10周年記念 | ナノ


中学校に入学しても、周りに多少の変化はあれど、大きなことは何一つない。単なるつまらない日々を送るだけだ。

伸ばした髪が風に揺れる。少し鬱陶しい。切ってしまいたかったけど、伸ばしていたかった。春らしい陽気は眠気を誘う。まだ明るい空に時間を確認した。騒がしい校門を抜けて目的地へと向かう。

中学に進学したことで、今までしたことのなかったお願いをした。祖父は少し驚いた様子を見せたが、すぐにいつもの表情に戻った。条件は、成績を落とさないこと。学校へ通うこと。あくまでお手伝いであること。

今私は、カフェで働いている。

本当は厨房で料理をしたかったのだけど、中学生であるが故にそれはまだ許されなかった。ただ、賄いを作ったり試作品を作ったりすることは許されたので、今は仕方なく接客を行う。グラスに飲み物を注ぐことも仕事のうちだ。ファミレスではないから凝った飲み物なんて無い。ただのジュースやお茶ばかり。

コーヒーだけはいつもファントムが淹れていた。ファントムとは、以前家で住み込みの使用人をしていた男の一人だ。正直に言うと、ファントムにバリスタは似合わない。もっと言うと、厨房にいる彼も、コックは似合わない。

私と店の間にお金は一切発生しない決まりだ。中学生を雇っているとなれば店が潰れてしまう。それだけは避けたかったし、何より私もお金が必要だから働いているわけではなかった。ここに彼がいたから、私はここにいたかったのだ。

凝り固まった表情筋を動かす練習をした。感情とは裏腹に笑顔を浮かべるようにした。常日頃から練習していけば、すぐに追い出されることはないだろうと思ったから。

何人かの人に年齢を聞かれると正直に答えた。それは嘘を言わない為。店の信用を落としてはいけないから。ここの店のオーナーが親族で、社会勉強としてお手伝いに来ているんです。そう言うと、大抵の人は「偉いね」や「頑張って」と言ってくれる。常連さんとは多少のお喋りもするようになった。

私の勤務時間は夕方まで。元々、カフェ自体も夕方までだ。その後はバーになるのだと言う。店の内装はあまり変わらないが、カウンター席は少し変化していた。子供は帰る時間だ。

「お疲れ様」

「お疲れ様……です」

敬語を使うようにした。ファントムと言う男はどこか信用ならない雰囲気を持っていて、その笑みに含みがあるような気がしたから。でも、この男は普通に話してくれていい、と言うのだ。厨房にいる彼に対しても普通でいい、と。

「どうだった?」

「疲れた」

「まあ、そうだろうね」

厨房を使えるのはカフェ閉店後からバー開店までの間。時間にして二時間程度。その間に彼らは食事を済ませるのだと言う。バーがあるからか、カフェ自体の開店時間も少し遅い。私がこのカフェを見つけた時はもう少し早い開店時間だったと思うのだが、どうやらあの祖父が変更したようだった。私を強制的に帰らせる為の策なのだろう。そんなことしなくても、今はまだ何もしないと言うのに。

接客用のエプロンを外し、スクールバッグを持って外に出る。徐々に橙色に染まる空は、直に紺色に染まるのだろう。今日は大した会話もしていないが、明日にはきっと何かしら話せるはずだ。

「おい」

声をかけられて思わずビクッとする。

「お前、まだ携帯電話を持っていないのか」

「う、うん……」

必要無かったから。連絡するような人もいなかったし、基本家にいたから。そう言えば、あの姉は持っていたっけ。どうしてかは知らないが、いつの間にか持っていた。

「連絡するのに不便だ。機会があれば早めに持っておけ。あの家主も拒否しないだろう」

コクン、と頷けば、満足したのか店内に戻っていった。

出勤日は週三日。休日は出勤不可。余程のことがない限り、連絡云々は無いと思っている。私は部活に入る予定も無いし、委員会に入る予定も無い。行事がある際には事前に伝えるつもりだし、体調管理は完璧のはず。

でも、こんなに何かを欲しいと思ったのは初めてかもしれない。彼との連絡手段が欲しい。繋がりが欲しい。けれど、誕生日のプレゼントも入学祝も貰ってしまった。暫くは何もないのだ。クリスマスか、或いは次の誕生日に……一年近くもかかってしまうのかと思うと、その長さに溜息が出る。それでも、一年待てば実現するのだ。ああ、嬉しくて仕方ない。

全身の体温が上がる。少し汗をかく。顔が熱い。時折吹く風が生温い。心臓が逸る。どうしてか、それらが酷く心地良い。



彼をいつ好きになったのか、明確には覚えていない。ただ、気付けば目で追っていて、彼が家からいなくなった時にはもう、好きだと自覚していたように思う。

人生初めての恋。私には縁のないことだと幼いながらに思っていたが、こうもあっさりそれの考えが崩れるとは思うまい。未だに、姉はどうして彼らと出会ったのか言ってはくれない。家を出て行ったのはカフェの店長と副店長として働く為だと言うが、そもそもどうして家に連れてきたのかは、頑固なまでに言ってはくれなかった。そんな姉に感謝と同時に許せない気持ちを抱いている。何も言ってはくれないし、彼らがいなくなった時だってそうだった。いつも私は蚊帳の外で、何も知らないのだ。

ああ、考えていたら腹が立ってきた。明日辺りに何か作ろうか。この間はショートケーキだったから、今度はチョコレートケーキでもいい。それとも、ケーキじゃなくて別のものにしようか。

彼は、おいしいと言ってくれるだろうか。

それはきっと私の下心で、淡い淡い気持ちだけれど。彼の為に作るのなら、怒りじゃなく愛情を込めたいと思うのは、きっとこの感情を知る人間なら誰もが思うだろう。

早く仕事を覚えて、慣れて、厨房で仕事をさせてもらうんだ。今年の花火大会は忙しくなるって言っていたから、きっとその頃には調理させてもらえるはずだもの。同じ店で働いているだけで、こんなにも満たされた気分になるのだから。彼の口からおいしいと聞けたら、それだけで私は生きていけるのかもしれない。


2016.08.07

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