04
好きなことを仕事にするのは、少し勇気がいる。好きだからこそ挫けるとそのままになってしまうかもしれない。最悪の場合、好きなことを嫌いになってしまうかもしれない。そう考えると、本当は仕事にしない方が生きることに支障を来さないのだろう。
でも、私はきっと、どうしても、彼の口から美味しいと聞きたいのだ。
「南瓜の煮付け、サバの塩焼き、胡瓜の浅漬け、ひじきご飯、豆腐とわかめの味噌汁……一般的な家庭料理と言われるものを作ってみたのだけど」
「最近ではここまで和な料理を出すのはテレビの中か旅館くらいじゃないかな」
「一般的、でしょ?」
「そりゃあ、そうなんだけどね」
「やはり出汁巻き玉子も作るべきだったか……でも出汁は味噌汁で使ってるし、なら普通に塩の……? でもそれだと味気ないからやはり出汁が……」
「アオイ。とりあえずペタに食べてもらおうか」
カフェで働くようになって少し経った。厨房で働く為に、時間があれば調理をする。勿論、許可を得なくてはいけないが。基本、あまり口煩く言われることは無い。特にファントムはどこか私に協力的なところがある。かと思えば、意味深に言葉を放つだけとか、じっと様子を見ているだけとか、態度は様々だけれど。
ここで働くようになっても尚、彼の好みが分からない。食に限らず、好みの女性だとか、好みのファッションだとか、そう言ったことも。ファントムに聞いてみたこともあるけど、彼は「さあ?」と言うだけで何も教えてはくれなかった。自分で考えろ、調べろってことだと解釈して、私はただ料理をして彼の好みを知ろうとする。
今回の和食は一般家庭をイメージした。所謂、庶民的と言っていいのかどうなのか。ただ、私はあまりこういった和食を食べる機会が無かったから、味付けはあまり自信がない。やはり出汁巻き玉子は入れるべきだったか。
「……どう?」
ペタはいつも通り無言で食べる。最近の休日の昼食は、いつも私が作ったものだ。ペタに合格点を貰わなければならないから。少し申し訳ない。アルバイトの人達には、無料で食べられるからと喜ばれているのだけれど。
「……味が薄いな」
「そう……」
これで何度目だろうか。春から働き始めているが、一向に厨房へ立てる気がしない。和食はどうも苦手だ。程よい味が分かり難い。
「だが、煮付けは上出来じゃないか」
ぽん、と頭に何かが乗せられる。視線を上に向けることも出来ず、一瞬の時が長く感じられた。それが離れると、人の体温が恋しくなる。そして私の顔が熱くなるのだ。
「あと、うちはカフェだからな。和食は合わない」
「御もっともです……」
メニューを見れば、サンドイッチだとかパスタだとか、洋食と呼べるものが多い。この店にはまだ看板メニューとなるものが無いから、いくつか試作品を作ってみたいと思うのだけど。如何せん私はまだ厨房に立てない。考えるだけならタダ、と思っていくつか考えて書き出してはいるものの、絵やデザインの才能が無い私は殆どを文字だけで構成してしまう。
「いつになったら美味しいって言わせられるかな……」
「少し空回りしてるかもしれないね。一度、初心にかえってみてはどうだろう?」
「初心……?」
「アオイが得意としているものを作るんだよ」
この男は家にいた時から、どうにも食えない人だと思っていたけれど。でも、今はこうして時々アドバイスをくれる。意味深な笑みを浮かべ、怪しい雰囲気を纏う彼には、どこか何もかも見透かされているような気がした。
「うちは最近女性客が増えてきてね」
そうとだけ言って、ファントムは自分の分の昼食を食べ始めた。
私が厨房に立つことが許されたのは、それから一週間後のことである。丁度季節は梅雨が明け、夏に変わる頃。強い太陽の光が降り注ぎ、冷たいものを欲してお客さんが足を運ぶようになってきて、ふと気が付いた。このカフェには、甘いものが無い。
聞いてみれば、厨房で調理をする彼や、もう一人のアルバイトの男子高校生はスイーツを作れないのだと言う。情報源はアルバイトの彼だ。
ああ、何てこと。すっかり見落としていた。私は食事になるようなものばかり考えていたが、女性や子供が喜びそうなものは全く考えていなかったじゃないか。そもそも、私が喜ばせたかったのは彼だったから、考える気も無かったが。それでは彼は頷かない。それもそうだ。私はそうじゃなくても、彼は商売をしているのだから。
私は夏に食べたくなるようなものを考えた。個人的に好きなのはアイスクリームだ。口の中でとろけるアイスクリーム。冷たくて甘いそれは、女性も子供も好きだろう。バニラアイスだけでは駄目だ。
そうして考えて出来たのが、ヨーグルトゼリーに夏蜜柑とバニラアイスを乗せたサンデーである。とりあえず妥当なところで攻めてみたが、これを食べた彼が「ああ、うまいな。これならいいんじゃないか」と言った瞬間は、一生忘れることはないだろう。
夏蜜柑の時期が過ぎてしまうこともあり、夏にはまた新しいメニューを考えなくてはならないのだけれど。それでも、厨房に立つことが許されて、彼の口から「うまい」と一言聞けただけで、私はとても幸せだった。
夏休みの真っ只中。花火大会の日。書き入れ時と言うことで勿論私もカフェに出る。時に厨房で、時に注文を取りにホールへ。今年は助っ人が入ってくれて助かる、とファントムが言っていた。とても美人な女子高生が入ってきて驚いたものだ。背の高いアルバイトの男子高校生が紹介したらしい。彼はどこか一匹狼のような雰囲気を持っていたから、友人――しかも女子を連れてくるとは思わなかった。
その女子高生の接客はとても手慣れていて、人と関わることが苦手な私より完璧に近い対応をしていた。さらに研修中には料理のアドバイスまで貰ってしまったのだから、天は二物も三物も与えるのだろう。聞けば学年主席だと言う。頭まで良いとくれば、高嶺の花と思われていそうだな。
一番忙しい時間を終え、まだ空は明るいがカフェの閉店時間となった。高校生のアルバイトは退勤する時間だ。勿論、中学生である私も。カフェからバーに変わるまで時間はある。しかし、花火大会開始には間に合わない。少しだけでも彼と共に見たいと思っていたのだけど、それは難しそうだ。
大人しく帰り支度をしていると、意味深な笑みを浮かべたファントムが更衣室の外で待ち構えていた。一歩間違えれば変態と思われても仕方がないと思うのだけど、言わないでおいてあげよう。
「お疲れ様。今年は前年よりだいぶ売り上げがいいんだ」
「そう。よかったわね」
店の売り上げが良くても、私には関係の無いことだ。お給料を貰えるわけでも無いし。とは言え、繁盛しなければ潰れてしまうのも事実。うちのグループが出した店とは言え、祖父はそう言ったことに関しては案外シビアだ。
「それで、大学生のバイトが少し残ってくれるらしくてね。料理は彼に任せられるし、ペタを休ませようと思って」
彼の名前が出た途端、私の心臓は強く跳ねる。随分と素直な心臓だ。恐らく、私が反応したことにファントムも気付いているだろう。
「家には連絡しておくから、花火大会でも見に行っておいで」
「どういう風の吹き回し?」
「そんなに警戒しないでよ。僕はアオイのことを応援しているんだよ?」
「応援だなんて……」
「まあ、ペタは合間の休憩以外ずっと厨房にいたし、この仕事する前にも花火大会なんて行くこと無かったからね。たまの休息をあげたいのさ。僕の我儘を聞いてくれないかな」
ファントムの考えは分からない。彼の笑みに含まれる感情は何なのか、彼と長い付き合いだと言う姉ですら理解出来ているか怪しいくらいだ。
「ペタは、花火大会に行くと言っているの?」
「そこはほら、君が言わなきゃ。ね? アオイを送ってきてほしいって言ったら外に出てくれるだろうし」
「切っ掛けは作ってやるから後は自分で何とかしろ、だなんて無責任にも程があるわ……それでよく応援してるだなんて言えたね」
「はは。でも、ペタは断らないさ」
本当に、この人の考えていることは分からない。けれど、折角のチャンスだ。思い出作りをするのも悪くは無い。
なんて、思って店を出たはいいが。私の我儘で花火大会に連れ出すのはとても苦労した。やれ道が違うだの、やれどこへ行くだの散々聞かれ、偶然を装って花火大会へ行くことは断念。仕方なく行きたいと伝えれば、何かを察したのか携帯電話を取り出して操作した。納得したのかどうなのか、それは分からないけれど、一度溜息を吐くと歩き出した。慌てて彼の隣を歩く。
「初めの方しか見られないが、いいのか」
「……うん」
そう言うと後は黙って会場へ向かった。
花火大会は普通のお祭りのように出店が出ている。最近は種類も豊富で、珍しい名前の出店もちらほら見かけた。空は徐々に暮れていく。完全に真っ暗となる前に、開始のアナウンスが流れ始めた。
周りには浴衣を着た人も多い。男女のカップル、女性同士、子連れの家族。この時間の為に席を取って、レジャーシートを敷いている沢山の人。人と人の合間を縫うように歩く人。ここには色んな人がいるけれど、誰もが空を見上げた。そして、空に花が咲く。
大きな音。目映い程の大輪が、陽が暮れた空を彩っていく。花火をこんな風に見たことなんて無くて…………思えば、花火大会に行くこともお祭りに行くことも今まで無かった。誰かと一緒に出掛けるなんてことも、殆ど無かった。初めて見る花火大会が好きな人と一緒なんて、これ程幸せなことがあっていいのだろうか。
暫くぼうっと眺めていれば、数秒の静まり返った空間が広がる。その隙を突くかのように彼は私の腕を引いて、会場から出て行くように遠ざかった。再び始まる花火が開く音に一瞬、顔を向けたけれど。すぐに彼の方を向いて歩けば音は徐々に小さくなっていく。
「満足したか?」
「うん」
「そうか」
それ以上は何も話さなかった。今更ながら、私と彼の間には共通の話題が無いことに気付く。けれど、胸がいっぱいな今はそんなことどうでもよかった。ただ、家に着くまでの間、彼の手が離れないように祈るしか出来なかった。
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