05
人は、自分や周りと異なる人物を見つけると拒絶する。普通ではないと感じ、嫌悪する。人とはそう言う生き物である。
それは本当に偶然だった。買い出しの途中、昼間だと言うのに中学校へ行っているはずのあの子――アオイが横断歩道で信号待ちをしているのを見つけたのは。時間を確認すれば、まだ昼休みが終わって間もない頃だろう。信号が青に変わり、彼女は進む。進行方向は自宅でも無ければ僕らの店でもない。溶けてしまいそうなアイスの袋を開けて口に入れながら、僕は彼女の後を追った。
後ろから見てもアオイだと分かるのは、きっと彼女の独特な雰囲気のせいだろう。僕も人のことはあまり言えないが、彼女は感情をあまり表に出さないせいか、妙に不思議な印象を抱かせる。ああでも、僕らを見つけた時のあの子の顔はとても人間らしかった。今思い出しても、少し笑ってしまう。いや、面白おかしいわけではなく。屋敷にいる間、あの子の表情を見たことなんて無かったから。
後をつけてやってきた場所は、今は誰も使わない空き地だった。何かになるかもしれないと言われ、しかしずっとこのままの空き地。不良な中学生や高校生が時々集まっているようだけど、昼にはそんな人達もいない。その不良達がわざわざ持ってきたらしい土管に背を預ける為振り返ると、僕は驚いた。
彼女の左頬は腫れて、赤くなっている。
「チッ……」
舌打ちの音が聞こえ、持っていた袋から水の入ったペットボトルを、ポケットからハンカチを取り出すとハンカチに水を含ませて、腫れた頬に宛がった。
いや、まさか、アオイがそんな……。
なんて思ってみたけれど、彼女が喧嘩などするはずもない。一方的に殴られたと言われた方が納得できる。しかし、女の子を殴るなんて一体誰がするのだろう。あんなに腫れているんだ。ちょっと平手打ちをしたくらいじゃああはならない。だとすると男が? 今時の中学生は女の子に手を出す男の子がいるのか。怖いな。僕らの世代でもそんな男子はいなかったと思う。男子は男子で喧嘩はしていたけれど。
「ああっ……もうっ……!」
普段の彼女から聞くことのない、苛立った声を聞いた。それに僕は、酷く安心感を覚えて、思わず笑みを浮かべてしまう。
どこか、人間らしさを感じない女の子だったが、きちんと感情を表に出すことがあるのだ。喜ばしいことじゃないか。彼女の姉であるアザミがいつか言っていた。アオイは元々、表情豊かでよく笑う子だったと。今の彼女は怒りに満ちているが、それすらもあの屋敷では見られなかったのだから、アザミに報告したらどうなるか……いや、言わない方がいいかな。アオイの感情を見たと言っても、アザミの中での問題点はアオイを殴った奴が誰か、になるのだから。
それを考えると、殴った人は一体何を考えているのだろう。アオイの家がいくつもの事業を成功させたグループだと知らないのだろうか。名乗れば分かるだろうし、それすら分からない馬鹿な学校ではないはずだ。では、一体どうして?
……これはきっと、僕が気付いてはいけないことだったのかもしれない。アオイがわざわざここへやってきた理由も、納得出来てしまった。僕はまだ、アオイのことを全て知っているわけではないが、今の彼女を見れば少しは分かる。彼女は負けず嫌いだ。そして、誰かを頼ることを知らない。助けてと言えないとても弱い子。店にいる時は見せないが、彼女の心の中や頭の中ではいくつもの感情と思考が巡り、そして感情を押し殺しているのだろう。ああ、なんて可哀想な子。そして、そんな彼女を心の底から、異常なほどに愛し、表情を見たがる彼女の姉も、同じくらいに可哀想だ。
気付けば三十分が経っていた。空き地にいるあの子はぼうっと空を眺めている。時々水を口に含んで喉を潤しているようだ。食べ物を持っているようには見えない。
「あれ? アオイじゃないか。こんなところでどうしたんだい?」
たまには道化を演じてみるのも悪くない。
「ファントムこそ何をしているの」
「僕は買い出しさ」
「アイス食べながら?」
「まあね。溶けちゃうし」
アイスはもう既に食べ終え、何もない棒が僕の手に握られている。それを袋に捨てれば、彼女は視線を再び空へ向けた。今日は快晴だ。
「頬、どうしたのさ」
「……私、あんたのような人間、嫌いよ」
これはばれていたかな? まあ、僕は結構目立つ見た目をしていると思うし、彼女を尾行している時も隠れることはあまりしなかったからね。当然と言えば当然か。
「僕、人間扱いされたの久々だな」
彼女の顔が僕に向けられる。「はあ?」と言った心底理解出来ないような表情を浮かべている。こんな顔も出来るのか。
「ほら、こんな見た目だろう? 生まれつきとはいえ、受け入れがたいらしい。色々あったものさ。僕の理解者はいつだってペタだけだったよ」
「……そう」
彼の名前が出た途端、アオイの表情は少し感情を見せる。これは店で働いているのを見ていればすぐに分かることだ。屋敷にいる間は関わりが少なかったせいか、気付くことはなかったけど。
「あの……ペタとはいつから……」
聞こうか聞くまいか迷ったのか、口をもごもごとさせる彼女。言葉尻は小さく、聞きとるのが難しい。が、聞きたいことは理解できる。
「高校かな。中学の頃から僕はグレてたし」
訝し気に僕を見る目は少し細められ、眉間に皺を寄せる。多分、どうして仲良くなったのか理解できないんだろう。僕はここまででだいぶ表情を見せてくれることに驚きたいところなんだけど、僕がその質問をすることは許してくれないのが彼女だ。
「グレるって、よっぽど人間らしいことでしょ。それでもあんたのこと化け物とでも見えていたのかしら」
「そうなんだろうね」
「そう。いつの時代も、人間はそんなもんなのね」
「やっぱり僕ら、似てると思うんだけどなあ?」
「失礼しちゃうわ」
「即答」
このまま彼女と取り留めのない会話を続けていてもいいのだけど、生憎それを許してくれない友人は僕の携帯に電話を寄越す。買い出しに行ってどのくらいかかっているんだ、と小言を言われてしまうだろう。彼は常に僕に対して敬語を使うが、その辺りは案外厳しい。
「今日、来るんだろう?」
「シフト入ってる」
「少し早めにおいで。ご飯を作っておいてあげるよ。ペタが」
「……自分で作れる」
「君が作れると言っても僕はペタに作るよう言ってしまうだろうから、君は食べるしかないんだよ。ペタのご飯をね」
「酷い人」
「それ、君の姉にも言われたことがあるよ」
アオイは一度口を開きかけて、閉じる。どうして姉と出会ったのか問いたかったのだろうが、時間が無いことも理解していたのだろう。姉の方もそうだけど、彼女もだいぶ我慢癖がついているようだ。彼女達の境遇がそうさせるのか、それとも別の何かか……僕には分からないことだけど。
「じゃあね。店に来たらちゃんと氷で冷やすんだよ」
「本当、あんたみたいな人、嫌いよ」
その言葉はどこか優しげな雰囲気を含んでいる気がした。
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