家の中で暇になった祖父は庭の手入れを始めた。庭師が仕事を取られたと嘆くので、自分用のスペースを確保したらしい。旦那様がそんなこと……と使用人達は言うが、それすらも説得してみせるのだから祖父の影響力は凄まじいと思う。
先日、妹が誘拐されたと話した時は昔の表情をしていた。冷たくて怖い顔。祖父はあまり感情を表に出さないが、怒りははっきりと分かる。この祖父は案外、孫が可愛くて仕方ないと思っているのだ。
妹が電話越しに伝えた「薔薇R鈴蘭L椿L」は実のところ簡単で、むしろ直接言ってしまっていると言っても過言ではない。ローズリボンと言う洋服屋を右に曲がり、すずらん屋と言う和菓子屋を左に、カメリアと言う美容院を左に曲がった先のアパートが、妹と誘拐犯の居場所だった。誘拐する際に目隠しを忘れたのか知らないが、流石私の妹である。結果、殴られてしまったけれど、妹は愛しい人に頬を撫でられ涙する程に嬉しかったようだ。
「アザミよ、仕事の方は」
「順調ですよ。御祖父様」
祖父は、元より私達に仕事を継がせるつもりは無かったのだと言う。入院し、そして引退を決意した頃から祖父は少し丸くなった。今までは、私達孫とどう接していいか分からず、そもそも息子を育てることさえあまり関与してこなかったせいか、冷たい態度を取るしか出来なかったらしい祖父だけど。それでも、私達が可愛くて仕方ないらしく、最近はよく構うようになった。
私が祖父の仕事を継ぐと決めたのは、妹が愛しい人を見つけたと知った時。屋敷の人は基本、私より妹の方が大事だし、優先する。だから後継者だって父親似の妹の方がいいと言うに決まっていた。実際、そう言ってくる使用人もいたが、あの人がどうなったのか私はよく知らない。話を戻すと、未成年の妹に継がせることなど不可能だし、何よりあの子は誰よりも自由に生きてこそ輝くのだと思った。
好きなことをして、好きな人と共に過ごして、好きな人を愛する。それがきっとあの子にとっての幸せなのだ。そして、あの子が幸せなら、私も幸せなのだ。幸せ過ぎて、怖くなるくらいに。
今でも妹は私に少し負い目を感じている節があるが、そんなこと気にしないでほしい。あなたはあなたが思うままに生きていてほしい。
「存外、お前は我儘だったのかもしれないな」
「我儘、ですか」
「ああ。変な男を二人も連れてきて、住まわせてほしいと言ってきた時は驚いた。追い返そうとも思ったが、お前があまりにも真剣な顔をしていたからな」
懐かしい話を持ち出してくる。あれは最早黒歴史にもなりそうな、まだ幼い私のそれこそ幼稚的な我儘だ。まあ、本当に住まわせてくれるのだから、この祖父も何を考えているか分かり難い。
「そして、グループを継がせてほしいと言う。流石に焦ったものだ」
「言うなら今だと思ったもので」
「その上、住まわせた男の一人と結婚するときたもんだ。本当にお前は我儘が過ぎる」
結婚――そう、私は結婚している。これでも夫がいるのだ。彼を愛しているのかと問われると、少し疑問が浮かぶけれど。多分私は彼のことを嫌いではない。彼はそれでいいと言った。私は私のままでいいのだと。そのまま、妹を愛し続ける私でいていいのだと。私はそれに甘えることにした。彼はこんな私のどこを好きになったのか知らないけれど、ただ確かに彼は言うのだ。私に愛の言葉を。
「私に比べてアオイは手がかからないでしょう?」
「そうでもない。あいつは心を内に閉じ込めすぎている」
「今もまだあまり会話をしないんですか?」
「いや、あっちもだいぶ慣れてきたようでな。軽い会話はするようになったが、お前程話は続かないな」
「私とアオイは対極にあると言っても過言ではないですからね。そしてアオイは、父に似ている。と言うことは、御祖父様にも似ているんですよ」
そう言ってやれば、祖父は眉間に皺を寄せた。これは困っている時の顔だ。
「あいつは、何をしたいんだろうな」
妹が将来的に何をしたいのかは私にも分からない。姉は万能ではないのだ。けれど、あの子の未来には必ずあの人がいるから。それだけは私のも分かるから。
「何があっても、御祖父様は受け入れるのでしょう?」
「もうその位しかすることが無くてな。ところで、ひ孫はいつだ?」
「気が早すぎですよ」
2016.10.08
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