で、目を見開いている。
信じられなかった。男が好いてくれていることなど、彼女はこれっぽっちも知らなかったから。その割に、彼女の感情は男にばれていたのだから、彼女の脳内はショート寸前である。しかし、どういうことなのか、恐らく彼女自身も分かってはいないのだろうが、彼に一つ言えることが出来た。
「わ、私と、付き合ってください……!」
男に告白をするまで、言うつもりの無かった言葉が放たれる。数秒後、男が承諾の返事をするのを、彼女はただ手を握られたまま待っているのだった。
fin
2016.11.03
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