10周年記念 | ナノ
10

目が覚めたら、私はあの人に抱きしめられていた――え、これはどういうこと?

「えっ……と……」

状況の確認の為に、目の前の光景が真実であるのか確かめる為に、自分でも分かるくらい瞬きをしてしまう。肩を抱き寄せられたと思われる腕が私の体をしっかり支え、伝わる体温が心地良ささえ与えてくる。私に苦笑いを向ける彼は、けれど嫌そうなそぶりは見せずにただ一言、「おはよう」と言った。

「ユキカ、起きたの?」

後ろからかけられた声の主は姉だ。急いで振り返れば、愛用のカップを口元に持ってきていて飲んでいる仕草をした。いや、これは一体どうなっているの?

「感謝しなさいよね。マツバさん、あなたを伯母さんから守ってくれたんだから」

「おば、さん……?」

確かに、私は伯母と口論していた、ような気がする。辺りを見渡しても伯母の姿は見えないけれど、それは事実なはずだ。でも、それがなぜ彼に――マツバさんに助けられたのだろうか。いつ家に来たのか分からない。招いた覚えも無ければ、玄関を開けた記憶も無い。私が玄関を開けたのは、伯母が来た時だけだったはずだ。

「で、そろそろ退いたらどう?」

「え……?」

数秒、マツバさんの方を向いて考える。そして、気付いた。私は彼の服をギュっと握って、今も尚抱き着いたままでいたのだ。思わず勢いよく手を離して彼と距離を取る。気付いた途端、心臓がばくばくと動き出し、顔に熱がこもる。

「ご、ごめんなさいっ……!」

「いや、それよりユキカちゃんは大丈夫?」

「わ、私は大丈夫です……! と言うか、何が大丈夫なのか分からないんですけど、とにかく大丈夫です!」

こんな私を見て、二人は目を真ん丸にして顔を見合わせた。何かおかしなことでも言っただろうか。

「覚えてないの?」

「何が?」

「伯母さんが来て、何があったのか」

私と伯母が口論したところまでは覚えている。あれ、何か、頬がジンジンするような……。

「ユキカちゃん、頬が腫れてる……もしかして殴られたのかい?」

「え……なぐられ……えっ?」

確かに、触れればそこは熱がこもっていて、反対側よりも熱い気がした。心なしか少し膨れているようにも感じる。

「ああ、そういえば……」

殴られたんだ。もう、お祖母ちゃんのように出来ないと言ったら、伯母が手を振り上げて――……。

思わずバッと顔を上げる。もう一度部屋を確認して、伯母がいないことに安堵した。もうここに、あの人はいない。

「殴った、ですって……?」

「へえ、そんなこともしたんだ……」

何故か不穏な気配を感じる。私、そう言うのには疎いと思っていたのだけれど……。とにかく、何となくだけど、マツバさんのことは巻き込んでしまったのだと理解できた。姿勢を正しくして、頭を下げる。床に額がつこうと構わない。巻き込んでしまって、本当にごめんなさい。

「ユキカちゃん」

「はい」

「きっと、無事だなんて言えないんだろうけれど……でも、君に外傷がないことを嬉しく思うよ」

顔を上げてみれば、本当に、嬉しそうに笑う顔を、初めて見たような気がした。マツバさんは、私よりずっと大人だからか、作り笑顔が上手で、嘘や隠し事も上手だ。いつも優しく私の相手をしてくれるし、決して嫌われてはいないのだろうと思っていたけれど、こんな風に笑ってくれるとは思わなかった。

どくん、と一際大きく心臓が波打つ。じわじわと広がり、体の中から温められる感覚。次第にそれは心地良さを孕んで、私は理解する。

――ああ、この人が好きなんだ


* * *


まだ暑さも残る九月末。金木犀の香りが漂い始めてきた頃。教職に就いた僕と、高校を卒業して大学生となった彼女は、お互いの時間が合わずに会えないことが増えてきた。社会人と学生ではまず、一日のスケジュールが異なる。ましてや、僕は高校教師で彼女は大学生なのだから、そのすれ違い振りは偶然街で会った彼女の幼馴染み君に呆れながら言われてしまう程だった。

でも、この日だけはどうしても、と仕事を早く終わらせて他の教師達より先に職場を後にした。彼女の方も夕方からは空いているとのことで、僕らは数ヶ月ぶりに顔を合わせて話をする。

あの公園にやってくれば、既にベンチに座り待っている女性がいた。以前の僕がよくそうしていたように、ただ静かに座って待っている。声をかければ、こちらを向いて嬉しそうに、まだあどけなさの残る笑みを浮かべて立ち上がった。

今年は一緒に映画を見られなかったね。また新作の発表があったけど、どっちを買う予定なのかな。やっぱり、双子の片割れであるお姉さんと相談しつつ、決めるのかな。僕と違う方を選ぶなら、僕とも交換してほしいな。

会話は途切れず、話は尽きないかと思ったけれど、暫くすればそこに沈黙が訪れる。彼女といる時の沈黙は、嫌いじゃない。むしろ心地良さすら感じて、時間を忘れてしまうくらいだ。昔からそうだった。

多分、僕にしては我慢した方だと思う。本当は、彼女が大学を卒業するまで、と思っていたけれど。でも、僕の気持ちを伝えるくらいなら――それだけなら、許されるのではないかと思うんだ。教師としての僕なら駄目なのだろうけれど、生憎僕は、教師である前に一人の男で。一人の女の子を好きになった、一人の男だから。

「ねえ、」

「あの、」

同時だった。口を開いたタイミングも、声を出したタイミングも。思わず顔を見合わせる。彼女の頬は少し赤い。両手が握りしめられていて、ロングスカートが少し皺になっている。その手をそっと手に取って解いてやれば、マニキュアなんて塗ったことも無いのだろうと思われる、綺麗に切り揃えられた爪があった。白くて細い指は少し冷たい。

「……僕の話を、聞いてくれるかい?」

「はい。勿論」

彼女は、いつもは自分の話を聞いてもらっているから、なんて思っているのだろう。彼女の話を聞いて、どれ程僕の心が安らぎ、温かくなったのか、きっと知らないんだ。

簡単に了承してくれたけれど、僕が手を握っているからかな。目は少し伏し目がちで、頬の赤は少し濃くなっている。瞬きの回数が増えていて、空いている手はより一層強く握りしめられていた。

話したいことは沢山ある。彼女の魅力を話していたら、ここで一晩明かしてしまうかもしれない。流石にそれは、通報されても文句言えないかな。それならまずは、僕の気持ちを言ってしまおうか。

「あのね、ユキカちゃん」

「……はい」

僕の次の言葉を、僕の顔を見て、目を見て待っている。次に僕の口から放たれる言葉に彼女が目を見開くのは、想像に難くない。だから、飾ることなく、僕の本心で、彼女に言おう。会えなくて寂しかった気持ちも、膨れ上がる愛しさも、一度掴んだら離したくない独占欲も――この感情全てをたった二文字に込めるのは、些か腑に落ちないけれど。でも、僕はきっと、これ以上の言葉を知らないから。

「君のことが、好きです」


* * *


随分と時間がかかってしまった。私の心を決めるのに。

そもそも、高校時代なんて論外だったし、大学生になった今もまだ私は情けなくて、弱虫だけれど。でも、長い間私の話に付き合ってくれて、いつだって大人だったあの人への気持ちを無視することだけは、してはいけないのだと思った。


まだ暑さの残る九月末。公園のベンチに座って、彼を待つ。金木犀の香りがふわりと鼻腔を擽って、初めて会ったあの日を思い出す。そうしていれば彼はやってきて、暫く他愛ない話をすれば、自然と訪れる沈黙に心臓がどきどきした。

思い切って声をかける。

「あの」

「ねえ」

重なった声に、思わず顔を見合わせれば、普段は大人っぽい彼が、今は少し幼く見えた。まるで、告白前の中高生のような……いや、まさかね?

緊張して握りしめていた手を片方取られて、指を解かれる。ほんの少しそれを眺めた後、彼は改まって「話を聞いてほしい」と言ってきたので頷けば、少し間を空けながらも、彼はその言葉を口にする。それに私が驚くのは、当然の反応だと思うのだ。

信じられない気持ちもあるけれど、その言葉を受け入れなければ私の言葉も届かないのだろう。ああ、でも、慌ててしまう。上手く伝えられるかな。急いで口を開いて伝えれば、彼も驚いていた。

それはきっと、先程の私と同じ顔。


fin

2016.11.03

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