10周年記念 | ナノ
09

地獄絵図のようだと、一瞬思ってしまった。

学校からの帰宅後。日直のせいで遅くなったけれど、買い物も済ませたし夕飯は両親が作っておいてくれるから心配ないだろう。なんて、呑気にしていた私の馬鹿野郎。

家の鍵は開いているし、家族以外の靴が二人分もあるし、リビングから伯母のヒステリックな声が聞こえてくるし、ここに妹さえいなければすぐさま逃げてしまいたい。切実に。

これは私ではどうにもならない。妹が唯一、素に戻るような会話が出来る彼の胸に抱かれて、涙を落ちつけようとしているのを見れば、何があったのかは大体想像できた。大人しく助けを呼ぶことにしよう。


助けが来たのは三十分後。思ったより早かった。その間、伯母のヒステリーは治まらず、散々妹に罵詈雑言を浴びせたが、ずっと彼が妹の耳を塞いでいてくれた。それに安心したのか、妹は彼の腕の中で眠っている。非常に悔しいし、今すぐに離れなさいと言いたいけれど、伯母を宥めるのに手いっぱいだった。覚えてなさいよ。

私が呼んだ助っ人である両親は、伯母をソファーに座らせ、お茶を出し、一緒にお茶請けも出して漸く大人しくさせることが出来た。大人二人がかりでやるのだから、まだまだ子供な私一人ではどうにも出来なかったのだろう。

「姉さんは昔からそうだ」

「あんたが、あんたと父さんが、いつもあたしを否定するからよ」

「俺がいつ否定したって言うんだ」

「いつも、よ。あたしは間違ってなかった……なのに、いつもあんた達はあたしを否定して、馬鹿にして……!」

カップを握る手が震えている。相当力がこもっている様子だ。出来れば割らないでほしい。片付けるのは私だから。

「母さんは……母さんだけはあたしを否定しない。馬鹿にしない。それどころか、愛情深く見守ってくれた……母さんこそ、この世にいなければいけないの。あんなに慈悲深く、愛情深い人を、喪ってはいけないのよ」

「それとユキカは関係ないだろう! 大体、そうやっていつも姉さんは自分勝手だった! 姉さんの言う否定や馬鹿にしたって話を否定するつもりはないけど、うちの娘をこんなにしておいて、自分を正当化しないでくれ!!」

父があんなに怒るのを見たのは、伯母をこの家から出入り禁止にした時以来だった。それ以前でも、見たことがない。

「ユキカをこんなボロボロにして、エミカのことも傷付けて、許せるはずがない。俺は姉さんと縁を切るよ」

「ちょっと、あなた……!」

「君は黙っていてくれ。これは俺と姉さんの問題だ」

母はしょぼん、として私の傍に来た。どこにも行く当てがないと言わんばかりに、ダイニングの椅子に座る。今回ばかりは蚊帳の外だと思ったのだろう。本当は、そんなこと無いのだけれど、何せ、妹が関わっている時点で、その母親であるのだから、無関係ではないのだ。それを強く言えないのが妹の母親らしいところだろうか。そして、大事なことを言わないところも、私と妹の父親らしいところだろう。

チラリ、と妹と彼の方を見る。ソファーの裏側に背中を預けて、眠ってしまっている妹を抱きかかえる男の姿。今回ばかりは、多少の感謝を抱いている。勝手に家に入ったことはよろしくないけれど、誰にも言わずに不問にしておいてあげよう。そもそも、お見舞いの許可を出したのは私だし。

「本当は、誰も姉さんを馬鹿にしてなんかいないんだ!」

「嘘よ!」

以前、父に聞いたことがある。伯母はどうしてああなのか、と。

伯母は生まれながらにして自己中心的で自分勝手な子供だった。欲しがれば何でも貰えると思っていて、幼少期はとにかく父の物も奪っていったと言う。歳を重ねる度にそれは治まってきたが、元々気の強い性格だった為に学校でもあまりうまくいかなかったそうだ。少し陰湿な虐めにも遭っていたのだとか。そうして捻くれた精神が、祖母によって少しずつ伸ばされていく。真っ直ぐになるように。

だが、それも途中で止まる。社会人になり暫くして、父が母を連れてきて、結婚すると言ったからだ。当然、伯母はまだ結婚していなくて、祖父母の面倒は父と母が見ることになった。やがて私と妹が生まれ、それはそれは幸せな家庭を築いていった。世間一般的な家庭だ。

だが、どうだろう。自分の精神を支えた彼女にとっての母が、今度は息子夫婦の娘である双子に夢中になり、自分とはなかなか会ってくれなくなった。真っ直ぐに伸ばされた精神は、ほんの少し黒く染まり、判断を誤る。

考えれば分かる。祖父母は亡くなり、伯母が愛していた祖母にそっくりの妹を祖母のように育てることで、伯母は心の安息を得たかったのだ。

「ただ、姉さんはもう少し控えめになって人を小馬鹿にするのはやめてくれと言っているだけなんだ!」

「小馬鹿になんてしていないわよ! 大馬鹿にしてるわよ!」

「それがダメなんだろう!」

話の決着はつくのかつかないのか、はっきりしない。私も母も退屈だ。妹も起きる気配がない。どうしたものか。一応、止めてみようか。

「とにかく、ユキカは母さんのようでなくてはダメなのよ!」

「伯母さん、ちょっといいですか」

「何よ」

「エミカ、あっち行ってなさい」

父の言葉は無視して伯母に対して口を開く。

「どんなにユキカを祖母のように仕立てても、そこにいるのは祖母じゃありません。私の妹です。私の妹に、変なことを教えて、余計なことを吹き込んで、こんなにして、私は伯母さんを許すつもりはありません。なので、もう帰ってもらっていいですか。それで、もう二度と、家へは来ないでください」

父も、そして伯母もぽかんと口を開けてこちらを見ている。だんだんと伯母は顔を赤くして、ソファーから立ち上がると床に放り出されたらしい鞄を取って玄関の方へ行ってしまった。盛大に玄関の戸が開けられ、閉められる音がする。

「きっと、まだ高校生のエミカに言われて悔しいやら腹が立つやらで逃げたのね」

「お母さん、たまにズバッと言っちゃうよね……」

「……ところで、彼は一体誰なんだ?」

あ、そうか。その説明はまだだった。私が彼の方へ顔を向ければ、彼も同じような顔をして、そして次にやばいと思ったのか焦っている様子を見せてきた。

「あ、えっと、ご挨拶が遅れました……! 僕はマツバと言います。ユキカちゃんとは、同じゲームが好きってことで、その、たまに公園で話をしたり、お茶をしたり、とか……」

そりゃあ、年頃の娘と抱き合っているんだから、迂闊なことは言えないだろうが、もっと言うことは無いのだろうか。

「ああ、ユキカがよく話してた……」

「映画にも連れていってもらったみたいで」

「私達は忙しくてなかなか連れていけないので、ありがとうございました」

「いえいえ……!」

伝わったんだ……信じられない。いや、確かにあれで全てだとは思うのだけど。

「で、その格好は……」

「彼が……マツバさんがユキカを庇ってくれたんだよ。伯母さんからの暴言が聞こえないように耳を塞いでくれて、泣いて震えて真面に話も出来ない状態のユキカを、落ち着かせてくれたの」

「そうか……何から何まで……」

父も母も気付いていない。この人が、どんな感情を持って、腕の中の妹を見ているか……気付いていない。


2016.10.15

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